「しかしまー、最近なんか孝之さん変わった?」
「え?」
「ほら。昨日の昼休み。中庭で見たでしょ? 葉月ちゃんと孝之さんが、ベンチで仲良く逢引きしてるの」
「……逢引き、って……」
 それ、すごく古い表現なんじゃないの?
 でも、かなりわかりやすいからいいんだけど。
「そういえば、そうだね」
 確かに。
 これまでもふたりを学内で見かけることはあったけれど、あんなふうに誰からもよく見える中庭でべったり……なんていうのは、見たことがなかった。
 けれど、昨日……ううん。
 なんか、先週くらいからふたりでいるのをよく見かけるようになったんだよね。
 そのせいか、ちらほら『あの子が瀬那さんの彼女なのかな』なんて声も聞くようになったけれど、お兄ちゃんはもちろん、葉月も特に気にしてるというか……困ってるというか、そんな様子はまるでなかった。
 むしろとても誇らしげに、かなり嬉しそうに、笑うことは多くなったけれど。
「……まー、アレよね。さすがは姫君よね」
「え……じゃあ、もしかして……あれ? お兄ちゃんが王子ってこと?」
 うええ、それはヤダな。
 っていうか、ものすごく似合わなくて眉が寄る。
 一瞬、白馬にまたがって冠と白いマントをつけた彼を想像してしまい、ジュースのパックを落とすところだった。
「馬鹿ねー。孝之さんは、騎士に決まってるじゃないの!」
「いた!」
 頬杖をついてふたりの背中を見つめていた絵里が、ばしん、と勢いよく肩を叩く。
 ……騎士。
 それってもしかしなくても、『ナイト』って読むアレのことだよね。
「……えぇえ……?」
「あのね。アンタは妹だから孝之さんの魅力がなんたるかをわかってないけど、ほんっとーーにすごい人なのよ? あの人は! だもん、葉月ちゃんってば相当幸せになると思うわ」
「そうかなぁ。私は、あんなお兄ちゃんと一緒にいて本当に大切にしてもらえてるのかどうか、毎日不安なんだけど……」
「わかってないわねー、アンタは」
 大げさにため息をつかれたものの、寄った眉はそう簡単に戻らない。
 だけど、絵里はさらに熱く語り始める。
「いーい? いつだって身を呈して姫を守るのが騎士の役目なのよ? 王子よりよっぽど頼りになるし、カッコイイし。だから、孝之さんは騎士なの」
「……なるほど……って、違うでしょ!」
 お兄ちゃんが騎士とか!
 んー、なんかこううまく言えないけど、違う気がする。
 もちろん、王子じゃない。
 ……ってたしかに、葉月のためならなんでもしそうなあたりは、うなずけるけれど。
「あーもー、ほんっとわかってないわねー。これだから、王子寄りはダメなのよ」
「王子?」
「ってほどでもないわね。なんていうのかしら。んー…………あ、あれだ。宰相!」
「……宰相?」
「そう。宰相! なんかこう、いかにも裏で全部牛耳ってますって感じじゃない? 祐恭先生って」
「っな……え!? 祐恭さんのことだったの?」
「ったりまえでしょ。ほかにいないじゃないの」
 私はてっきり田代先生のことかと思ったのに、全然想像してなかった人の名前が出てきて、思わずジュースを噴きだすところだった。
 えぇえ。
 祐恭さんが……宰相?
 しかもそれだけにとどまらず、絵里の口ぶりだと『悪巧みしちゃってるほうの』みたいな。
「もぅ。そんな言い方って……」
「じゃあ、何? 祐恭先生は王子様だとでも?」
「……う。それは……んー……なんか、たしかに違う気もするけど……」
「でしょ?」
 ほらみなさい。
 腕を組んだ彼女がしたり顔で笑い、こっちはもう眉を寄せるしかできなかった。
 それにしても、宰相かぁ……。
 ……うぅ。
 一瞬、そう言われてたしかに国政を手の上で転がす姿を想像してしまい、慌てて首を振る。
「じゃあ、田代先生は?」
「メイド長」
「……え?」
「だから、身の回りのお世話をする人よ」
 さらりといともたやすく言ってのけた絵里に、まばたき3回。
 ていうか…………うう、たしかにそれも想像できるけどね?
 にこやかに『今日の昼食はオムライスです』と給仕してくれる姿が浮んでしまい、考えを振り払うべく手を振る。

「……誰が、なんだって?」

「ぎゃぁああ!?」
「っひゃあ!?」
 ぼそり、と少しだけ困ったような声が背後から聞こえ、絵里がテーブルにあった湯飲みを弾いた。
 中身は飲み干したあとだったからこぼれなかったけれど、カラカラと音を立てて床でコマのように回ってしまい、慌てて拾う――……と、今度は勢いあまってテーブルに後頭部をぶつける始末。
「っつぅ……!」
「え、絵里、大丈夫?」
「……だいじょばない……っ」
 ぐう、と詰まった声でようやく身体を起こしたものの、なんだかとても不服そうな顔で。
 なのに頬がちょっぴり赤くなっているから、かわいさでつい苦笑が浮かぶ。
「やけに楽しそうな顔をしてると思ったら……まさか、俺の噂をしてるとは思わなかったよ」
「や、あの……あのね? 祐恭先生。べべべ別に私たち、何もやましいことはしてなくってよ!?」
「……うん。まぁ、そこまでは言ってないけど……でも、あからさまな態度を見てると納得しちゃいそうだよね」
「違うってば、だから!」
 ぶんぶんと両手を振って『違う』を連呼する絵里を見ながら、彼が手にしていた本を持ち直す。
 クリアファイルに入っているのは、揃っているきれいな紙の束。
 ……う。
 それって、もしかしてテストとかだったりします?
 思わず彼の顔を見つめてしまい、『ん?』と不思議そうな顔をされたことに気づくまで、何秒かかかった。
「でも、どっちみちふたりは“姫君”で変わりないんだね」
「え……」
「な……っ」
 くす、と笑った彼の表情が、一瞬いつもの優しいものと違ったように見えて、小さく喉が鳴る。
 ……似てた、って言ったらいけないんだよね。
 だって、同じ人に変わりないんだから。
「やだもー。まぁね。姫君として扱ってくれてかまわないけど」
「あはは」
 おほほほ、と手の甲を頬につけて甲高く笑った絵里につられるようにして、笑い出す。
 すると、そんな私の一瞬戸惑った表情には気づかなかったのか、彼は『楽しそうだね』と呟いた。


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