7月に入って、すぐの梅雨入り晴(ついりば)れとなった、今日。
 久しぶりに覗いた青空は、眩しすぎて、明るすぎて。
 ……ほんの少し、目に痛い。
 だが、ほんの少し懐かしさを感じるとともに――……ありがたくもなる。
 まるで、湿ってしまったような気持ちも、この空を見ていると少しだけ乾いてくれそうな気がしたから。

「………………」
 真っ白い景色だけが続いている、ここ。
 部屋の中も、そして廊下も。
 どこもかしこもが、華やかでそしてあたたかな雰囲気に包まれている。
 心なしか、ふわふわと漂っているかのような気になるのは……今日が今日という日だからか。
 ふと、エントランスに置かれている対のぬいぐるみが目に入って、瞳が細くなるのがわかった。
 奇しくも、夏を目の前に控えた本日。
 ぎりぎりとはいえ、世間的にいえばこれもまた十分立派な『June』に違いない。
 そのせいか、控え室にいる人々の口からも似たような単語が零れていた。
 昨日までずっと続いていた、梅雨の雨。
 それが今朝になってキレイに上がり、今ではテラスにも日が差している。
 ……コレで、祝福のスピーチの出だしはほとんどが似たようなモノになるんだろうな。
 大きなガラスの窓から、きらきらと雨粒に輝くテラスを眺めながら、なんともいえない気持ちになった。
 見知った顔がいくつもあるのは、当然のこと。
 ……だが、むしろ。
 この場所に俺が呼ばれたということだけが、実はとても不思議だった。
 そして――……半ば腑に落ちなかったのも、そう。
 なぜ、俺なのか。
 ……どうして、俺なのか。
 知っている面子が半分、知らない面子が半分。
 だからこそ、正直居づらくはある。
 それでも。
 ……それでも俺は断りの返事を出さなかった。
 手元に真っ白な厚手の封筒が届いたとき、確かに正直悩みはした。
 だが、それもその日限り。
 すぐに二重線で一方の単語を打ち消したんだから、非というか……『なぜ』なんて単語を口にするべきじゃないんだろう。
 彼女は、少なくとも俺に選択肢を与えただけ。
 Yesか、No。
 そのどちらでも自分で好きなほうを選んでほしい、と……そんなモノをくれた。
「……っ……」
 にわかに控え室付近が騒がしくなり、反射的に目を向けたとき。
 想像こそしていたものの、まさにそのもののいでたちをした彼女自身であろう後ろ姿が見え、目を見張っていた。
 周囲に人が集まり、わっと声をあげて満面の笑みを浮かべる。
 中には、握手を求めたり、一緒に写真を撮ったりと、様々。
 ……だが、なぜか。
 そんな彼女を見た途端、急にここへ来たことがやはり間違っているような気がして。
 俺だけはどうしても、笑みを浮かべてそちらへ近寄ることなどできなかった。

「……っ……先生!」

 背を向け、できるだけ距離を作るように……と、違う方向へ1歩踏み出したとき。
 逆に、俺の背中へ彼女の声がかかった。
「…………っ」
 そうされてしまっては、動かないワケにはいかない。
 ゆっくり振り返り、できるだけの笑みを考えながら――……彼女を正面から捉えた、とき。
 あまりの姿に、何も言葉が出てこなかった。
「……先生……来てくださって、本当に嬉しいです」
 今にも涙をこぼしてしまいそうな潤んだ声と、そして表情。
 俺が知っているころの彼女とは違い、やはり……艶のある“女性”特有の表情を見せた。

 ――……あれから、もう7年。

 俺が、彼女と過去の自分を失ったあの日から、7年が過ぎた。
 26歳になった、彼女。
 この彼女の若さが、とうに30を過ぎた俺には眩しすぎる。
 ……もちろん、理由がそれだけじゃないことくらいわかっている。
 だから。
 ……だから俺は、もしかしなくてもきっと――……ここに来ようと思ったんだから。

「結婚おめでとう」

 見つめる先にいるのは、真っ白いドレスに身を包んだ、今日の主役である姫君。
 ……だが、なぜだろう。
 まっすぐ見つめていられるにもかかわらず、胸の中ではまったく違うことを考えているのは。
「……ありがとうございます」
 形イイ唇を結び、はにかんだ笑みを浮かべる。
 その笑みは、やはりどこか昔の面影があって。
 ……だからこそ、少しだけ視線が落ちそうになる。
 俺がよく知っている、彼女そのものだけに。
「本当に……おめでとう」
「ありがとうございます。……祐恭先生」
 にっこり笑った瞳と、キレイに笑うようになったその唇が、なんだかやけに印象的だったように思えた。

 教会での厳かな雰囲気の中、滞りなく進められた式。
 それを経て披露宴会場に向かうと、当然のようにすぐ宴は始まった。
 招待客も自分の席に座り、雛壇に座る今日の主役をあたたかく見つめる。
 ……それが、当たり前なんだ。
 なぜならコレは、あのふたりのための結婚式なんだから。
「…………」
 同じテーブルに座る、絵里ちゃんと純也さん。
 そのふたりも、当然のように前のふたりへ温かく拍手を送っている。
 ……もしかしなくても、ふたりは知っているのかもしれないな。
 あの新郎が、どこの誰なのかを。
 俺にとってはまったくない知識だし、そしてこれからも不要なモノ。
 だからこそ、腑に落ちない。
 なぜあんなヤツなんだ……という思いがどこかしらに残っているから。
「それでは、次に新婦の恩師でらっしゃいます、瀬尋様にご祝辞を頂戴したいと思います」
 グラスに手を伸ばしかけた途端、名前を呼ばれた。
 見ると、ほとんどの面識ある人間がこちらを向いていて。
 ……そういえば、彼も知ってる人だったな。
 マイクの前に立ち、こちらを見ながら微笑んでいる司会者に目が行くと、自然に懐かしさからか顔が緩んだ。
「ただ今ご紹介に(あず)かりました、羽織さんの母校に勤めておりました、瀬尋と申します」
 スポットライトが当たるこの場所。
 雛壇に最も近く、そして――……この会場にいる誰よりも、彼女の1番そばにいられる場所。
 俺からよく見えるからこそ、彼女からも俺はよく見えているはずだ。
 ……まぁもっとも、今はもうそんなことをしてはいけない関係なんだが。
 ――……正直、今日のスピーチを頼まれたときは『それは違うだろう』と1度断った。
 俺がするべきじゃない。
 ……してイイはずがない。
 だから、丁重にお断りしたんだ。
 何より俺は彼女にとっての恩師じゃないし、むしろ反対の立場に位置する。
 その立場には、俺なんかじゃなくて日永先生こそが立てるワケだし、だからこそ……俺などが立っていい場所じゃないから。
 彼女に感謝する側であったとしても、決して彼女から感謝される立場ではない。
 不適格、だ。
 俺がこんなふうに彼女へ言葉を述べるなどとは。
 しかもそれが――……はなむけのモノとなれば、特に。
「…………」
 本当はこれでも……今日のためにと、それなりのスピーチ原稿を用意したほうがいいだろうかとは思った。
 なんせ、結婚式。
 彼女にとっては、一生に一度しかない大切なときだから。
 ……だが。
「ご結婚、おめでとうございます」
 まっすぐ彼女を見て、背を伸ばして立つ。
 ただし、今度は笑みじゃない。
 浮かべるのは――……そうだな。
 言うなれば、彼女の隣で呑気にこちらを見つめている、彼に対する明らかな敵意。

 悪いな。

 やっぱり俺は、ここに呼んでもらえた以上、自分が自分でいられるような場所にしたいんだ。
 ……彼女が俺に与えてくれた選択肢。
 それを最大限活用させてもらうのは、いけないことじゃないだろう?

「奇しくもこの式場は、彼女と模擬結婚式を挙げた場所です」

 怯むことなく、継ぐ言葉。
 だが、言いきった途端、客席が揺れたのがわかった。
 少し離れた司会者席に立っている彼も、この言葉は予想外だったんだろう。
 驚いた様子で、俺を見つめていた。
「そのドレスもあのときのモノ。……まさか、そんな想い出の品ばかりで迎えてもらえるとは、正直思いませんでした」
 来客席がザワつく。
 恐らく……いや。
 間違いなく、1番後席にいる彼女の家族も慌てていることだろう。
 ……悪いな、孝之。
 そして、瀬那先生。
 ――……不肖な教え子で、申し訳ありません。
 どうやら俺は、こういう性分らしい。
「羽織さんは、私にとっての大切な教え子でもあり、とても優秀で……だからこそ、私の唯一の誇りで」
 ゆっくり見つめるのは、雛壇で俺を心配そうに見つめている彼女。
 ……そんな顔しないでくれ。
 俺に対するときはいつでも、あの笑顔でいてほしいんだ。

「心底大切な、愛しい彼女でした」

 まっすぐ彼女を見つめたままで言い放ち、にっと笑みを浮かべてやる。
 作りものなんかじゃない、ホンモノの笑み。
 恐らく……いや。
 彼女ならば間違いなく知らないはずのない、俺らしい笑みだ。
「……そうだろ? 羽織」
「っ……」
「これだけは、どうしても言っておきたかったんだ」
 マイクを通して響く、自分の声。
 だが、それは自分のモノなのにまるで自分じゃないように響いて。
「っ……祐恭さん……!」
 笑って瞳を細めた瞬間、両手を口に当てた彼女が、震えた声で立ち上がった。
 今しか、ないんだ。
 彼女を取り戻せるのは、今、この瞬間しか。
 一気にザワついて半ば混乱し始めた会場をよそに、雛壇へ駆け上がる。
 すぐそこにいる、俺の花嫁。
 悪いが――……俺以外のヤツのために、この服は着てほしくなんてない。


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