やっと、と言うべきか。
久しぶりに家で過ごす日曜。
明日からは、また大学での日々が始まる。
だが――……俺はむしろ、その暮らしを望んでいた。
「…………」
テーブルの上で、鍵を弄ぶ。
……俺のものでは、明らかにない。
なぜなら、コレには自分のモノとは違い、かわいらしいうさぎの根付が付いているから。
白く、赤い目をした鞠のようなうさぎ。
それを見れば、持ち主が誰かなどすぐに浮かぶ。
――……あの日。
あのとき。
あの場所で彼女に手渡された、この鍵。
結局、処分することも彼女に返すこともできず、今もまだ俺の手の中にある。
5月のあの日が来るまで、コレは彼女のモノだった。
そして、この家も……俺と、あの子のモノ。
今も尚いくつか彼女の所有らしきモノが目に入ることがあり、だからこそ悩む。
……恐らくは、彼女がここを出て行くときほとんどのものを片付けたんだろう。
不自然に空になっているクロゼットやチェストが、それを物語っている。
「…………」
俺は、どうすればいいんだろうか。
果たして、何をすれば正解になるんだろうか。
チャリ、と硬い音のする鍵を弄ったまま、手元でないどこかを見つめる。
……休み、か。
今日どころか、昨日も彼女は休みのはず。
果たして、何をしているのか。
どう過ごしているのか。
……最近になって、ふとそんなことを思い浮かべるようになっていた。
最初のころとは、まるで違う。
気になる……と言えばいいだろうか。
心配とか、そういうモノじゃないのは明らか。
……だが……気にはなるんだ。
あの子が今、何をしているのか。
どこにいるのか。
ひとりきりでも――……ちゃんと笑っているのか。
……また、泣いてはいないだろうか。
そんなことばかりが、不安となって残る。
「…………」
カチャン、と手のひらから鍵が零れ落ちた。
想いはすれども、行動に移せるワケがない。
何より、俺は彼女にとって1番あってはならない人物。
……少なくとも、そうだろう。
間違いなく、彼女を1番深くまで傷つけた張本人は、俺以外にありえないんだから。
「…………」
すごく久しぶりだった。
こうしてひとりで電車に乗って、バスに乗って……やってきた、住宅街。
……ひとりでなんか、来ることは絶対にないって思ったのになぁ。
やっぱり、人の心境は環境ですごく変わるんだと思う。
「いらっしゃいませー」
小さく響いたカウベルとともにお店の中へ入り、カウンターに向かう。
白を貴重としている、落ち着いた店内。
ここに来るのは、コレが3度目。
前回は、ちょうど卒業式の前だった。
「いらっしゃい」
「お久しぶりです」
待合室の椅子へ座る前に、遠くから声がかかった。
にこやかな笑みと、低い声。
眼鏡こそかけてないけれど……1番、似てる人。
彼の従弟である、祐恭さんにとても。
「大丈夫? 迷わないでこれた?」
「はい、大丈夫でした」
笑いながらうなずき、案内してくれた椅子へ向かう。
なんだか……不思議。
もしかしたら、似すぎているせいで泣くんじゃないかって思ってた。
でも……そんなこと、全然なくて。
それどころか、むしろずっと笑顔でいられる。
こんなの、久しぶりかもしれない。
それもあって、なんだかすごく嬉しい。
「……すみません、突然だったのに」
「ん? そんなことないよ。ちゃんと予約取ってくれたんだし」
予約を入れたのは、2日前。
本当なら、もっと前に取ればよかったんだけど……思いついたのがその日だったんだよね。
だから、ダメ元で電話してみたんだけど、そうしたらちょうど泰仁さんが出てくれて。
ふたつ返事で、今日の空き時間に私を入れてくれた。
「さて。今日はどんなふうにしよっかな」
ケープをかけられ、目の前に雑誌が数冊置かれる。
……でも、毎回それに手を出すことはなかった。
泰仁さんの話が面白くて、もっと聞きたくて。
だって――……彼が話してくれるのは、私が知らない祐恭さんのことばかりだったから。
きっと、気を遣ってくれているんだろうとは思う。
でも、私にはそれが楽しみで。
だからついつい、祐恭さんに嫌そうな顔をされながらも、ここ以外の美容院は考えられなかった。
「んー……そこまで痛んでないしねー。毛先、ちょっと揃えるくらいにする?」
鏡越しに泰仁さんを見ると、髪にくしを入れながら視線を落としているのが見えた。
本当は、きっと沢山疑問を持ってるに違いないんだ。
……だって……私が今、髪を伸ばしてることは彼も知ってるから。
前回、彼にそんな話をしたから間違いない。
「……あの……泰仁さん」
「ん?」
鏡越しに彼を呼び、目が合ったとき少しだけ笑みを見せる。
……やっぱり、不思議。
ちゃんと笑えてる自分がいる。
それが何よりも不思議で、だけどとても嬉しかった。
「今日は、お願いがあってきたんです」
笑みを崩さないまま、言葉にする。
不思議そうな顔をした彼は、もしかしたら何か……気付いたのかもしれない。
少しだけ寂しそうに笑みを浮かべて、小さくうなずいてくれたから。
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