最近になってから、だ。
それも決まってひとりでいるとき、特に感じるようになったものがある。
「…………」
――視線。
誰かに見られているような……というか、見張られているような。
纏わりつくような視線を、たびたび感じるようになった。
「エステルー! お待たせー」
「……もー。遅いわよ、ルイ。10分遅刻」
「えっ!? あれっ……あ! ご、ごめんっ! ボクの時計、壊れてて……」
「そんなの言い訳にならないでしょ? ていうか、今どき壊れるような古い時計使うんじゃないの」
「ごめんっ」
どこにでもある、なんの変哲もない賃貸マンションが大事な我が家。
ここ数年で見慣れた、数十階建てのマンション前にある階段で待っていたら、ようやくルイが車を横づけした。
今までチラりと見ていた方向を意識しないように装いながら、後部座席に乗り込む。
「…………」
ドアが ロックされたのを確認してから窓の外をうかがうものの、やっぱり今日も変わった“何か”は見つけられなかった。
でも……なんか、気持ち悪いのよね。
いつからか続いている、日常の中に現れた“突然”。
スモークが張られてはいるものの、ばっちりと誰かが私の動向を見据えているような気さえして、居心地が悪い。
ゆっくりと滑り出す景色を見ながらも、寄った眉は簡単に戻らなかった。
「エステル、わかったよ!!」
「ん? ……何が?」
「何がじゃないってば! ああもう、僕ってばどうしてこの間気づかなかったんだろう! こんなに有名な会社なのに!」
「だから何が――……っ……ああ!! もしかして!?」
「そう! エステルが探してたアレだよ、アレ!!」
もはや、事務所内での私の定位置と化したソファへ腰かけてコーヒーを飲んでいたら、ルイが蹴飛ばすようにドアから飛び込んできた。
おもいっきりびっくりしてコーヒーをこぼすところだったけれど、踏みとどまれたのは褒めてほしい。
まあ代わりに、読んでた台本を見事にしわ寄せたけど。
ことの発端は、今から数日前。
場所はやっぱり、この部屋だった。
「……え? 山羊?」
「そうよ。山羊!」
その日のスケジュールを確認し終わってすぐ、ルイへ出した“依頼”。
びしりと人差し指をつきつけると、パネルが表示されたままだった手帳をしまいこんでから、目をぱちくりさせた。
「私も自分なりに調べてはみたんだけど、見つからないの」
あの日。
再びサングラスの彼に会ってからというもの、“山羊”の名がつく会社や組織を調べ始めた。
『ジェド』という名前は得ることができたけれど、そのほかの情報は皆無。だからこそ、まったくの手探り状態と言っていい。
でも、例のアンジュの彼氏騒動の件で彼と再会したとき、ジェドはこう言った。
『どこからか得た、「山羊」というキーワード』
あの言葉から、彼らの組織に“山羊”が大きく関わっているとわかった。
辿り着けないかもしれないけれど、辿り着けるかもしれない。
そんなニュアンスのことを話していたから、だったら調べさえすれば何かしらわかるんじゃないかと確信にも似た思いが湧いた。
「だから、お願いっ! ルイの広い情報網を使って“山羊”のつく団体名とか組織名とか……とにかく、なんでもいいのよ! 調べてほしいの!」
突然の申し出に困惑しっぱなしのルイへ、両手を合わせて拝み倒す。
ジェドは、また会えると言っていたけれど、でも、それがいつになるのかは当然わからない。
私としてもできれば早いうちにコートとあの薬を返したいし――何より、できるだけ事件に巻き込まれない形で会いたかった。
「うーん……。まぁ……うん。わかった。エステルがそこまで言うなら、よっぽどの事情があるんだよね?」
「ん。そうなの」
本当のこと――ジェドのことや、彼の組織に関すること――を、もっとも身近で一番の味方であるルイに話せないのは、すごく心苦しい。
だけど、もしも私が話したせいでルイが狙われるようになったら……と思うと、怖くてできなかった。
「……わかった。ボクにできることがあるかわからないけれど、調べてみるよ」
「ありがとう……!! 恩にきるわ!」
「うわぁ!?」
顎に手を当てて考え込んでいたルイが、私を見てしっかりとうなずいた。
それが嬉しくて、たまらず彼に抱きつく。
ルイとはほぼ同じ目線だから、ちょうどこう……抱きつき甲斐があるというか、なんというか。
つい、何かあるたびにハグしちゃうのよね。
「ったくもう。エステルの抱きつきグセは、困るよ」
「でも、こうしていれば、少しは免疫できるわよ?」
「……そうかなぁ……」
胸を押さえるように手を当てて、真っ赤な顔のままうつむくルイを笑うと、『でもなぁ』なんて言いながら困ったように眉を寄せた。
アンジュのようになってくれとは言わないけれど、せっかくこの世界に入って『自分は変わった』と言えたんだから、もっと人生を楽しめるようになればいいのにと素直に思う。
女性と話したり接したりすることが苦手だと言っていたルイに、あえてこちらから積極的にコミュニケーションを図ってきたお陰で、徐々にルイも当たり障りのない対応ができるまでになってきたのは事実。
まだまだ顔を赤くはするけれど、初めて出会ったときのように、初対面の女性に対して1メートル離れないとしゃべれない、なんてことはもうなくなった。
「ま、1日も早くステキな人を見つけなさいね」
「……うー……わかったよぅ」
ぽんぽん、と肩を叩いてウィンクすると、ため息をついたルイが苦笑した。
といってもま、ルイの好みのタイプって聞いたことすらないんだけど。
ああ、アンジュのことは見てるだけで『どきどきする』とは言ってたっけ。
「あ、“山羊”の件もよろしくね」
「わかったってばぁ」
ドアノブを握りながら振り返り、もう一度念入りに告げる。
すると、『エステルはしつこいなぁ』と笑いながらも、ルイは大きくうなずいた。
――あれから、3日。
ルイに頼む以前に、私自身もジェドと再会してから毎日のように新聞や雑誌、そしてネットワークを介して“山羊”に関することを調べてはいたものの、まったくと言っていいほど情報は得られなかった。
だから、ルイに頼んだところで情報が集まるとは正直思わなったんだけれど、でも、私にはないつながりを持っているかもしれない、という淡い期待からの依頼でしかなかったのよね。実際は。
自分で煮詰まってしまった以上、誰かに頼るほかない。
「ほらほら、これだよコレ! ていうか、エステルだって知ってるはずだよ? この会社、すっごく有名なんだから!」
「やー、有名とか無名とか関係ないのよね。私、最近テレビ見ないし」
「わわ! またそうやって……まったく。そういう発言はタブーだからね!」
「あー、ごめんね。つい」
ルイが手にしているのは、すでに何度も繰り返し読んだことのあと、さまざまな会社が格付けされている雑誌。
ご丁寧に目印がされてるってことは、そのページに載ってるってわけね。
おかしーなー。私、結構丁寧に読み込んだつもりだったんだけど……しょせんは“つもり”でしかなかったのかしら。
こういうところ、やっぱりマメだなーって素直に感心する。
もしかしたら見つからないんじゃないかとばかり思っていたからこそ、ルイが持ってきた情報は大きいと思えた。
でも、“有名”という言葉が少しだけ気になるのも事実。
……有名な会社で、“山羊”に関するものなんて……あったかしら。
ルイが意気揚々とテーブルへ広げたページを覗き込みながらも、つい首をかしげていた。
「ほら、エステルも知ってるでしょ? 『ライト・ベラム化粧品』」
「それはまぁ……名前くらいは」
意気揚々と話し出したルイは、きらきらと瞳を輝かせながら熱弁をふるい始めた。
「あまり、CMを大々的に流してる会社じゃないけど……でも、有名どころだよ。一流だと言ってもいいんじゃないかな」
「まぁ……そうかもしれないけど」
「でさ! ほら、思い出してよ。この会社の赤ちゃん製品のブランドが、少し前まで真っ白いふわふわの山羊のCM流してたじゃない! 忘れちゃった?」
「んー。知らない」
「えー!?」
首を傾げてすぐ答えると、ルイがものすごく驚いた。
でも、覚えてないっていうか、記憶にないと言ってもいい。
だって、山羊のイメージが記憶に残ってたりしたら、私だって真っ先に調べるもの。
ネットワークを介して“山羊”って言葉を入れてみても、この会社は引っかかってこなかった。
まぁ、社名に“山羊”が使われてないから、仕方ないのかもしれないけど。
「ほらぁ、すごくかわいい山羊だよー! もこもこの、ふわふわでさ! あ。ほら、確か『山羊のぬいぐるみが当たる!』ってキャンペーンもしてたじゃない!」
「……そう?」
「そうなの!」
あれこれと語られても、ビックリするくらい何も覚えていない。
それどころか、そんなCMがやってたこと自体知らないというか覚えてないというか……。
だから、一生懸命『これをやってた会社だよ』と説明されても、イマイチピンと来なくて、逆に申し訳なくなる。
むしろ、どうしてルイがそこまでその会社を鮮明に覚えているのか、聞いてみたい。
「とにかくっ! ボクが知ってる“山羊”の会社なんて、そこしかないんだよ」
「でも、社名に山羊は入ってないじゃない」
「だけど! 山羊みたいなモチーフのバッジを付けている人が出入りしてるんだもん、違うとは言いきれないでしょ?」
「……今、『みたいな』って言わなかった?」
「う。いや、だ、だからね? モチーフっていうか……とにかく、メインキャラクターなんだよ! 間違いないって!」
「そうかしら……」
「そうなの! ったくもー……。信じないなら、エステル、最初から自分で調べればいいでしょ?」
「う。……だって見つからなかったんだもん」
「じゃあ、信じてみてよ。ね!」
「ん。まあ……そうよね。ありがとう、ルイ」
ルイの説明を聞きながらあれこれと口を挟んでいたら、最後には痛いところをぐりぐりっとものすごく突かれた。
それを言われると、つらい。
だって、いくら探しても自分じゃ見つけられなかったんだから。
なのに、たった数日で探し当ててきたルイは、本当に優秀だと思う。
さすがは、私のマネージャー。
痒いところに手が届く! ……と言っておこうかしらね。
「わかった。ライト・ベラム化粧品ね。当たってみるわ」
「え? あっ……え!? 何? エステル、直接行くの?」
「うん。ちょっと、聞きたいことがあって」
「えぇ!? それならそうで、アポイントは取ってからにしようよ。何かと都合だろうし」
「うーん……まあ、そうよね」
ルイが持っていた雑誌を手に立ち上がった瞬間、ものすごく驚かれた。
……まぁ、それもそうか。
確かに、いきなり出向いて『話が聞きたい』なんて言ったところで、どうにかなるなんて思えないし。
「わかったわ。それじゃあ、アポイント取ってもらえる?」
「ん。了解」
長年マネージャーとしてそばにいてくれているルイのアドバイスを受け、まずはそこだけでも確立しておくことにした。
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