「おはよ」
「あ。おはよう、羽織」
いつもとほんの少しだけ違う朝。
……のように、思う。自分では。
ベッドから降りてすぐカーテンを開けたら、外の景色がきらきらして見えた。
日の光もいつもと違って、とても眩しくて。
それを見たら、すぐ『いい日だな』って思えた。
がんばろう、って。
今日も1日すてきな日になるから、って。
「……わぁ! おいしそうー!」
ダイニングを通ってキッチンへ行こうとした時、テーブルのお皿へ目が行った。
中でも、甘い香りの漂っているトーストに。
「なぁに? すごくイイ匂いー!」
「ふふ。それね、アーモンドトーストなんだよ」
「アーモンドトースト?」
「うん。ほら、そこの『胡桃亭』さんあるでしょう? そこでね、こんなのがあるんだけど……っていただいたの」
胡桃亭というのは、お兄ちゃんの幼馴染でもある神代さんがオーナーを務めている洋食屋さん。
とってもおいしくて、家族そろってお邪魔したことも何度となくあった。
葉月が貰ったというのは、どうやらジャムが入っているような小瓶らしくて、『アーモンドバターって言うんだって』と見せてくれたガラスの瓶の中には、ピーナツバターのような色のモノが入っている。
「……葉月ってさ」
「ん?」
「すごいよね」
「どうして?」
「だって! このご近所さんからのおすそ分け率、きっとウチで1番高いよ?」
まじまじとそれと葉月とを見比べてから、何度もうなずく。
そうなの。
パン屋さんでいただいたラスクとか、お隣のおばあちゃんから貰ったお花とか。
食べものだけじゃなくて、とにかくいろいろなモノをいただいている。
でももちろん、いただくだけじゃなくて、きちんとお礼を欠かさないでいるから、また……というエンドレスな感じになっているんだけどね。
お兄ちゃん曰く、『律儀でマメ』だそうだ。
でも、それは私も同感。
彼女ほど丁寧な対応をする子は、周りにいない。
『ありがとう』で終わるんじゃなくて、そこから始まるんだよね。
私も見習わなきゃいけないとは思うけれど、葉月の域に達するまでには恐らくとても時間がかかるだろうと思う。
「アーモンドバターかぁ……どんな味なのかな?」
すごく甘くて、でもその中にも香ばしい匂いがあって。
……あ。お腹鳴りそう。
スープを運ぶお手伝いをしながらダイニングテーブルに近づくと、またあのおいしい匂いが漂ってきて頬が緩んだ。
「先に食べよっか」
「えっ。いいの?」
「いいと思うよ? たーくん、ついさっき起きたばかりだから」
私がいつも座る場所に麦茶の入ったグラスを置いてくれた葉月が、自分の椅子を引いてから笑った。
えへへ。嬉しい。
でももしかしたら、じぃっと物欲しげに見ていたのが、わかっちゃったのかもしれないけれど。
「それじゃあ……先に、いただきます」
「ん。召しあがれ」
いそいそと椅子を引いてから座り、両手を合わせて葉月を見る。
真っ先に手が伸びるのは、もちろんトースト。
カリッと焼けているのを感じて、思わずまた笑みが漏れた。
「……っんー! おいしい!」
「……わ。本当だ。おいしいね、これ」
「うんっ! すごく!」
ひと口食べた途端、口の中に今まで食べたことのない味が広がって満面の笑みが浮かんだ。
それだけじゃない。
まるで、すごくおいしいケーキを食べたときの、あのテンションの上がる感じ。
それが身体を駆け抜けて、いつもより高い声が出た。
「おいしいーっ。……んー……なんか、すごく幸せ」
「あはは。そうだね」
「でしょ?」
「うん」
ふた口目を頬張ってから、トーストをお皿へ戻す。
噛めば噛むほど味が出るじゃないけれど、でも、違うとは言えない。
だって、おいしいんだもん。
今まで食べたことのない味で、身体全体が初の味を堪能しているようにすら思える。
バターにいちごジャムもいいけれど、これもいいかもしれない。
ううん、今のところこれがトップ。
……んー……僅差で、かな。
「え?」
ワンプレートで盛り付けられている、サラダと目玉焼、それからカリカリベーコン。
そのサラダにフォークを伸ばしたら、隣に座る葉月がにこにこしたまま私を見ているのに気付いた。
「なぁに?」
「ん?」
「えと……何か付いてる?」
あ、もしかしたらアーモンドバターとか。
慌てて口元に手をやり、指先で拭う。
だけど、どうやらそうじゃなかったようで、少しだけ目を丸くした葉月は笑いながら首を横に振った。
「羽織、すごく幸せそうだなぁって思ったの」
「っ……」
どきり。
ひときわ大きく鼓動が鳴って、かぁっと顔が熱くなる。
と同時に全身が脈打って、どくどくと少しだけ苦しくなった。
「よかった。羽織のそういう顔、やっぱり1番ね」
「……葉月……」
「かわいいもん。とっても」
「っ……ありがと」
なでなで、とまるで小さな子をあやすように頭を撫でられ、照れと苦笑が混じった顔になる。
でも、嬉しい。
そう言ってもらえたことも、何もかも。
ああ、本当にホントなんだなって安心する。
夢じゃないんだ、って。
独りよがりのモノじゃないんだ、って。
私がまた祐恭さんと繋がることができるようになったのは、周りのみんなも認めてくれている、ゆるぎないモノなんだって。
「……えへへ」
「ふふ」
ふたり揃って漏れた笑いは、ちょっぴり気恥ずかしい、でもとっても嬉しいもの。
共有っていうのかな。
私の気持ちが葉月にもリンクしたみたいな気がして、ほんの少し照れくさかったけれど。
「……っわぁ!?」
えへへ、と笑いながら――……ふとリビングの入り口へ目を向けたとき。
そこには、ものすごく怪訝そうな顔をして凝り固まっているお兄ちゃんがいた。
口を『は?』と言いたげな感じに開いたまま、それはそれは訝しげに私と葉月とを見比べている。
「お前ら……アッタマ悪そーに見えんぞ」
「もー! そんなふうに言わなくてもいいでしょ!」
「そうだよ? たーくん。私たち、別に変なことしてなかったんだから」
「いやいやいや。ハタから見りゃ、十分すぎるほどヘンだったぞ」
葉月とともに唇を尖らせるものの、お兄ちゃんは相変わらず瞳を細めたまま首を横に振るだけ。
……ひどい。
でもまぁ、コレがお兄ちゃんだと言えばそうなんだけれど。
「……お。ウマそ」
「今、スープ持って来るね」
「ああ」
ま、なんでもいいけど。
なんて、いつものお兄ちゃんらしい言葉を小さく漏らしたかと思いきや、次の瞬間には、私と同じくテーブルの上にあったプレートへ意識を移していた。
といっても、まだ彼のトーストは焼けていない。
すぐに立ち上がった葉月が、今、キッチンでその支度をしているけれど。
「…………」
「……何?」
「別に」
じー、と何か妙な視線を感じて眉を寄せると、相変わらず肩をすくめてからテーブルにあった新聞を開いて読み始めた。
……もぅ。言いたいことがあるなら、ハッキリ言ってくれればいいのに。
やがて、あの香ばしくて甘い香りが室内に漂ったかと思うと、すぐにお兄ちゃんの目の前にお皿が置かれた。
アツアツできたての、アーモンドトースト。
それを見て、お兄ちゃんが新聞を畳む。
「コレは?」
「アーモンドバターを塗って焼いてみたの。神代さんに、いただいたんだよ」
「麻斗に?」
「うん」
トーストの角を持ってかじってから、いつものように『ふぅん』とひとこと。
そのあと、指についたクリームを舐め取ってから、葉月を見て小さくため息を漏らした。
「……お前、ホントいろんなトコから物貰うよな」
お兄ちゃんがそう言ったのを聞いて、思わず葉月と顔を見合わせて笑ってしまった。
そんな私たちを見て、またお兄ちゃんは『ヘンなヤツら』と眉を寄せたけれど、でも、理由を知らないのはお兄ちゃんだけなんだよね。
兄妹ね、なんて葉月が付け足したのを聞いて、正直なんともいえなかったけれど。
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