忍野村から戻って来るころには、どっぷりと日が暮れてしまっていた。
確かに、正直言えば、あそこに行ったからといって何か特別なことがあったワケじゃない。
何かを思い出したとか、何かに気付いたとか。
そんな目新しい現象が都合よく起きることはなかった。
……だが、それでも。
なんとなく、希望があった。
不思議なもので、まるで何かを吸収という形で取り戻しているような……そんな感じが身体にはあって。
だからこそ、きっと教えてもらった情報を頼りにすべてを回りきれば、そのときは違うことが待っているような気がした。
……なぜか、は言えない。
無論、気のせいかもしれないし、ただの思い込みかもしれない。
でも、それでも。
なぜだかわからないが、そんなゆるぎない自信のようなモノが俺の中には確かにあった。
次に向かったのは、八景島。
――……こんな時間にもかかわらず、未だに灯りが煌々と付いていた。
それを目指すかのように、多くの人々もそちらへと向かう。
すべに水族館などの営業は終わり、公園部分が開島しているのみ。
それでも、不思議なモノで人の流れは止まらない。
……とはいえ、俺も第三者から見れば同じようなモノだろう。
正直いえば、こんな場所にこんな格好でひとりで来るというのは……悩んだ。
時間が遅いため、当然家族連れなどいるはずがない。
だからこそ……悩みは、した。
だが、それでもやはりここに行くというのが重要だと思ったから。
……そう自分に言い聞かせて、車を飛ばした。
「…………」
今はもう閉館してはいるが、ここの水族館。
ここが、彼女と初めてデートした場所だという。
……ただし、ふたりきりではなく、ともにあと2組がいたそうだが……。
それでも、ここに彼女と来たこと。
そのときのことを『俺』が覚えているのならば、感じられるはずだ。
少なくとも、自分にはわからない何かを。
「………………」
そんなわずかな期待にも似た感情を抱き、改めてもう一度景色を見てから車に戻る。
次の場所も、ここからは遠い。
――……そう。
次は、長い間自分にとっての中心だった、平塚だから。
ジャリ、と音がして靴裏に小石の感触があった。
昔から……それこそ何度となく足を運んだ場所。
自宅から歩いて行ける距離にある、神社。
こんな、まさに地元中の地元であるここの夏祭りに、彼女を連れて来たという。
しかも、それだけじゃない。
完璧に身内である泰兄の店や、実家にまで連れていったんだ。
「…………」
本当に、俺にとって彼女が価値のある特別な人だったんだな、ということがわかる。
これまで、どんな人間とも果たさなかったこと。
なのに、こうもあっさりと許しているとは……それこそよほど大切で、恐らくは――……かわいかったんだろうな。
こうして、いくつかの場所を巡ってわかった。
自分にとっても、思い入れのある場所。
そこに彼女という存在をプラスさせて、さらに付加価値を高めているんだから。
「…………」
だからこそ。
それがわかったからこそ、やはり今ここで俺が止まるワケにはいかない。
少しでも何か得られるように。
そして改めて、今の自分が『俺』の思いを汲み取れるように。
わかるように。
――……応えられるように。
彼女に、わずかでも近づくため。
今俺にできることは、やるべきことは、それしかないから。
それだけを目指して、行くべきだから。
――……その後も俺は車を走らせ続けた。
冬瀬から遠く離れた、海。
そのとき泊まった、宿。
模擬挙式を挙げた、あのホテル。
そして――……厚木の市街地。
さすがに車を停めて歩くことはなかったが、それでも何かわかるような……そんな感じがして。
気のせいだと言われれば、何も否定はできない。
だが、それでも。
こうして自分と彼女の辿って来た軌跡をひとつひとつ確かめていくことは、やはりこれまでの何も知らずわからず、手探りどころかある意味目隠しをされたような状態だった俺にとっては、何よりも大きな1歩でもあった。
当時、俺と彼女がどんな話をしたのかはわからない。
どんな表情で、声で、雰囲気で。
彼女とともに歩み、感じ、そして得たモノがどんなことだったのかも、わからない。
……ただ、それでも。
彼女が俺とここに来たことを葉月ちゃんに喋ったということは、そのときの顔が笑顔だったろうから。
となれば当然、そこで起きた想い出の中の彼女もまた、笑顔だったはず。
……だから、だろうか。
ふと目を閉じると、数少ないながらも彼女の嬉しそうな顔が浮かぶのは。
はにかんだような、それでいて心底満たされているような。
そんな、いかにも彼女らしい……表情が。
「…………」
ノートに記された、想い出の共有地。
その残りは、もう少ない。
そして――……それと同時に、明けまでの時間も。
リミットは、もうすぐそこ。
それでも、やはり今だけは何もかも止めてしまうワケにいかない。
不思議なモノで、気持ちと頭だけでなくこの身体にまでも、妙な充足感が満ち溢れているから。
動ける。
やれる。
今ならば……いや。
今だから、こそ。
彼女に辿り着けるまで、あともう少し。
そうすればきっと俺は――……。
「…………」
飲み干したコーヒーの缶をホルダーに置いてから、改めてギアに手を置く。
……ほんの少しだけ。
今のこの状況が、楽しいというか……なんだかそんな気分ではあった。
嬉しい、のかもしれない。
これまで何もわからず、マイナス方向にただ突き進もうとしていた自分が、少しながらも浮上できているような気がして。
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