いつでも彼女は、まるで光を纏っているかのように立っていた。
 いつも、どんな場所でも目立つ。
 ……目を惹かれる。
 だからこそ、本当は知っていたんだ。
 毎日、学食で彼女がどこにいたのかも。
 そして、よく俺を見てくれていたことも。
 ……だけど、それらすべて気付いていないフリばかりして、自分で遠ざけていた。
 正直に言えば、怖かったんだろう。

 なぜなら俺は、彼女が愛してくれたころの自分とは、少しばかり違うから。

 自信が持てなかった。
 そして、少しだけ……信じきることができなかった。
 彼女が俺を好きだと言ってくれた、あのときもそうだ。
 ……本当に俺でいいのか、と。
 こんな自分のどこがいいのか、と。
 そう悩み、少しだけ苦しんだ。
 本気で言ってくれているんだろうか。
 ただ、俺が可哀相なヤツだから言ってるんじゃないのか。
 半分で喜びながらも、半分ではそんな疑いを持ってすらいて。
 ……本当に、なんてヤツなんだろうと自分で自分が信じられなかった。
 そして、心底嫌なヤツだとも思う。
 こんなヤツじゃ、彼女に好かれるはずがない。
 好かれなくても仕方がない。
 嫌われて当然だ。
 ――……俺は、以前までとは違うんだから。
 今思えばそれは、ただの逃げ以外の何物でもないのに。
 なのに、これまではまったくそのことに気付けなかった。
 ただ、自分に自信がなかっただけなのに。
 ただ、自分が不安だっただけなのに。
 『好き』だと言ってくれても、所詮は言葉だけ。
 きっと、何かあればそのときは『やっぱりあなたは違う』と言われ、離れられてしまうに決まってる、と。
 そうなったとき、自分がひとりになる。
 誰も味方がおらず、支えをなくしてしまう。
 ……それが、何よりも単に怖かった。
 だから、敢えて遠ざけていただけ。
 本当は、彼女が……好き、なのに。
 彼女のそばに居たくて、そしてそばに居てほしくて。
 心の底では、ずっとそう思い続けていたのに。
 …………ズルいヤツだ。
 自分が傷つくのが怖かっただけなんだから。
 そのせいで――……彼女を苦しめ、傷つけたというのに。
 自分は傷つきたくない。
 だから、周りを傷つける。
 ……そんなのは、子どもと同じ。
 聞きわけのない、理屈の通じないような幼い子どもと同じでしかなかったのに。

 いったい、いつだっただろう。
 彼女に対する、今の自分の素直な気持ちに気付いたのは。
 彼女を追い続けていたら……そう。
 いつの間にか、好きになっていた。
 笑顔、仕草、表情。
 今では、確かにすべてじゃないかもしれないが、それでも言えるようになってきた。
 知っていると言える。
 ……きちんとした、自信を持って。
 最初は、あくまでも自分の遍歴を辿るモノでしかなかった。
 それが……いつしか、彼女を知る道のりに変わったことに気付いた。
 素直に、彼女を知りたいと思った。
 過去の自分がどんな人間だったかではなく、それよりももっと、自分が知らなかったころの彼女を――……『俺』だけが知る、彼女を。
 ……恐らくは、嫉妬だったんだろう。
 情けない話だが、素直に悔しかった。
 自分は、まるで彼女を知らなかったから。
 ……なぜだろうな。
 彼女の笑顔を見ていると、自分まで顔がほころんだ。
 そんな自分に最初は当然戸惑ったが、いつしか求めてすらいるようになって。

 嬉しかった。
 ……ほっとした。

 ああ、自分にもこんな……いかにも人間らしい感情があったのかと。
 そこに気付けたのも、辿り着けたのも、すべては彼女のおかげ。
 彼女がずっと俺のそばにいてくれたから。
 傷つけ、苦しめ、涙しかさせることができなかったにもかかわらず……だ。
 ……優しくて。
 ……強くて。
 しゃんと背を伸ばして、明日を見ている彼女。
 俺のために、自分の心身を削ってまで献身的に尽くしてくれた。
 守ってくれていた……彼女。
 昔とはまるで違う態度しか取れなくなった、今の俺のことを。
「………………」
 ふと目を開けると、雨が降り始めていたのに気付いた。
 倒していたシートを起こし、あたりを見る。
 雨に濡れたアスファルト。
 ……だが、色が変わっているのはそこだけじゃない。
 さっきまでは黒一色だった空の色も、今では随分明るくなっていた。
 時計を見ると、30分近く寝てしまっていたらしい。
 …………さすがに、疲れたな。
 眼鏡を1度外し、眉間を押さえてから再度かけ直す。
 できることは、すべてやった。
 そう言いきる自信はある。
 山梨から始まって、県内のあちこちを巡ったこのひと晩。
 結局最後は、どうしても今行きたかったこの場所に来てしまった。
 実りは大きい。
 ……そうだよな?
 ふと顔を右へ向けると、よく見知った……いや。
 見慣れている家が目に入った。
 高校時代から始まり、今でも尚続いている関係。
 ……腐れ縁、とは違うのかもしれないな。
 恐らく今の時間は爆睡しているであろうヤツが想像できて、少しだけ口元が緩んだ。
「……ありがとう」
 彼女の部屋がどこかは、わからない。
 ただ、2階を眺めたままでいたらぽつりと言葉が漏れた。
 ……そういえば俺は、ここしばらくこんな言葉を誰かに向けたことなどなかった。
 すっかり忘れ去ってしまっていた、本当に大切なこと。
 人としての本当に大切な、基となる部分に違いないはずなのに。
 ……それに気付かせてくれたのもまた、紛れもなく彼女。
 温かく笑い、囁き、そして――……愛しく思う。
 そんな感情を自分に植え付けてくれたのは、ただひとり。
 俺にとって、特別な唯一の彼女。
「…………」
 キーを回し、エンジンをかける。
 ワイパーで滴を払うと、今はもうすっかり雨が上がっていた。
 どうやら、通り雨だったらしい。
 ……恐らく、ほとんどの人間が知らないんだろうな。
 この短い時間に、雨が降ったことは。
「…………」
 まるで優越感にでも浸れたかのように、自然と笑みが浮かんだ。
 ピンクと、淡い紫めいた青に染まった空。
 フロントガラスから空を眺めると、なんだか随分久しぶりに感じるような穏やかな気持ちが芽生えた。
 ……キレイなんて思ったの、久しぶりかもな。
 ギアを入れて自宅方向へと車を走らせながら、ふとそんなことが浮かんで来た。

 ――……それから、しばらく経ったあと。
「……はー……あふ」
 珍しく目覚ましが鳴る前に起きた羽織は、ひとり、いつものように窓を開けて伸びをした。
 出窓になっているため、いつもここにもたれるのがクセ。
 ベッドに膝を付いたままそれをすると、またついつい眠ってしまいそうになる。
「……ん?」
 もう1度欠伸をしてから下を見ると、近所の家の屋根や、家の前の道がキラキラ光って濡れているのに気付いた。
 ……雨……降ったのかな。
 少なくとも、夜はまだ降っていなかった。
 ということは、もしかしたら朝方に降ったのかもしれない。
「あれ……?」
 ――……そんなときだ。
 一部だけ、雨に濡れていない場所があったのに気づいたのは。
 家の前の道。
 外階段のちょうど前あたり。
 その一角だけ、まるで何かが置かれていたかのように、地面が乾いたままだった。
 明らかに色が違う。
 くっきりとした、恐らくは……乾いている部分。
「…………車……?」
 まじまじと眺めていたら、あることに気付いた。
 ……そう。
 あの大きさは、車のサイズとほぼ同じ。
 しかも、あの形。
 四角に近いあれは、車が停まっていたんじゃないかと思えるような形だ。
 ……でも、どうして?
 車だとしたら、どうしてあんな場所に?
「…………」
 気持ちのイイ朝。
 羽織が見たのは――……特別な1日の、確かな証。
 ……ただし。
 彼女がそのことに気付くのは、今から随分と時間が経ってからのことになる。


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