「……お兄ちゃん。あんなふうに酔うんですね」
 喋るだけ喋って眠るという、まるで小さな子ども状態に陥った孝之を、葉月ちゃんがなだめすかして2階の自室へ連れて行ったのは……つい今しがたのこと。
 眠ってる、ようで実は寝てない。
 アイツはそういうヤツだ。
 ……それもこれも、葉月ちゃんに対する甘えみたいなモンなんだろうな。
 と思うと、余計アイツが小さな子どもに見えてくる。
「知らなかった?」
「普段、家で飲んだときはあんなふうになる前に、寝ちゃうところしか見たことなかったんです」
「そっか」
 彼女が知らなかった、アイツの姿。
 だが、それは俺にとってもイコールに近い。
 絡むのは知ってる。
 とはいえ、まさか葉月ちゃんにアレほどの態度を取るとは正直思わなかった。
 それほど、彼女は自分をさらけ出せる相手ということか。
 素も素。
 恐らく、アイツ自身の持っている本来の気質。
 近しい友人らも知らない、アイツそのもの。
 ……なるほど、納得だ。
 葉月ちゃんがどうしてアイツのそばにいるのか。いられるのか。
 単純な答え。
 アイツ自身が、どうしても葉月ちゃん自身を必要としてるから。
 ……葉月ちゃんじゃなきゃ、ダメなんだな。
 まざまざと目の前でアイツの本音を見せ付けられて、納得いく部分もあるが、正直戸惑っている部分もある。
 …………それは、俺自身の感情。

 お前、俺のこと好きだろ?

 こんなストレートすぎるセリフ、吐けるはずがない。
 いったい、どの顔をして言えばいい?
 目の前の彼女は恐らく、驚いたように瞳を丸くして困り果てるに決まってる。
 それがわかるのに、どうしてできよう。
「……祐恭さん?」
「ん?」
 もしかしたら、自分で思ってる以上の時間考え込んでいたのかもしれない。
 顔を覗き込まれてそちらを見ると、目が合ってすぐ、彼女が安堵したかのように笑みを浮かべた。
「……え……?」
 その笑みを見た途端、自然と手が伸びた。
 指先で頬に触れ、キレイな顎のラインをなぞる。
「…………」
「…………」
「……あ。……ごめん」
「え、え……あ……いえっ。あの……」
 なんともいえない雰囲気が一瞬漂い、まじまじ見つめてからようやく理解する。
 頬を染め、困ったようにというよりは、恥ずかしそうに慌てて両手を振る姿。
 素直な表現。
 俺にはない、純粋な部分。
「……かわいいね」
「っ……! なっ……ななっ……」
「かわいいと思う。反応とか、なんか……全部」
「……う、きょうさ……」
 さらりと漏れた言葉と同時に、笑みが浮かんだ。
 俺の言葉に対する反応もそうならば、仕草もそう。
 全部、それこそ俺にとってベストな対応すべてを知り尽くしているんじゃないかとすら思う。
「……ん?」
「なんか……恥ずかしいです」
「どうして?」
「ぅ。だ、だって……」
 葉月ちゃんと孝之のいなくなった、まさにふたりきりの状態。
 テレビが消えているせいか音がなく、なんとも不思議な感じだ。
 もちろん、状況でそう感じているだけじゃない。
 彼女とこうしてふたりきりになることを、まだ片手で余裕で数えられてしまう程度しか過ごしていないからというほうが割合としては大きい。
 彼女に触れられるようになって、まだ数日。
 キスをしたとはいえ、俺にとってはまだまだ知らない部分のほうが多い相手。
 どう言えばいいのか考えてしまうのに、どう手を出していいのかなどわかるはずがない。
 泣かれたくはないし、泣かせたくはもちろんない。
 ……どこまで言っていいのか。
 どうすれば喜ばれ、どこまでしたら拒否されるのか。
 何もかもが手探りな状態だからこそ、手が出たのかもしれない。
 ……というのは、逃げ口上。
 試してみたかったワケじゃない。
 もっと、それこそ素直な感情から動かされた。
 目の前の、とても近い距離で微笑んでくれる彼女。
 かわいいと素直に思えて。
 その次に、当然の欲求が顔を出した。

 触れたい、と。

 ……そう素直に。
「明日の午後、遊びに来ない?」
「え?」
「ほら。ケーキ、あるよって……話したよね?」
「……あ……」
 ここに来る前、彼女に告げたことをもう1度口にし、社交辞令ではないことを強めて印象付ける。
 ……そう。
 俺は、彼女と一緒にいたいと思った。
 そうまでして繋ぎとめたかった。
 たとえ、好きじゃない“モノ”で釣るような形だとしても。
「午前中は、少し大学へ顔を出しに行かなきゃいけないんだけど、午後からは空いてるから」
「……いいんですか?」
「もちろん。来てほしいから、言ってるんだよ」
「っ……」
 一瞬、迷いもした。
 当然……躊躇も。
 それでも、彼女に触れたいと思ったのは事実で。
 ゆっくりと髪を撫でるようにした手を、そのまま頬へ当てる。
 まっすぐに。
 ただ、彼女だけを見つめて。
「……来てくれる?」
「はい……っ」
 満面、と呼べる笑みを浮かべた彼女が、静かにうなずいた。
 瞬間、じわりとなんともいえない感情が身体に広がる。
 ……嬉しいモンなんだな。
 自分が知らなかったような気持ち。
 誰かに、受け入れられるということ。
 それが、こんなにも身体に明らかな影響を与えるとは。
「……っ……ぁ」
 もう片手を頬に当て、両手で包むように彼女を引き寄せる。
 ……少しだけ。
 そう気をつけながら距離を縮めると、顔に影が落ちたせいでまっすぐ俺を見つめる彼女の瞳がやけに目立って見えた。
 ……あぁ、そうか。
 俺の影だ。
「…………ん……」
 ゆっくりと、感触を味わうかのようにした口づけ。
 つい先日の、エレベーター内でのモノとはまったく違う。
 ……あのときは、必死だったんだな。
 まるで、今が初めてのキスのようで少しだけおかしかった。
「……は……ん……っ」
 重ねていた唇を離し、角度を変えて再度口づける。
 だが、先ほどと同じただ重ねるだけのモノじゃない。
 ……いや、むしろそれで満足できるほど、子どもじゃないから。
「っ……ん、ん」
 唇を舌先でなぞるように舐めてから、ゆっくりと差し入れる。
 拒否されるかもしれない、という不安がどこかにあったのも確か。
 つい先日のキスは、いったいどこまでしたのか……なんて、覚えてない。
 あのときは、ただ本当に夢中だった。
「……ん……、んっ……」
 柔らかくて、温かくて。
 そんな感触も心地いいが、何よりもときおり漏れる吐息交じりの声が聞きたくて。
 苦しいかもしれない、なんて彼女を気遣う余裕がなく、このままずっと求めてしまいそうになる。
 ……マズいな。
 飽き足りない。
「……ふぁ」
 ようやく解放すると同時に、目に付いた彼女の表情。
 それがたまらなく艶っぽくて、今まで目にしていたかわいらしさの対照のようで、喉が鳴った。
 ……初めて、かもしれない。
 キスのあとの表情で、これほどソソられたのは。
 まるで初めてキスをしたかのように速まっている鼓動を感じて、情けないのが半分。正直だなと思うのが半分といったところだ。
「…………」
「…………」
 一瞬合った視線は、頬を染めて彼女が俯いたことで途切れた。
 恐らく無意識だろう。
 彼女が掴んだシャツに寄った皺が目に入り、なんともいえない気分だ。
 ゆっくりと息をついているのを見て申し訳ない気持ちもあるが、正直に嬉しさもある。
 こんな顔をさせたのは、俺。
 纏っている雰囲気もすべて一変させたのは、俺が口づけたから。
 ……俺の手によって。
 そう思ってしまえば、途端に欲が満たされる。
「……明日」
「え?」
「できれば、昼一緒に食べたいね」
 ぽつりと呟くと、少しだけ驚いた顔をして彼女が面を上げた。
 だが、それも一瞬。
 すぐに柔らかい笑みを浮かべる。
「……はい……っ」
 こくん、とうなずいた彼女にこちらも笑みが漏れた。
 わずかに色づいた頬を知るのは、恐らく俺だけ。
 彼女がどこまで気付いているかはわからないが、やはり優越感がある。
「…………参ったな」
「……え?」
「いや、なんでも」
 今、解放したばかりなのに、つい手が出そうになった。
 そんな自分に半ば呆れつつ、それでも――……。
「っ……」
「……呆れたな、と思って」
「え……?」
「自分が、ね」
 くるん、と彼女をあちらに向かせ、背中からこちらへ倒すように引き寄せる。
 ……手が出るのは時間の問題か。
 素直に身体を預けてくれる彼女に、ついついあれもこれもと欲の芽が出てしまい、いましめるのが半分、従うのが半分。
 ……いや。大半は欲の指示するまま、といった感じだな。
 そう自覚してしまうとやはり情けないモノで、苦笑がまた浮かんだ。


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