最初からわかっていたことだ。
 俺は今、絶対に歓迎などされるはずない地位にいることくらい。
 ……なのに。
「………………」
 あのときは、平気だった。
 何を言われても、どう取られても。
 ……それなのに、なぜか。
 今、こうして真っ暗な車内へひとり篭ると、違う感情が芽を出しそうになる。
 …………少なくとも、その根底。
 そこにあるのは、『どうして俺ばかりが』などという、下らない被害者意識のようなモノだが。
「……っ」
「相変わらず、お前らしいよな」
「……なんだよ」
 いつの間に、そこにいたのか。
 いきなり孝之に窓を叩かれ、反射的に振り向く。
 ……それにしても、なんだその顔は。
 完全にひとごとだと思って、馬鹿にしてるだろ。
 それがわかるからこそドアを開けて外に出ると同時に、睨みつけていた。
「ンな顔、俺にすんなよ」
「……別に」
「別に、じゃねーし」
 ひらひらと手を振り、相変わらず掴みどころのないようなケラケラした笑いを浮かべる。
 ……確かに、誰のせいでもないかもしれないけどな。
 少なくとも今の俺は、機嫌が悪い。
 くだらないことを言うためだけにここへ来たのなら、とっとと引き取ってもらいたいモンだ。
「……ん?」
「返したぞ」
「あ?」
 手にしていたディスクを突きつけるようにすると、少し不思議そうな顔をした孝之が両手でそれを受け取った。
 そんな様子を横目で見てからドアを開け、運転席に乗り込む。
 ……もう、用は済んだ。
 ならば、ここに長居する必要はない。
 とっとと帰って、このどこへもぶつけられない気持ちをなんとかするほうが先だ。

「『アオイ』が気になっただろ」

「ッ……どうしてそれを」
 ドアを開けたまま、セルを回そうとした瞬間。
 まさに、核心とも呼べるところを突かれ、反射的に瞳を丸くしていた。
 予想外だったからこその反応。
 だが、孝之は相変わらずおかしそうに笑ったままドアへ腕をかけた。
「羽織」
「……何?」
「その子音、全部取ってみ?」
「子音……?」
 いきなり言われた名前。
 それはもちろん、コイツの妹であり……俺もそれなりに知ってはいる、あの子のこと。
 ……羽織。
 彼女の名前の子音は、『H』と『R』。
 それを抜かすと――……。
「っ……まさか……」
「まさか、じゃねーよ。ちったぁ考えりゃ、当然の結果だろ? だいたい、アイツ以外にお前の記事へ馬鹿丁寧なレスつけるヤツなんざいねーよ」
 HAORI。
 そこから『H』と『R』を抜けば、キレイに出てくる文字。
 浮かびあがる、名前。
 ……紛れもないモノ。
「…………そう……なのか」
 ゾクリとした感じが背中を駆けて、同時に喉を鳴らす。
 ……ウソだろ?
 まさか。
 ずっと、頭の中で引っかかっていた名前。
 その持ち主が――……まさか、彼女だったとは。
「その顔じゃ、何かわかったことがあったみてーだな」
「…………」
「別に、否定も肯定もする必要はねーけどよ。……とりあえず、ココにあんのは事実だぞ。もう過ぎちまってることだから、『違う』は使えねーよな」
 ひらひらとディスクケースを振った孝之が、小さく笑った。
 その顔は、何か企んでいるときのようなモノで。
 だからこそ、何も言えずただただ黙って聞くほかなかった。

「お前自身、アイツが『アオイ』だってことは3月からずっと気付いてたことだ」

 それにな、と前置きしてから告げられた言葉は、当然俺が予想できることでなく。
 ……そう……なのか?
 あまりにも決定的なひとことだけに、少しだけ口が開く。
 孝之にとっては、重さなど微塵も感じなかっただろう。
 ……当然だ。
 コイツにとってその言葉は、何も意味をなさないんだから。
「そういうワケだから、コレ。お前にやるよ」
「……別に、俺は……」
「アオイの正体知ってから読むと、また違って見えんじゃねーの?」
 弄っていたディスクを放るようにして渡され、つい受け取ってしまった。
 ……今さら、だろう。そんなモノは。
 俺にとって、『アオイ』の名前の正体が彼女だったとわかったところで、別段何かを思い出したりするワケでもなく、そして――……彼女に対する思いが変わるでもないんだから。
「ま、時間はたっぷりあんだからよ。……悩んだらいーんじゃねーか?」
 両手を頭の後ろで組み、相変わらず性格の悪そうな顔で口角を上げる。
 間違いなく、他人事。
 ただ、ちょっかいをときおり出しながら愉しんでいるだけ。
「……性格悪いぞ、お前」
 眉を寄せ、あからさまに嫌そうな顔をしながらヤツを睨む。
 だが、その途端。
 一瞬瞳を丸くしたかと思いきや、次の瞬間には大げさに声をあげた。
「お前に言われたくねぇよ」
 ハ、と短く笑った孝之に、ついため息が漏れたのは……やはり、否定できなかったからなんだろうか。
 ……とはいえ。
 少しだけこんなやり取りが懐かしく思えたことは、確かでもあった。


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