「……うーん」
 所属する事務所の、一室。
 その中央テーブルに置いた幾つかのモノを食い入るように見つめながら、時間だけがただ過ぎていく。
 液体が満たされている、ガラスのビー玉みたいなモノ。
 読めない――字が汚いとかそういう意味じゃなくて――文字が綴られた、メモ。
 どこにでも売ってる、ガムの包み紙。
 そして――今ここに出してはないけれど、実弾が数発。
 撮影なんかで作り物は見たことがあったけれど、これはどう見ても本物っぽい。
 重たいし、金属特有の冷たさがあるし。
 それに……。
「…………」
 思い出すのは、あのときの彼の姿。
 彼は確かに、懐から銃を取り出した。
 おもちゃなんかじゃない、本物の。
 ……だとすると、これも本物である可能性が高い。
 だから、これだけは誰にも見つからないように、コートの内ポケットの1番深い場所へ、見つけてすぐしまった。
「……うーん……」
 借りたというか、押し付けられたというか……。
 そんな感じのコートだけが、唯一の手がかり。
 だから、彼に繋がる何かがあるんじゃないかと思って、失礼ながらポケットを勝手に探らせてもらったんだけど、これといって身元に結びつくような物はやっぱりなかった。
「誰なんだろうなぁ」
 広げたノートの上にさらさらと走り書きをしてはやめ、してはやめ、の繰り返し。
 お世辞にも『そっくり』とは言えない彼の似顔絵というか外見を描きとめた線を何度かなぞると、独りでにため息が漏れた。
「うーん。これじゃわからないよねぇ」
「……うるさいなぁ、もー。ほっといて!」
 苦笑というより、どちらかというと憐れみの声が聞こえて顔を上げると、コーヒーを持ってきてくれたルイがいた。
 悪かったわね。絵が下手で。
 ノートを見ながら『あー』とか『うわー』とか言った挙句、『最近の小学生はもっとうまいよ』なんて笑いながら言われて、もう少しでコーヒーをかけてやるところだった。
「あれー? 先輩、まだやってるんですかぁ?」
 語尾をたっぷりと甘ったるく伸ばしながら部屋に入って来たのは、同じ事務所の後輩のアンジュ。
 くりんくりんの髪の毛をふわふわと揺らしながら私の手元を覗き込み、『個性的な絵ですね』なんて笑われたけれど、さすがに慣れた。
 だって、私がこうしてあの彼を探すようになって、早1ヶ月以上が過ぎようとしていたんだから。
「コートだけが唯一の手がかりだなんて、まるでおとぎ話みたい。愛だなぁー。先輩、ひょっとしてその人のこと好きになっちゃったんですか?」
「違うわよ」
「うーん。でもでも、ずっとこうして『シンデレラごっこ』してるんでしょ? 愛がなければできませんよ?」
「……だから、違うったら……」
 目をきらきらさせながら『ね? そうですよね?』と、どうしても恋愛沙汰へ持ち込みたいらしい彼女から視線を外し、大きめに深くため息をついてやる。
 この子は、このテの話が大好きな女の子。
 ちょっとしたことでもすぐに『恋人ですか?』とか『熱愛ですね!』なんて盛り上がりたがる子だけに、もう疲れてしまった。
 この1ヶ月、どれほど弄られたことか。
 本当に、若い子って怖い。
「……で? なんの用なの?」
 頬杖を付いたまま彼女をちらりと見やると、『えー? なんでわかったんですか?』なんて笑いながら、手近にあった椅子を引き寄せた。
 彼女は、割と飽きっぽい子。
 それだけに、何度となく話を聞きに来たこの場所へはもう、用でもなければ来るはずがないのだ。
「ねぇねぇ、先輩ー。聞いてくれます?」
「いいけど……」
 仮にも、彼女はアイドルの端くれ。
 スキャンダル的なことは、ちょっといただけない。
 それに、プライベートなことならばなおさら――なんて思った、とき。
「それじゃ、ボクは仕事があるから」
 ルイが苦笑を浮かべて、席を立った。
「……ん、ごめんね」
「いいよ。何かあったら、また呼んで」
 両手で『ごめん』のポーズをしてからルイに頭を下げ、ドアから出て行くのを見届ける。
 すると、同じように彼を見送ったアンジュが、いそいそと椅子を引き寄せながらすぐ隣にぴったり座った。
「実はぁ……えへへ。あ、ヤダー。なんか、恥ずかしい!」
「……何よ。早く言いなさいったら」
「えー? 先輩、誰にも言いませんかぁ?」
「言わないってば。……だから、早く話す」
 正直、こう言う喋り方をする子は苦手。
 滑舌よくはきはき喋るのが仕事の私としてみたら、なんとなく不協和音を聞かされているようで、あまり気持ちいいものではない。
 彼女は、まさにアイドル。
 歌と踊りと、そしてファンサービスと。
 私とはまったく正反対の仕事をしているから、舌ったらずな喋り方であろうとなんら問題はないのだ。

「実はぁ……アンジュ、彼氏ができちゃったんですー!」

「…………」
「えへっ」
「………………あ、そう」
「えー!? なんですか? その冷たい反応ー! もっと『え、そうなの? よかったじゃない』とか『おめでとう』とか言ってくれてもいいのに!」
 頬杖をついたまま、やたらテンションの高い彼女に口だけで返事をすると、途端に頬をぷーっと膨らませながら、ぽかぽかと私を叩き始めた。
「……あーもー、痛いってばー」
「だってだって! 先輩ったら、アンジュのこと全然構ってくれないんですもん! すっごい寂しいー!」
「あー、はいはい。ごめんごめん」
 片手で彼女を制しながらなだめることに徹し、とりあえず、立ち上がって“ぷんすか!”と実際に言った彼女を再び椅子に座らせる。
 しばらく不満げに唇を尖らせていたけれど、一応は収拾がついた。
 ……ほ。
 やっぱり私、このテの子は苦手だわ……。
 幾つも年が違わらないはずなのにアンジュが小さな女の子みたいに見えて、このあとの会話が容易に想像できた。
「でーですねー?」
「うん。何?」
「……もー。冷たいなぁ、先輩はー」
「…………ちょっと疲れてるの」
「え、そうなんですか? ダメですよ? 疲れは。女優の大敵!」
「んー……わかった。わかったから、続けて」
 力説してくれるのはありがたいけれど、こちらとしたら手短に用件を済ませてもらいたい。
 ひらひらと手を振りながらコーヒーを含むと、ちょっとだけ疲れが和らいだ気がした。
「それでっ! 実は、その彼氏っていうのが……」
「……うん」

「国家機密機関である、『山羊の団』所属の諜報員なんですって!!」

「ぶーーーー!!!」
「きゃぁああぁ!? せ、せんぱっ……なんですか、急に!?」
「げほっ、ごほごほっ、ごほっ……な……っな……!?」
「んもう! 先輩、キチャナイですよぅ!」
「ご、ごめっ……でも……っ……え? 何? や……『山羊の団』?」
「そうですっ! 知りませんか? 先輩。なんでも、IPCOとかにも通じてるらしいですよ? すっごーい! まるで、スパイ映画さながらですよねっ!」
「は……はぁあっ……!?」
 『詳しくは知らないんですけれどね』なんてぺろっと舌を見せられても、こっちだって困ってしまう。
 な……はっ……!?
 何よその、『山羊の団』って!
 思わずコーヒーを全部吹き出して、むせ返った。
 ダサいことこの上ない。
 ……間違いなく彼らとは別物ね。絶対。
 そりゃあ、確かに私だって彼らの組織の本当の名前なんて知らないから、『絶対』だとは言えないんだけど……でもいくら同じ『山羊』が関係あるとしても、なんとなく違うと思う――というか、違っていてほしいという願望から首を振っていた。
「ていうか、その前に。『IPCO』じゃなくて、『ICPO』じゃない?」
「あ、そうとも言いますね」
「そうとしか言わないわよ」
 私の背中を叩いてくれる彼女にため息をついてから訂正を入れ、改めてコーヒーを飲む。
 ……もちろん、片手で汚れたテーブルを拭きながら。
「でっ。実は、明日デートに誘われちゃったんですー」
「ふぅん」
「……うー……。先輩、冷たぁい……」
「だって、普通のことでしょう? 付き合ってるんだったら、デートくらいしてもおかしくないだろうし」
「そうなんですけどー」
 彼女はいったい、私にどんな反応をしろと言うんだろう。
 もっと大げさにしてほしいのかしら。
 ……でも、オーバーリアクションって私の持ち味じゃないのよね。
 オンでもオフでも、やっぱり自然体でいたいというか、正直そこまで感情の波って大きくないんだもん。
「けどーなんか、イマイチ信用できないんですよね」
「それなら、やめればいいじゃない。相手を信用できないのに『彼氏』だなんて……相手にも失礼よ?」
「うー……そうなんですけどぅ……」
 ため息混じりに説き、すっかり冷めてしまったコーヒーを呷る。
 すると、どうやらその言葉が効いたのか、アンジュは押し黙るように軽く俯いたままで動かなかった。
 ……この子、本当に恋愛沙汰が好きだからねぇ。
 このテの話も何度かあったし、危ない目に遭う前に少し気をつけたらいいのに。
 ましてや、今度の彼氏は『本当に危ない人』かもしれないわけで。
 ちょっとキツい言い方だったかもしれないけど……でも、コレくらいのほうが、薬になるわよね。
 黙ってしまった彼女が少しかわいそうな気もしたけれど、これも彼女のため。
 そう思って、何も言わないまま彼女の出方を待った。
「……わかりました」
「ん。そうよ。何事も、いろいろ考えてから行動しないとね。ましてやアナタは一般人じゃなくて、顔も知られている有名じ――」

「明日のデート、先輩が一緒に来てくれればいいんですよね!」

「は……ぁ?」
 ぽん、と手を打ったのを見て何かと思いきや、にっこりと音が聞えそうなほどの満面の笑みとともに、とんでもないことを告げられた。
「え!? ちょっ……ちょっと待ってよ! 何をそんな勝手に。ていうか、あのね。明日は、久しぶりのオフなのよ? それなのに、そんな得体の知れない男とのデートの保護監督だなんて……冗談じゃないわ!」
「えぇえ!? どうしてですか! だって、かわいい後輩なんですよ? もしものことがあったら……。ねぇ、先輩! アンジュが、かわいくないんですか!?」
「う。そっ……それは……。って、だから! それとこれとは関係ないの!」
「関係ありますよ! 大ありです!!」
 一気に、形勢逆転。
 先ほどまでの雰囲気はどこへやら、今度は私の分が悪くなった。
 な……なんでこんなことになるのよ……!
 いくらかわいい後輩とはいえ、さすがにそこまで面倒見てくれなんて言われて、『いいわよ、オッケー』なんて返事できるわけないじゃない!
 それに、明日はようやく取れたお休みで、1日ゆーっくり寝て、のーんびり過ごそうと思ってたんだから。
 掃除だってしたいし、新しいレシピにだって挑戦したい。
 せっかく買ったワッフルメーカーで優雅な朝食を……と思ってたのに、それが棒に振られるなんて……。
「絶対イヤ!」
「えー!? そんなぁ!」
「どうして私が貴重な休みを使わなきゃいけないのよ! 絶対イヤ! 断固拒否!」
「うー、先輩ぃー! 食べたがってたケーキセットご馳走しますから!」
「う……っく、その手には乗らないわよ!」
「じゃあじゃあっ、明日のデートの場所そのお店にしますからぁ!」
「だ……ダメよ、ダメっ! そんなねぇ、食べ物なんかに釣られたりするのは、小さな子まで――」

「明日から限定発売される、紅茶とシフォンのセットも付けますから!!」

「……ッ……!!」
 かわいい顔をして、なんて的を射た言葉のチョイスをするんだろう。
 思わず何も言えずにキラキラと『お願い』な眼差しを見つめ返していたら、喉が鳴った。
 あのお店のケーキ……しかも、限定の紅茶とシフォンまで……!
「…………」
「ね、ねっ? お願いします!」
「……けど……」
「えぇーい! おおまけにまけて、ランチもご馳走しちゃいますよ!」
「くぅっ……!!」
 きゃぴるん、とばかりにウィンクを送られて、ふっと一瞬意識が遠退いた。
 ……さすがは、現『とろけ系』アイドル女王の冠候補。
 いろんな意味で、何か違う。
 っていうか、強い上に……ちゃんと心得てる。
「…………」
「ねっ、いいですよね? せんぱぁーい」
「う……。……わかった……」
「うわあーい! やったやったぁ!! じゃあじゃあっ、明日の朝10時。あのお店で待ってますね!」
「…………はっ!? しまっ……!」
「それじゃ明日、よろしくお願いしまーす!」
「あ、ちょっとアンジュ! ちょっとぉ!?」
 なんて素早い行動なんだろう。
 目の前のご馳走につい目がくらんでうなずいてしまった瞬間、さささっと身を翻して、部屋のドアへと移動したのまでは見えた。
 次の瞬間にはドアが閉まり、跡形もなく姿が消える。
「っ……」
 まさに、秒殺。
 あとには、まるで最初から何もなかったかのような雰囲気だけが漂っていた。
「……ッ……く!」
 あーもう! 私は、なんてことを……!
 どうすることもできずただただ伸ばしたままの手を握ると、情けさと不甲斐なさとでため息が大きく大きく身体全体から漏れた。
 ……私の休日。
 せっかく手に入れた希望の光が、一瞬の内にパアになって逃げて行った瞬間だった。


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