「つーか、すげー久しぶり。伸びすぎだろ。もう少し自分に気を遣えって!」
「仕方ないだろ? 忙しいんだから。そもそも、誰に迷惑をかけるでもない……」
「そーゆー問題じゃないんだっての。身だしなみは人の基本だろうが」
白を基調とした店内に置かれている、青い革張りの椅子。
目前にある大きな鏡が自身を映している様子は、何度同じ経験をしてもあまり見慣れない。
襟足の伸びた髪を湿らせ、ハサミを入れる。
小気味いいシャキシャキとした音が聞こえる店内には、今のところ自分以外いなかった。
泰兄はいつも、昼休みと称した休憩時間か定休日のときに自分を対応してくれる。
彼が美容師として伯母の跡をついでから、ずっとくり返されていること。
なのに、今日はなんだかやけに久しぶりな気もした。
「前に来たときからもう3ヶ月以上経ってるだろ? お前、さすがに伸びるよ」
「まぁ……そうかもしれないけど。でも、あんな対応されたら来づらくもなる」
「う。何、それ言うか? お前なー。俺だって人並みに気を遣ってたわけだよ? オトナだから!」
「そう言われても……」
前回。
今年になってから……いや、正確には俺の記憶にあるなかでは、と言ったほうがいいか。
春先にあったあの事故からすぐ、スッキリしたいという思いとわけのわからない周りを断ち切りたいとの思いから、ここへ足を運んだ。
だが、あれだけの騒ぎになったんだ。当然、泰兄にも話が回っていたんだろう。
連絡をせずに来たというのもあってか、店に入って目が合った瞬間、彼はあきらかに凍りついた。
カットしてもらっている最中もほとんど口を利かず、あげくの果てにはまるで腫れ物に触るかのような言葉の端々を聞き、さすがに『大丈夫だ』と言わざるをえなかった。
俺はそこまで弱くない、と。
本来、大丈夫な人間が大丈夫なんて言うことはないんだけどな。
なんでもないときに『大丈夫か?』と聞かれたら、『何が?』と聞くのが普通の反応。
そこで『大丈夫だ』と肯定するのは、明らかに平気じゃないヤツのセリフと決まってる。
それでも、言わざるをえなかった。
泰兄があんな顔を俺に見せるのは、あとにも先にもきっとあの一度きりなんだろうな。
実際、今日は事前に連絡したこともあってか、彼は俺がよく知っている飄々とした態度で出迎えた。
もしかしなくてもきっと、どこからかまた話は耳に入ってるんだろう。
俺と彼女の、今の関係が。
「で? 夏休みのご予定は?」
「夏休みって言っても、学生と違って俺は休みじゃないし。それを言ったら、泰兄と同じお盆休みしかないよ」
「それももう言ってる間だろ? で? 今年はどっか行くのか? かわいい彼女連れて」
「……なんでそんなこと報告しなきゃいけないんだ」
「いいじゃん別に。減るもんじゃなし」
「気分の問題だろ?」
やっぱりか。
情報源は、お袋かはたまた紗那か涼か……いや、もしかしたら彼女から直接、とか。
こればっかりは特定できないというか、まぁ、正直そこまでするつもりはないからいいんだが。
気になるのはその笑顔。
やたらと楽しそうな顔なのはいいが、一歩間違うと妄想まっしぐらの危険人物に捉えられかねない。
「まぁ……海とか」
「何! お前が海行っちゃうの!? うわ、似合わねー! なになに、泳いじゃうわけ? てことはあれか? 鵠沼?」
「……どこでもいいだろ別に」
「いや、気になるじゃん! えーー、行くなら俺の知り合いが海の家やってるから、連絡してやるよ?」
「いいって。そもそも、どこに行くかまだ決まってないし」
「なんだよー。とっとと決めなきゃダメだろ? 夏のご予定はお早めに」
まるで自分も参加する予定のような口ぶりで、つい笑いそうになる。
子どもっぽいところも、まだ残ってるらしい。
……まぁ、言いたくなる気持ちはわからないでもない。
昔から、海へ出かけて真っ黒に日焼けするほど遊び倒して……なんて夏休みは過ごしていない。
孝之とツルむようになっても、何度かは海へ遊びにも行ったが、もっぱら街をぶらついていたほうが多い気もする。
そんな俺が、彼女を伴って激混み必至の海なんかへ行くようになるとは、な。
自分でも正直、自分がこうも変わるものかと驚きはする。
……だからこそ、最近は少しずつ納得できてもきたんだ。
あの、部屋に飾られていた“笑顔”で彼女と写真に写る自分も。
「……人って変わるんだな」
「え。何、どうした? ……どうした!?」
ぽつりと呟いたつもりだったが、どうやらきれいに拾われていたらしい。
鏡越しに驚愕する泰兄と目が合ってしまい、なんとも言いようのないいたたまれなさから、反射的につい目を閉じる。
結局、その後も泰兄の斜め方向へと向かったひとりごとは続き、カットが終わるまで目を閉じたままやり過ごすことになった。
――……が、どうやらこれがいろいろな意味でマズかったらしい。
じゃなければ翌日、きっとあんなことは起きたりしなかった。
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