「デジャヴだわ」
「え?」
「たしか、アンタたち去年もこんなことしてたわよね?」
「……何が?」
 包丁ではなく、ピーラーでじゃがいもの皮をむきながら、絵里が私を見た。
 アンタたち。
 そのセリフが聞こえたからか、重たそうな鉄のお鍋を火にかけていた葉月も私を見る。
 ううん、でも絵里はたとえ葉月を含めたことならそんなふうに言ったりしないし、お兄ちゃんが相手の場合もそうは言わない。
 てことは――。
「え? もしかして、祐恭さんとのこと?」
「ったりまえでしょうが!! てか、アンタが今言ったんでしょ!? お泊まりしたのにいたさなかったって!」
「わっ!? 絵里声が大きい!!」
 気のせいじゃないと思うけれど、あたりに絵里の声がこだましたような。
 ざわざわと風で木が揺れる状況なのが、まだ少しありがたいかな。
 だって、今のセリフがほかの人の耳に入ってたら、それはそれでツライもん。
 いたさなかった……はっきりそんなふうに言わなくてもいいのになぁ。
 何も言えず唇を噛むと、絵里は大きくため息をついてから椅子へ座りなおした。
「ったく。ふっつー、付き合っててお泊まりつったら、ヤることヤるでしょ? 子どもじゃないんだし」
「そ、そんなこと言われても……」
「ねえ? 葉月ちゃんも思わない?」
「っ、ごほっ」
「わっ! 葉月だいじょうぶ!?」
「……ん。平気」
 コップを手にしていた葉月が、けほけほと小さく咳こんでから苦笑した。
 無理もない。
 まさかそんなことを振られるなんて思わなかっただろうし。
 そういう意味でいえば、私のせいになるのかな。
 ごめんね、いろいろと。
 そんな思いをこめて葉月を見ると、私と絵里とを見比べてからまた笑う。
「羽織たちは大丈夫だと思うよ」
「え?」
「絵里ちゃんは心配みたいだけど、羽織と瀬尋先生なら大丈夫。ね?」
 いつもとは違う銀色のタンブラーで飲んでいたのは紅茶らしく、木のテーブルへ置いた瞬間ほのかに甘い匂いがした。
 いつもと違う場所。雰囲気。
 だからかな。いつもと同じような会話なのに、違って聞こえるのは。
 そして――絵里や葉月の表情も、違って見えるのは。
「あ。ねえ、キャンプってカレーのほかに何作ればいいの?」
 木陰になっているお陰で、吹いてくる風が心地いい。
 もしかしたらそれは、ここが冬瀬じゃなくて、山梨だからなのかもしれないけれど。

「あーー、やっぱり自然はいいわねー!」
 お盆休みの最後でキャンプに行こうと言い出したのは、絵里だった。
 山梨にある大きな川のそばの、キャンプ場。
 といっても、テントを張って寝るわけじゃなくて、コテージでの宿泊だから、そこまで『いかにもアウトドア』感は出てないかもしれない。
 って、私は今までキャンプなんてしたことないから、何がどう違うのかわからないので、葉月とお兄ちゃん、それに田代先生が話してるのを聞きかじっての情報だけど。
 でも、ホテルと違って、ひとつの大きなログハウスめいたコテージに泊まるっていうだけでわくわくしたし、ウッドデッキでのバーベキューだって聞いたから、それだけでも十分アウトドア感が満載で、私は嬉しかった。
 どきどきする、のと同じかな。
 でも、到着して早々に、やっぱり絵里と田代先生はケンカしちゃったんだけど。
「だから、カレーだって言ってるでしょ!」
「キャンプはバーベキューだっつってんだろ!」
「なんでよ! じゃあどうして宿泊学習でカレー作るわけ!? 私だって焼肉のほうがいいわよ!!」
「あのな!! 宿泊学習とキャンプを一緒にすんなっつーの!! 食い盛りの生徒に肉なんか出したら、いくらあっても足りねぇだろ!」
「てことは何!? カレーっていうか、いわゆるごはんでお腹いっぱいにさせる作戦だから、毎回毎回カレーしか作らないってこと!?」
「誰もそこまで言ってねーだろ!!」
 このコテージには2階もあって、吹き抜けになっているリビングの左右にひとつずつ部屋がある。
 ちゃんとしたベッドも据えつけられていて、ホテルとあんまり遜色ないなぁと驚いたほど。
 簡易ベッドも含めれば3つずつあるから、男女にわかれようって話だったんだけど……荷物を置いた瞬間、階下からそんな声が聞こえて思わず葉月と顔を見合わせてしまった。
 内緒話も、全部聞こえちゃいそうね。
 くすくす笑いながら言った葉月のセリフに、苦笑するしかできなかったけど。
「えっと……結局、どっちもやるんじゃなかったんですか?」
「いや、絵里が言い張るから一応は用意もしてきたけど……かなり肉もあるし、焼きそばだってあるし。そんなに食える?」
「残ったら、明日の朝食がカレーでもいいんじゃないですか?」
「さっすが葉月ちゃん! わかってるわー!」
 家とは違う、かなり隙間のある木の階段をふたりで降りていくと、ソファへ思いきりもたれながら、絵里が拍手。
 それを見て田代先生はため息をついたけれど、私たちに小さく『ごめんね』と笑っていて、相変わらず優しいなぁと思った。
「お。孝之君、いいバーナー持ってるじゃん」
「釣り行くときとか、便利なんすよねー。お湯さえ沸かせれば、なんとでもなるし」
「あー、わかる。米も炊けるんだっけ?」
「一応持ってきましたよ」
 そう言って、お兄ちゃんは小さめのお鍋みたいなものを取り出した。
 ああ……そういえば、何かと理由をつけては出かけてたもんね。
 もしかしなくてもきっと、アウトドアと称した野宿みたいなことも何回かしてるんだろうなぁ。
 ていうか、車中泊はしょっちゅうだっていうのは聞いていたけれど。
「みんなすごいね」
「詳しいですよねー」
 着替えの入ったバッグを車から下ろしてきてくれた祐恭さんが、隣に立って笑った。
 そういえば、彼とキャンプに行った記憶はない。
 ただ、話しぶりからすると、お兄ちゃんや優くんあたりと何回かは付き合ってたみたいだけど。
 きっと、いろんな無茶をさせられてきたんだろうなぁ。
 話が移って、クーラーボックスの保冷がどうのと話しているのを見ながら、『アレはなしだったよな……』などと意味深につぶやいたのは、きっと昔の苦い記憶だろうから。
「あ。そういえば、昨日の買い物って一緒にできたんですか?」
「買い物?」
「えっと……昨日の夜、言ってたじゃないですか。買いたいものがあるんじゃ……」
「…………」
「祐恭、さん?」
「……いや、ごめん。うん、そうだった。……そうだね。あれは……まだ買えてないな」
 どうしてだろう。急にテンションが落ちてしまった気がする。
 ううん、もしかしなくてもこれって私のせいだよね?
 うぅ……ごめんなさい。
 小さくため息をついたのを見て思わず唇を噛むと、何か思いついたように『あ』と口にした。
「ほかに何か必要なものある?」
「え?」
「いや、ソレ買いに行くついでに何かあれば、と思ったんだけど」
 まっすぐに見つめられ、思わずまばたくと、祐恭さんがにっこり笑った。
 う……優しい顔で見られると、わけもなくどきどきする。
 これってやっぱり、昨日の夜のことを無意識のうちに思い出しちゃってるからかな。
 今はもうここにないのに、いちごの甘い香りがほのかにした気もして、さらに慌てる。
 うぅ、もしかしたら顔赤くなってるかもしれない。
 ひとりで勝手に盛りあがって、勝手に戸惑うとか、なんかもう……恥ずかしいなぁ。
「そういえば、すぐそこの直販所にあったよ」
「え? 何がですか?」
「いちご」
「っ……う、祐恭さんっ!」
「ごめん」
 思っていたことを当てられるよりも、ずっとずっと恥ずかしいのはどうしてだろう。
 すごく情けない顔になってただろうなぁ、私。
 もぅ、と唇をとがらせて彼を見ると、くすくす笑いながら髪に触れた。
 その手が優しくて、無性にどきりとする。
 こんなふうに触れられたら、やっぱり思い出しちゃうわけで。
 でも、祐恭さんの買いたい物ってなんだったんだろう……?
 昨日あのとき、甘い時間のなかの提案だったからこそ、よっぽど祐恭さんにとって大切な何かだったんだろうけれど……教えてもらえなかったから、気になる。
 それもあってまじまじ彼を見つめてしまったんだけど、どうやら教えてもらえそうにはなかった。


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