「……ん」
 まぶしい明かりで、開いたまぶたをきつく閉じる。
 どうやらそれを勘違いしたらしく、祐恭さんが小さく謝った。
「起こしちゃった?」
「……え……?」
 身体がやけに重たくて、だるくて。
 髪を耳へかけてくれた祐恭さんを見ると、同じくベッドへ横になったまま小さく笑う。
「……あれ……」
「ん?」
「…………。っ……え、私……!」
 一瞬、この状況がどうなっているのかよくわからず、頭が働かなかったけれど、思い返してみてようやく把握。
 わわっ……わわわっ!?
 いろいろなことがいっぺんにわかりすぎて、思わずうつむくしかできなかった。
 多分私、一瞬だけ意識がなかったらしい。
 いっぱい息を吸いすぎたとか、あの、その、なんかいろいろなことがありすぎて……うん。
 寝てたというよりも、意識が飛んだといったほうが多分正しい状況だったんだろう。
「あ……」
「今日はいろいろあって、疲れたんじゃない? ビンゴではしゃいだみたいだし」
「ちがっ……! そ、あの、あのですね? 私別に、ビンゴでは……」
「楽しそうだったけど?」
「もぅっ! 祐恭さん、意地悪ですよ?」
「意地悪なんだろ?」
「っ……だから、あれは……」
 ふわりとタオルケットをかけてくれた彼が優しいなぁと思ったのは、間違いなかった。
 だけど、次の瞬間また意地悪そうに瞳を細められ、眉がへの字に下がる。
 どうやら、思いのほか機嫌を損ねてしまっているらしい。
 ……でも……それってもしかして、妬いてくれてるってことになるのかな。
 だとしたら、意外な一面を見ることができて、素直に嬉しいんだけど。
「っ……」
 小さく笑ったあとで、祐恭さんが私を腕の中におさめた。
 肌と肌が当たり、今はそれ以上のことをしたににもかかわらず、どきりとする。
 とくん、とくん、と規則正しく響く鼓動は、さっきまでのことが嘘みたい。
 でも、嘘じゃないんだよね。
 しっとりと汗ばんだ肌に髪が張りついて、気恥ずかしさがまたこみあげる。
「今度は、ふたりきりでどこか行こうか」
 祐恭さんの声が少しだけ掠れて聞こえて、ちょっとだけくすぐったかった。
 でも、さらさらと髪を撫でる手つきが優しくて、妙に嬉しい。
「行きたいです」
「……よかった」
 おずおずと上目づかいで彼を見ると、ふっと柔らかく笑った。
 その笑顔、ずるいです。
 ぎゅうっと胸の奥をわしづかみされたような苦しさが心地よくて、改めて私も彼へと腕を絡めていた。

「………………」
「……絵里?」
「ひゃあ!? っ……な、羽織!? ちょお! びっくりさせないでよね!!」
 喉が渇いたというより、ちょっぴり喉が痛いというかでキッチンへ向かおうとしたら、リビングのソファへ思いきり身体を預けた絵里がいた。
 今、ぴょこんって飛び上がったよね。
 心もち顔も赤くて、なんだかかわいい。
「……何よ」
「え? えっと……ちょっと、喉が渇いて……」
「あー、お水ならいっぱいあるわよ。純也がアホみたいに500のペットボトル買い込んでたから」
 こほん、と咳払いした絵里が指差した先には、レジ袋に入ったままのボトルがごろごろと見えた。
 そういえば、お兄ちゃんがやたら飲んでたのもあの水だっけ。
 ……ん。
「そういえば、葉月は?」
「さあ? 見てないけど。部屋じゃないの?」
「んー……寝ちゃったかな?」
「……お風呂も入らないで?」
「え?」
「だって、馬鹿純也まだ入ってるわよ」
「えぇえ!? それって大丈夫なの?」
「……知らないわよあんなヤツ」
「…………絵里?」
「知らない! めんどくさいあの人! ったく、馬鹿じゃないの……っ」
 ぶつぶつぶつ。
 いつもと違って、絵里の言葉には妙にトゲがある。
 顔も赤いままだし、もしかしたらまたケンカとかしちゃったのかな。
 ……うーん。
「葉月ちゃんいないの?」
「っ……」
 足音にまったく気づかなかったせいで、背中にかかった祐恭さんの声に3センチくらいは飛び上がったかもしれない。
 階上の手すりへもたれて私たちを見下ろしているものの、目が合った瞬間なんとも意味ありげに笑われて、かぁっと顔が熱くなった。
「まぁ、孝之も一緒なら心配ないだろうけど」
「……そういえば、孝之さんもいませんね」
「もしかしたら、夜だけバーカウンターができるとかって言ってたし、飲みに行ってるかもよ」
「葉月ちゃんも連れて?」
「一緒なら、ね」
 肩をすくめた祐恭さんが、階段を下りてくるとすぐ水のペットボトルを手にした。
 そのまま半分ほど呷り、デッキへと向かう――と、ひょっこりお兄ちゃんが顔を出した。
「なんだ。まだ起きてたのか」
「……まだそんな時間じゃないだろ」
「あ? あー、それもそうか」
 祐恭さんと入れ替わりにリビングへ入ると、やっぱり同じくペットボトルを手にした。
 ものの、すぐに外へ出てしまう。
「あ。ねぇ、葉月は?」
「え?」
「あ」
「あ」
 肝心の葉月の姿が見えなくて名前を口にした瞬間、さっきのお兄ちゃんと同じくひょっこりと顔だけ覗かせた。
 当然だけどまったく酔っているようには見えない、普通の顔。
 絵里と顔を見合わせてから改めて見ると、不思議そうに首を傾げて『なぁに?』と笑った。
「散歩?」
「え? んー……そうね。ナイトウォークといえば聞こえはいいかな?」
「何それ! 楽しそう!!」
 くすくす笑いながらリビングへ入ってきた葉月に、絵里が勢いよく立ち上がった。
 そのとき、ちょうどお風呂場の引き戸が開いて、田代先生が姿を現す。
「なんだ。みんなここにいたのか」
 がしがしとタオルで髪を拭きながら歩いてくると、絵里が飲もうとした炭酸水を取り上げ、あっという間に口づけてしまった。
 だから――当然、ここから2戦目が始まる。
 喧々と田代先生へかみつく絵里を慌てて止めるものの、そんなことで彼女が静かになるはずはなく。
 結局、葉月が再度『ナイトウォーク』を口にしたことで静まるまでの間、デジャヴとおぼしきやりとりがしばらく続いていた。

「わー! すっごい星!! こんなに見えるなんて思わなかったー!」
 キャンプ場自体も明かりはないため、コテージから出てすぐに星は見えた。
 でも、どうせならもっといい場所がある、とお兄ちゃんが案内してくれたのが、ここ。
 昼間は小さな子たちで賑わっていた、キャンプ場近くの河原だった。
 木々がなく、まるで切り開いたかのように夜空が広がっていて、今にも落ちてきそうなほどたくさんの星がまたたいている。
 冬瀬でも星は見えるけれど、街中が明るいせいで、見えるのは光量の強いものばかり。
 あんなに細かな光りの集まる星までは、当然見ることができない。
「お前、相変わらずよく見つけるよな。こういう場所」
「まーな。つーか、昼間の釣りで十分把握できんだろ? 夜になりゃ、どこでもこんな感じだ」
「でも、水の流れがあるから、すっごい気持ちいいじゃないですか! ここ、いいですよー! もー、さすがたっきゅん!」
「そりゃどーも」
 きゃいきゃいと絵里のテンションが高いのは、くるときに葉月が『流れ星も見えるかもね』というセリフがあったからだろう。
 どうやら、お兄ちゃんと出ていたときに、ふたつほど流れ星を見ていたらしく、今日はそういう日なのかなと意味ありげに笑っていた。
「わっ……と」
「平気?」
「ありがとうございます」
 上を見上げたまま一歩踏み出したところで、ごろんっと足場の石が転がってしまった。
 でも、すぐ隣にいた祐恭さんが支えてくれたおかげで、バランスを崩さずに済む。
「……えへへ」
 天上に輝く月のお陰で、祐恭さんの柔らかな表情が見えるのが嬉しい。
 晴れているからか、月の周りに光の輪も見えて、ますます冬瀬とは違う景色だと実感する。
「あ!」
「え?」
 そっと祐恭さんと手をつないだところで、絵里が東の空を指差した。
 かと思いきや、手を合わせてぶつぶつと何やら唱え始める。
 ……唱えてる、よね。ホントに。
 このポーズ、間違いない。
 絵里には見えたんだ。
「っはー……やっぱ、3回ってのは難しいわね」
 小さく舌打ちが聞こえてすぐ、田代先生がからからと笑った。
「お前なー。まだなんか欲しいモンあるのか? 欲の塊だな」
「んな! 失礼ね。いいでしょ、たまには女子っぽいことしたって!」
「女子って! お前自分で言うなよ!」
「むー!! あーもー、あんたホント台無し! 馬鹿じゃないの!? ……いいえ。馬鹿よ馬鹿!」
「何!?」
 始まってしまった、第3ラウンド。
 でも、さすがにもう慣れたのか、さっきは心配そうな顔をしていた葉月も、何やらお兄ちゃんと夢中に空を見上げている。
 ――……そのとき。
「あっ……!」
 1秒にも満たない短い時間。
 すぅ、と尾を引いて白い光が筋を残す。
 さ……3回は、無理。
 『あ』で終わってしまった、せっかくのチャンス。
 誰ともなしにそちらへ向けた指が、へにゃりと曲がる。
「見れた?」
「祐恭さんも見えました?」
「うん。目の端で」
 つい、とつないでいた手を引かれて彼を見上げると、うなずいてからもう一度空を見上げた。
 今、星が流れた場所。
 あとかたもないけれど、記憶として彼と共有できたのなら、それでいいかなとも思えた。
「……祐恭さん」
「ん?」

「ずっと一緒にいてくださいね」

 流れ星にではなく、彼へ直接願いごとを伝える。
 だって、これがいちばん確かで何よりも叶う方法だと思うから。
 でも、祐恭さんは一瞬目を丸くすると、小さく笑った。
「っ……」
「離してあげるなんて、言わないよ」
 ひじを曲げて、彼が私を見たまま手の甲へ口づけた。
 あたたかな感触と、思ってもみなかった行動に、今度は私の目が丸くなる。

「俺は意地悪だからね」

 つい、と腕を引かれて彼の腕の中へ身体が収まった、次の瞬間。
 含み笑いをした祐恭さんが頬へ口づけ、耳元でそう囁いた。


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