「おはよう」
「……あ、おは――っ……羽織……!? アンタ……っ!」
 ぽん、といつもの調子で絵里の肩を叩き、いつもと同じように笑みを浮かべる。
 だって今日は、月曜日。
 『じゃあね』って別れた金曜日の、続きの日だから。
 いつもと同じ、いつもと変わらない学食。
 そこはいつものように混雑していて、いつものようなメニューが並んでいる。
 ……いつもと、同じ。
 変化したのは、私の周りだけ。
 だから、改めて思った。
 自分ひとりがいなくなったところで、何も変わらないんだ……って。
 ……だから。
 だからこそ、いなくなってしまうわけにはいかない、って。
 何も変わらないからこそ、ここにいて、精一杯の自己主張をしなければ、意味がないから――……そう思えた自分が、少しだけ誇らしかった。
 ……昨日までは、反対だったのに。
 あんなにも、いなくなってしまおうと思ったのに。
 どうせ彼に見てもらえないなら、認めてもらえないなら……受け入れてもらえないならばいっそ、自分もすべてを拒絶しよう、なんて。
 ……そんな滅多なことを考えていた自分が、今日は、いつもと同じような顔をしていつもと同じように大学へ来れた。
 いつもと違うのは、彼の車じゃないということ。
 時間帯も少し違う、黒い、お兄ちゃんの車で葉月と一緒にここに来たという点だけ。
 でも、それ以外はいつもと同じだった。
 この服も、先週着たのと同じ組み合わせ。
 この靴だって、昨日までと同じ。
 教科書を詰めたバッグも、筆箱も、そして――……彼と揃いの、携帯電話も。
 何もかもが、一緒。
 変わったのは、自分の心持くらいだ。
「もぅ。どうしたの? そんな顔して」
 わかってる。
 絵里の気持ちも、言いたいことも、何もかも。
 ……だけど。
 私が表情を曇らせたら、涙を滲ませたら……彼女は、いったいどう思うか。
 どんな顔をするか。
 ……どんなことを考えるか。
 それがわかるから、いつもと同じ私を見せる。
 安心してほしかったから。
 決して、泣いてほしくない。
 絵里にだけは、いつもと同じ彼女の言葉が欲しかったから。
 じゃないと――……私も、間違いなく泣いてしまう。
 それがわかるしそうなりたくないと思ったら、にっこりとした笑みが浮かんだ。
「なぁに? 絵里ってば。……そんな顔して」
 泣いたりしないで。
 眉を寄せたり、つらそうな顔もしないで。
 いつもと同じ、言葉でいい。
 いつもと同じ、眼差しでいい。
 絵里にだけは、そうしてほしいの。
 そんな気持ちを精一杯込めて、少しだけ首をかしげる。
「……羽織……」
「やだなぁ、もぅ。そんな顔してどうしたの?」
 眉を寄せた絵里を見て、涙が滲みそうになる。
 だから笑っていた。
 昨日の夜、久しぶりの自分の部屋で独り、考えてみた。
 私。
 私らしさ、って……私らしいって、いったいなんだろう、って。
 そうしたら、唯一思いついたのがこれだった。

 前を向いて、笑うこと。

 いつだって深く考えられなくて、いつだって生ぬるくて。
 しっかりしてなくて、ちゃんとできたって思っても絶対にどこか抜けてて。
 ……だけど。
 それでも、笑顔でいると……みんなが笑ってくれたから。
 しょうがないなぁって言いながらも、同じような笑みを見せてくれたから。
 だから、私は笑ってるのが1番私らしいんだな、って思った。
 そう、思えた。
 そうしたら……やっぱり笑顔でいなきゃいけない。
 私が泣きそうな顔をしてたら、みんなまで笑えなくなっちゃう。
 ……じゃなきゃ……もっと、私だってつらくなるから。
 でもそれが嫌だから、こうして笑っていることにしたの。
 私らしさ、を守るために。
 だって――……私が私でいなきゃ、彼は彼でいられなくなるって思ったから。
 ……そう……気づいたから。
「私。ちょっとだけど……でも、復活したから」
 腕を曲げて小さく手を握る。
 すると、しばらくしてから心配そうだった絵里の顔がほころんだように見えた。
「決めたの」
「……え?」

「もう、逃げるのはやめるって」

 にっこり笑って、少しだけ首をかしげる。
 ほんの少しだけ。
 でも、こうして笑うと自分も元気が出てくる気がするから。
 ……だから、笑ってなきゃ。
 いつか、笑顔でいる私を好きだって言ってくれた――……彼のためにも。

「…………」
 そんな羽織を見て、にっこりと微笑んだのが葉月だった。
 見ていた……というよりは、『見守っていた』というほうが正しいかもしれない。
 羽織の眼差し。
 そこには、確かな強さがあった。
 ただの優しさじゃない、芯のある強さが。
 昨日までのあの……輝きを失ったものとは違う、明らかに明日を見すえた瞳。
 それが、嬉しかった。
「……羽織、きれいになったね」
 眩しそうに瞳を細めて葉月が呟いたひとことは、大きな意味を持っていたんだろう。
 小さくうなずいた絵里もまた、瞳を潤ませながらも笑みを浮かべていたから。


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