「はー……」
「いいよ? やっておくから」
「……ううん、大丈夫」
 玉ねぎの皮をむきながら何度目かわからないため息をついたら、葉月が隣でくすくす笑った。
 明日の化学と物理のテストは、葉月も同じ時間に受ける。
 だけど……なんでこうも余裕というか、にこやかでいられるのかな。
 って、そのあたりはやっぱりできが違うというか……お兄ちゃんに言わせると、『これまでの積み重ね方が違うからだろ』ってことらしいけれど。
 もちろん、ついでに『馬鹿か』と鼻で笑われたのも付け加えておく。
 そもそも、教育学部なのにどうして物理や化学があるのかというと、それはもちろん“小学校の先生”になるため、で。
 だから、内容は小学校の理科レベル……かと思いきや、もう少し上。
 高校レベルとまではいかないけれど、中学の理科1分野並みの内容をこなしている。
 あくまでも、“らしい”という予想でしかないのは、このテストだけはほかのと違ってお兄ちゃんが問題用紙を保存してなかったから、なんだよね。
 はー……。
 私、中学のときも2分野は好きだったけど、1分野は得意じゃなかったんだよね。
 電気分解とか、なんか、あのへんからちょっとつまずき始めたような気もする。
 ……なのに、まさか大学生になってから再びやることになるなんて思わなかった。
 と、それを言えば物理の“てこの原理”とかそのへんも、一緒なんだけど。
「えっと、玉ねぎは薄切りでいいんだよね?」
「うん。半分だけ使ってね」
「はぁい」
 今日の夕食は、煮込みハンバーグとごぼうポタージュに、おくらとお豆腐のサラダ。
 ちなみに、サラダに使われるおくらとプチトマトは、うちの……というか、葉月の家庭菜園から採れたもの。
 庭の一角がきれいになったなぁなんて思っていたら、着々と苗が育ち初めて、今ではほかにきゅうりも採れるほど。
 来年はナスも植えたいね、なんてこの間話しているのを聞いて、驚くと同時に『すごいなぁ』と思った。
 ちなみに、ほかの場所にある“グリーンカーテン”からは、ゴーヤが取れている。
 ……うちで採れない野菜って、そのうちなくなるんじゃないかな。
 私も葉月と一緒にプチトマトのお世話はしたけれど、圧倒的に彼女のほうが手際よくて、そこでもまたお兄ちゃんが『ド素人か』なんて笑ったっけ。
 ……ホント、あの口の悪さは誰に似たんだろう。
 少なくともお父さんは口が悪くないし、お母さんだってそこまで…………ええと、うん、車に乗ってていきなり横から割り込まれたとき以外は悪くないのになぁ。
「バター、入れちゃうね?」
「あ。少し多目に切ってくれる? 半分、こっちのお鍋に入れてね」
「はーい」
 バターナイフを手にしながら葉月を見ると、ミキサーでなめらかにしたスープをお鍋に移していた。
 ごぼうのポタージュ、おいしいんだよね。
 葉月がうちにきてから初めて飲んだんだけど、ごぼうの風味が主張しすぎなくてとてもおいしい。
 こういう形でごぼうを食べることもできるんだなーなんて、本当に感心したほど。
 もちろん、それは私だけじゃなかったみたいで、みんなが『おいしい』と言ってからというもの、葉月は定期的に作ってくれるようになった。
「今日って、みんな遅いんだっけ?」
「んー、さっきたーくんからは連絡あったよ?」
「そうなの?」
「うん。だからもう、じきに……あ。帰ってきたんじゃないかな」
 ハンバーグソースの中へバターを入れ、再度に火にかけ始めたところで聞こえたのは、低いエンジンの音。
 時計を見ると19時を回っていて、まだほかに誰も帰ってないこともあってテレビがついていないせいか、いつもより響いて聞こえた。
「…………あれ?」
 だけど、しばらくして鳴ったのはチャイム。
 お兄ちゃんなら鍵を開けて入ってくるんだから、そんなことしたりしないはずなのに。
「……っ……え」
 不思議に思ってインターフォンを見ると、そこにはありえない人が映っていた。
 ううん、あの……ありえない、なんてことはないかな。
 でも、まさか今日また会えるなんて思いもしなかったから、ついつい駆けるように玄関へ向かう。
「っ……こんばんは!」
 パタパタとサンダルを足先へ引っかけるようにしてドアを開けると、少し驚いた顔を祐恭さんが見せた。
 けれど、それは一瞬。
 すぐに優しく笑われ、胸の奥が少しだけ詰まる。
「えと……どうしたんですか?」
「いや、昼間あまり元気じゃなさそうだったから……ちょっとね」
「っ……え……」
 そう言うと、彼は改めて私を見つめた。
 ということは……つまり、特に何か用事があった、とかじゃないということで。
 ……私のこと、気にかけてくれたんだ。
 まるで特別扱いをしてもらえたような気になって、どうしたって頬が緩む。
「あのっ、よかったら上がっていきませんか?」
「え? いや、でも……もう夕食時だろうし、ここで……」
「えっと、ちょっとだけ……で、いいですから」
 ほんの少しだけ。
 ついそんな期待を込めてというより、わがままな想いが身体を動かし、彼に手を伸ばす。
 ひたり、と触れたのは腕。
 自分の手のひらがよほど熱いのか、彼の肌が少しだけひんやりと感じた。
「どうぞ。瀬尋先生、上がってください」
「……あ」
 ひょっこりリビングから顔を出した葉月が、加勢してくれた。
 お陰で、彼の表情が『それじゃあ』とばかりに緩む。
「じゃあ少しだけ。お邪魔します」
「どうぞ!」
 小さくうなずいた彼の手を引き、先に玄関を上がる。
 それから振り返ると、靴を脱いで揃えた彼と目が合ってすぐ微笑まれた。


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