「………………」
 指先に感じる、紙の感触。
 安っぽい、ただ写真が入っているだけの冊子。
 ……だが、彼女にとってみれば――……いや。
 俺たちにしてみれば、大切なモノに変わりないはず。
 値段じゃない。
 金なんかじゃ買い戻せない確かなものが、ここにあるんだから。
 1枚1枚、めくってはなぞるように見ていく。
 確かなモノ。
 それが、これ。
 ……きっと、すべてだと言ってもいいだろう。
 写真だからこそ、偽りはない。
 写真の種類は、様々だった。
 プリントアウトされているモノもあれば、パソコンの中にデータのまま残っているモノもある。
 当然そこにはダブるモノもあったが、むしろ、紙に出てないモノのほうが多い。
 ……どれもこれも、目を閉じそうになるモノばかりであることは言うまでもないが。
 記憶を失くす前。
 それは、本当に数日前までのこと。
 だが、だからこそ信じられない部分がある。
 今の自分は、今、確かに信じられるのに。
 こんな馬鹿な真似と呼んでしまいそうなことを、俺が、していたとは。
 ……そう考えるだけで、落胆する。
 がっかりする。
「…………」
 ……だが。
 こうして何十枚と写真を見ているとたまに感じるモノがあった。
 それが――……デジャヴにも似た感じ。
 どこかで見たことのあるような思いが湧き、妙な気持ち悪さにさいなまれる。
 やめよう、と思ったのもこの1時間弱の間に何度もあった。
 ……それでも。
 今見ているこれらはすべて、彼女との確かな記憶。
 だからこそ、そう簡単に放棄することもできなかった。
 今日見た、あの子の顔が不意に浮かんでくるから。
「……はぁ」
 ひと通り見終わったところで冊子を閉じると、思わずソファの縁に頭をもたげていた。
 多過ぎる、記憶。
 数も、その写真が含んでいる意味も。
 何もかもが、俺には多い。
 ――……と。
「…………」
 そのとき、不意に携帯へ目が行った。
 俺の記憶にある携帯とは違っている機種ながらも、自分が持っているんだからこれが今の俺のものなんだろう。
 いわゆる、カメラ付きの一般的な携帯。
 ……カメラ。
 俺はこれまで、携帯にカメラは必要ないと思うタチの人間だった。
 別に、撮るべき被写体もなければ、必要性も感じなかったから。
 ……なのに、だ。
「………………」
 音を立てて携帯を開き、フォルダを探る。
 するとどうだ。
 そこには明らかに……というよりも、俺が思っていた以上のファイルが存在していた。
 ある意味、愕然とする。
 この、量。
 写真だけでなく、中には動画も収められているようでファイル数が表示されている。
「…………」
 ……今さら、見るも見ないも同じ。
 あれだけ散々見たんだ、別に何か特別なことがあるワケでもないだろう。
 そう思ってから、動画フォルダを開いて見ることにした。
 ボタンを押した途端に出てくる、過去の日付。
 ……だが、俺にしてみれば……どれもこれもある種『未来』の日付なんだがな。
 その中でも、1番古いもの。
 といっても、今年の2月の日付だ。
 ……どうやら、この携帯にしてからそんなに経ってないらしい。
 ――……が。
 何気なく見つめたまま再生しだしてすぐに、なんともいえない気分になった。
「……なんだコレは……」
 画質もさほどよくなければ、音も所々割れていたりして、そこまで良好ではない。
 だが、それでもしっかりと伝わってくる……雰囲気。
 それがなんともいえず、眉が寄る。

『ほら、呼んでよ』

 自分のものとは思えない声が、再生してすぐ聞こえた。

『……う。な……なんで、ビデオなんですか……』
『いいじゃない。記念』
『もぅ。なんの記念ですか?』
『携帯新調』
『……ぅ』

 そこで1本目は途切れた。
 映っていたのは、ずっと彼女の顔ばかり。
 困ったように笑い、首を振り。
 ……だが、彼女は昨日見せてくれたような顔とは比べものにならないほど、かわいくて……楽しそうだったのがひとく印象的だった。
 ――……そして、2本目。

『……ぅ……』
『どうぞ?』
『…………祐恭、さ……』
『んー? 小さくて聞こえないな』
『うっ……祐恭さん……!』
『…………』
『……え……』
『…………』
『えっ……!? な、なんで何も言ってくれないんですか?』
『楽しいから』
『……え?』
『羽織の反応が、楽しくてかわいいから』
『ッ……! 祐恭さん!!』

 くすくすと小さな笑い声まで確かに含まれていた。
 無論それは……自分自身の。
「…………」
 ……いったい、なんだろうコレは。
 自分の知らない、だけど確かな自分の記録。
 正直言って、イイ気分じゃない。
 それどころか、ひどく不安定になりそうだ。
 言うなれば、まるで……そう。
 俺の知らない人格のひとつが、勝手にひとり歩きをしているような。
 そんな、言いようのない気分の悪さがあった。
「…………」
 1度体験したからこそ、そこまでの衝撃は受けないだろうと思っていた。
 ……だが、どうだ。
 こうもまた、あのときと同じ感じが身体に満ちていく。
 あの――……山内さんに貰った、模擬挙式の映像を見たときと、同じ。
 動画っていうのは、こうも写真と違うモンなんだな。
 ……あまりに、自分が揺れ動く。
「………………」
 ……そういえば……こうして、多くの写真や動画などを見ていてやっと気づいたんだが……。

 彼女は今、俺をなんて呼んでいる?

 動画の中では、はっきり『先生』なり『祐恭』なりと、俺を呼んでいるのに。
 それなのに――……あの、昼休みに会ったとき。
 彼女はいったい、俺をなんと表現していただろうか。
「…………」
 記憶にないのか、それとも……呼ばれていないから覚えていないのか。
 どちらだと聞かれれば、恐らく後者を選ぶだろう。
 ……呼ばれていない、んじゃない。
 彼女は、俺を呼んでいないんだ。
「…………」
 気付けなかったことに、今さら後悔する。
 悪いことをしたと――……本気で、思う。
 ……彼女は、俺が思った以上に傷ついているんだ。
 それでも、俺に普通の対応をしてくれた。
 だから、それで安心したのは俺の……落ち度。
 表情が柔らかかったからと、単にそれで安心した。
 その表情の向こうに置き去りにされていた彼女の本音に、まったく触れようとしなかった。
「……は」
 小さく息を吐き、ソファに深くもたれる。
 ……悪いことをした。
 あの子は今も……いや、これからも尚ずっと引きずっていかなければならないんだ。
 俺への、消化できない思いを抱きつづけて。
 責めたいだろうし、なぜだと問いたい気持ちもあるだろう。
 ……それなのに。
「………………」
 眉を寄せて深刻な顔をしていた自分に、ようやく気付く。
 ……と、同時に。
 ここに来て、これまで抱くことのなかった種類の感情が湧き始めているのにも気付いた。
 彼女に対する――……申し訳ない、気持ち。
 すまない、と思う気持ち。
 そんなモノが確かにあった。
 写真、動画。
 ……そして、メール。
 いろいろなモノからわかった、まっすぐに俺だけを想ってくれているという彼女の気持ち。
 優しくて、温かくて……そして、愛しげに。
 自分のすべてを注ぎ込んでくれている、彼女。
 ……過去の俺に対して、あの子は、すべてを捧げてくれていたんだろう。
 愛されている、という簡単な言葉だけでは表現できないほどのモノ。
 それがわかるからこそ、今の『俺』は申し訳なさしかなかった。
「…………」
 あの子を今、限りなく不幸にしているのは俺。
 ……皮肉なモンだな。
 彼女にしてみれば、1番幸せにしてもらいたいヤツであろうに。
「……俺のせい、か」
 口にすると、一層重みが増す。
 努力して戻れるんであれば――……戻ったほうがいいんだろう。
 彼女のためにも、そして俺の周りの人間のためにも。
 ……だが、そうはいかない現実。
 …………現実、か。
 それはすべてがホンモノなんだろうか。
 なんともいえない気持ちを抱えたままながらも、何をしなければいけないのか……何をしたらいいのか。
 その輪郭が少しずつ見えて来たように思えた。


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