「はぁあああぁぁ」
7月も、半ばすぎ。
というよりは、もう下旬も下旬。
8月まであとわずかというところで、私たちはかなり大変な日々を過ごしていた。
「……絵里、大丈夫?」
「だいじょばない」
「絵里ちゃんらしくないのね」
「そう……なのよ。そうなの。そう! はぁぁああああ」
パックのいちごミルクをストローで飲みながら学食の机に突っ伏したままの絵里に声をかけるも、両手をべたりと伸ばして、顔を上げることもなかった。
いつもと同じように学食の冷茶を飲んでいる葉月も、少しだけそんな絵里に戸惑っているらしく、困ったように私を見る。
……でも、困ってるのは私も同じ。
というよりも、正直、1限目は泣きそうだった。
…………。
ううん。泣いた、のほうが正しいかもしれない。
今日は、前期試験4日目。
先週から始まってもう4日目だというのに、まだまだ先が長く感じる。
……それもこれも、やっぱり明日は化学の試験があるからかな。
もちろん、化学だけじゃなくて、物理もある。
すべて、前期の講義でやった内容を暗記して記せば単位は取れると担当の先生たちに言われたものの……難しいものは、難しい。
教育学部でも、物理や化学をやるなんて思わなかった。
とはいえ、小学校の先生ともなれば、ひとりで全教科を教えなければならないんだから、それは当たり前なのかもしれないけれど。
「…………はぁ」
つっぷしたまま微動だにせず、ぶつぶつと独り言をつぶやいている絵里を見て、ため息をふたたび漏らす。
今日の1限は、日本国憲法の試験。
もともと、法律がどうのとか憲法がどうのという講義が苦手だったのに、先生の喋り方がさらに独特で、余計にわけがわからなくなってしまって。
そんな状態で迎えた試験は、やっぱりいい結果になるはずがなかった。
……どうしよう。
単位を落としたりしたら、私はどうすれば。
せっかく、この前期の定期試験さえ終われば、晴れて夏休みに入れるというのに。
…………のに。
「…………はぁ」
「……ん」
「え?」
遠くを見つめたまま何度目かのため息をついたところで、隣に座っていた葉月が小さく声をあげた。
口に当てていた湯飲みをテーブルへ置き、代わりに口元を押さえる。
「……あ」
「あらまぁっ」
ふと顔をあげると、葉月の頭に手を置いているお兄ちゃんと目が合った。
どうやら絵里も気づいたらしく、声がワントーン上がる。
「たっきゅん!」
「……絵里ちゃん。公衆でソレは勘弁してくれ」
きらきらと目を輝かせた絵里を見て、お兄ちゃんが口を“へ”の字に曲げた。
髪を直しながら葉月が振り返り、眉を寄せる。
でも、お兄ちゃんはそんな葉月を気にすることなく、腕を組んで私たち3人をそれぞれ見た。
「今日、憲法の試験だったんだろ?」
「……そうだけど」
「デキは?」
「ん。書けたよ?」
「えぇ!?」
「そうなの!?」
お兄ちゃんに問われた葉月がすんなりうなずいたものだから、絵里と思わず声をあげる。
どうりで今まで葉月が静かだと思ったら、書けたって……できた、ってことだよね。それ。
……うぅ。一緒に住んでいて一緒に勉強したはずなのに、やっぱり葉月とは大きな見えない差があるらしい。
改めて、さらに落ち込む。
「なんだお前。葉月と勉強してたクセにできなかったのか?」
「……だって、あんなに記述欄があるなんて思わなかったんだもん」
「つーか、2問だけだろ? 義務教育とは、なんていくらでも書きようがあんだろが」
「書きようがありすぎるから、悩むの!」
「あっそ」
は、とまるで嘲るように笑った彼に眉を寄せるものの、それ以上は何も言えない。
そう。
憲法の試験は、たった2問だけ。
というか、A4の用紙の表と裏に1行ずつ問題文があるだけで、ほかはすべて記述に使えるようにと真っ白なのだ。
……あんなにいっぱい書けない。
いったい、ほかのみんなはどれくらいの量を書いたんだろう。
結局、大きな文字で思いつくことをすべて並べてはみたものの、半分も埋まらなかったというのに。
「たーくん、もうお昼食べたの?」
「ああ。つーか、お前これから放送じゃねーの?」
「そうだけど……たーくんも?」
「ンなしょっちゅう図書館通信読んでどーすんだよ。わざわざ迎えに来てやったんだから、察しろ」
「そうなの? ありがとう」
ふふ、と笑った葉月を見たお兄ちゃんは、瞳を細めるといつものように悪態をついた。
だけど、葉月はむしろ嬉しそうで。
なんだか、本当に大丈夫なのかなぁと心配になるんだけど……絵里に言わせると、こんな私の心配こそ『いらないもの』らしい。
「じゃあ、ふたりとも。またね」
「あ、いってらっしゃーい」
「あとでねー」
午後は、葉月とは違う講義の試験があるので、次に会うときは“家で”になる。
だからまぁ、『あとで』という表現が正しいかどうかはわからない。
……だけど今はもう、明日の物理と化学のテストのために、もう一度配られたプリントを再復習するしかないんだけど。
「はぁー……」
「ため息つくんじゃないわよ」
「だって……噂だと、物理の先生のテストが結構厳しいって……」
「いいじゃない。すぐに回答貼ってくれて、自己採点できるんだから」
「もぅ! それがプレッシャーなんじゃない!」
ひらひらと手を振る絵里にとっては、そりゃあ悩むような内容じゃないとは思うよ? きっと。
テスト内容を見て、さらりと『まぁこの程度なら丸暗記で平気でしょ』なんて言うんだから。
ううー。
丸暗記すればたしかにいいのかもしれないけれど、私、昔から公式とか覚えるの苦手なんだもん……。
金属のボールが坂を転がる早さとか、実生活でまったく役に立った覚えもないし。
「…………ふぅ」
はぁ、と出そうになったのを慌てて口をすぼめ、小さなため息にする。
すると、頬杖をついた絵里が『アンタねぇ』と苦笑したのが見えた。
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