――……やはり、ここだけは避けられないだろう。
俺がこれまで、彼女と過ごしてきた時間の中で、もっとも多く重なる場所。
「…………」
道に車を停め、降りてから門の中を覗く。
シンと静まり返り、灯りひとつない場所。
……いや。
正確には非常灯などもあるから、まったくの暗闇ではないのだが……。
「…………」
実は、この場所は葉月ちゃんがくれたノートには記されてない場所だった。
……だが、俺と彼女。
そのふたりを考えれば、どうしても外せない場所だから。
なぜならここは――……俺と彼女が出会い、そしてすべてを始めた何よりの想い出の場所だから。
深夜の学校。
そんな場所に来るとは、正直思わなかった。
当然ながらすでに門が閉まり、ひと気のまったくない場所。
……ただ、それでも。
ここだけはどうしても立ち寄っておかなければならないと思っていた。
見上げればすぐそこには、1号館と2号館、そして少し離れた場所に3号館がある。
目の前には、ロータリー。
恐らく、何度となく俺もここから入ったんだろう。
……記憶にはないが、それでも浮かぶ自分の行動。
不思議なモノで、これまで巡ったどんな場所よりも、ここが1番鮮やかに強くイメージを描くことができた。
職員玄関。
生徒の昇降口。
そして――……2号館の1番手前。
その3階に位置するのが、化学室。
俺と彼女は、あそこで出会い、そしてともに歩み始めた。
……つい先日まで当たり前だったように。
それが今では、別々。
違う方向を向いてしまいそうになっている。
だからこそ……なのか。
それで、慌てて今ごろ俺は軌道を修正すべく、彼女と歩んだ道を辿り始めたんだろうか。
俺の気持ちは?
1番肝心で、何よりも大切な根底であるべきそれ。
今ごろになって気付くが、俺にとって彼女が……果たして、どんな存在なのか。
『俺』にとって、彼女は何よりもかけがえのない大切な存在だっただろう。
それらは、こうして今までいろいろな場所を辿って来たことで、よくわかった。
……だが、しかし。
それじゃあ、肝心な今の自分の気持ちは?
ただの罪滅ぼしのつもりでやっているだけなのか。
はたまた、そんな自分の気持ちを確かめるために動いているのか。
…………答えは、2択ではないはず。
ただ、今は。
今の段階ではまだ――……。
「…………」
真っ暗な校舎を見上げ、ふと考える。
ここは『俺』と彼女にとって、何よりの場であった。
ここで、俺は化学を教える教師として。
そして彼女は、そんな俺に教わる生徒として。
年下なんて、これまでまず考えられなかった相手。
1歳でも下なら、まずその幼さばかりが目に付き、どうしてもそういう対象として見れなかった。
……なのに、だ。
俺よりも6つ。
妹よりもさらに1歳年下という点からも間違いなく幼さを感じるはずであり、それでいてあの孝之の妹。
……そんな相手なのに……好きに、なった。
彼女を特別だと思えるように……いや、彼女だからこそそう思えた。
恐らくは、俺にとって生涯ひとり出るか出ないか、の。
「………………」
高校。
ここは、彼女にとって想い出以上の特別な思い入れのある場所だろう。
想い出のリストなどに入りきるはずのないほど、沢山のことが詰まっている場所。
このノートすべてを使っても、恐らくは書ききれないほどの。
……1年、か。
彼女が俺と過ごし築いた、忘れることなど決してできない時間。
なのに、俺は――……。
いつか、忘れるから。
とんでもない愚弄。
ふざけるなと怒鳴られても、手を上げられても、文句など言えないのに。
本当は、きっと彼女も言いたかったんじゃないだろうか。
何がわかるの?
……と。
何も知らないクセに、と。
勝手なことを言うな、と。
……きっと、そう思ったはずだ。
しかし彼女は、声を荒げるどころか、静かに囁いただけ。
アレは……強さ、ではないはず。
恐らく、耐え忍んでいただけ。
俺のことを憎みながら。
それでも――……想ってくれながら。
「…………」
切なげな、つらそうな顔。
俺の前でひどく儚げに見えた彼女の姿を思い浮かべると、苦しくなる。
申し訳ない気持ちで、いっぱいになる。
……ありがたい、な。
なんと言葉で表しても、どんな行動を取っても、表しきることのできないほど沢山の溢れそうな思い。
幸せ、か。
確かにそうだろう。
俺は、間違いなく幸せなヤツに違いない。
諦めてしまっているのに、すぐそばに諦めてない人がいる。
信じてくれている。
思い続けてくれている。
……俺が自分を失わないように、と支えてくれている。
「…………」
彼女は、ここでどんな日々を俺と過ごしたんだろうか。
時に涙し、時に怒りもしただろう。
それでもきっと……恐らく、彼女のことだから。
心底温かくて、心底から喜んでくれている、誇らしげな笑顔が多く溢れていたであろうと思う。
できることならば――……そうであってほしい。
彼女の笑顔は、見ていてこちらまで嬉しくなるから。
……そう。
やっぱり俺は、彼女にいつの間にか惹かれていたんだ。
笑顔が見たくて。
泣いてほしくなくて。
……どれもこれも、俺を要因とした彼女の表情。言葉。動作。
それらで、無意識の内に一喜一憂している自分がいた。
微笑んでくれますように。
もう、傷ついたりしませんように。
……そんなことを、いつしか彼女と会っていない時間に、多く考えるようになっていたんだから。
「…………」
もっと、早く気付いていれば。
そうすれば、彼女をまた深く傷つけることはなかったはずなのに。
……不器用、とは違う。
だが、だからこそ悔しい。
『俺』は、彼女を泣かせなかったんじゃないだろうか。
もっと、スマートにいろいろなことができたんじゃないだろうか。
……そんなふうに、見えない自分に情けなくもいつしか嫉妬することが多くなっていた。
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