「今日で2学期も終わりか」
「…………」
「……なんだ」
「何、じゃないでしょ。なんでそこで里逸が感慨深げなのかなーと思って」
 お茶碗を手にした里逸が、壁にかかっていたカレンダーを見て独りごちたのが、なんだか妙にらしくなくて。
 や、別に何もおかしなことを言ってるわけじゃないし、それはもっともなんだけど、なんか……ね。
 昨日まで何も言ってなかったのにここで言う? とか思ったら、ちょっとだけおかしくなった。
「……仕方ないだろう。2学期は、いろいろあったんだ」
「だね」
「…………」
「ん?」
「……いや」
 さらりと返事をしたのが、もしかしたらおもしろくなかったのかもしれない。
 里逸って、こう見えて意外にロマンチストなんだよね。
 もしかしなくてもきっと、私が頬を染めて『そうだね』なんて笑ったら、それだけで満足げに笑ってくれたかもしれない。
 ……んー。
「っ……な、んだ」
「2学期、いろいろあったね」
「…………そうだな」
「でも、3学期はきっともっといろいろあると思わない?」
「……まぁ、それは……そうかもしれないが」
「だよね」
 首をわずかにかしげ、髪を指先でいじりながら上目遣いで見ると、一瞬目を見張ってから視線を落とした。
 相変わらず、反応が予測できるけどその顔は好きだから満足。
 2学期の間、たった数ヶ月で人生が大きく転換した。
 3学期はさらに短くなるけれど、だからといってこれ以上大きなことはそうないとは思う。
 ないとは思うけれど……でも、先に待っているのは“卒業”。
 私たちふたりにとって、きっとこれ以上心待ちにしているイベントはないんじゃないかな。
「ねぇ。里逸ってさ、ずーっと英語で喋ることできる?」
「……何?」
 まったく、相変わらずお前は唐突だな。
 わかめと長ネギの味噌汁を飲みながら眉を寄せた里逸に首をかしげると、なぜかため息をつかれた。
 ……え。あれ?
 私、なんかヘンなこと言った?
「え? なんで?」
「なんで、じゃないだろう。何を言い出すんだ、いったい」
 別に、いきなり妙なことを思いついたわけじゃない。
 そうじゃなくて、単に今見てる朝のワイドショーの中で、ハリウッド女優にアナウンサーが英語で質問してるのを見た、っていうだけのこと。
 確かに、ぺらぺら話してるし、訳が入らない会話でくすくす笑ったりしてるから、英語が理解できてる人なんだろう。
 だけど、“超”が付くくらい個人的なことを言えば、里逸の発音のほうがずっとキレイ。
 ついでに、きっと知識だってあるに違いない。
 ……なんて、テレビの中の人に対抗心燃やしても何もならないけど、ついつい反射で考えちゃうんだから、しょうがない。
 ま、こんなこと里逸に言っても、絶対喜んではくれないだろうけど。
「だからね? 1日中、なんでも英語で喋るの。ずっと。いた! とか、やった! とかも、全部。 どうかな?」
「……何を言い出すんだお前は」
「えー。だって……好きなんだもん」
「好き? 何がだ」
「だから、里逸の英語。……えへへ」
「っ……」
 言いながら、ついつい授業中の里逸の声が蘇って、勝手に頬が緩んだ。
 そんな情けない顔をばっちり見られ、ちょっとだけ恥ずかしい。
 ……でも、かえって好都合かもね。
 里逸の、驚いたようなそれでいて照れてる顔が見れたから、個人的には大満足。
「…………」
「…………」
「ねぇ、喋って?」
「……断る」
「えー。なんでー?」
「っ……は……ずかしいだろう、そんなことを言われたら」
「なんでよ、もー。だって、しょうがないじゃん。聞きたいんだもん」
「…………だから……」
 う、なんて言葉に詰まってる顔を見るのも好きだけど、どうせだったらペラペラと自慢げに流暢な英語を聞かせてほしいのに。
 ていうか、ここまで言ったんだから、正直にひとつやふたつやみっつくらい、ペラペラっと喋ってくれてもいいのに。
 ……相変わらず、高鷲家の子女はほんっとーにツンデレなんだから。
「え?」
 いくら、じぃと見つめてても視線は逸らされるわ、もくもくとご飯を食べてるわだから、仕方なく私もごはんの続きを食べるしかなかった。
 ……ものの、ふいに里逸の指先が頬に触れ、顔が向く。
「You have ketchup on your cheek」
「…………」
「…………」
「…………」
「……なんだ」
「何、じゃなくて。そこはスマートに『Can I lick it?』くらい言って、舐めてくれてもいいのに」
「っ……お前は……!」
「ほらー。それも全部英語で言ってってばー」
 キレイな発音が耳元で聞こえ、反射的に期待から目を丸くしたにもかかわらず、視線が合ってすぐ里逸は眉を寄せた。
 そうじゃない、ってば。だから、もー。
 でもまぁ、しょうがない。
 やっぱり、デレが特定のときにしか出ないから、ツンデレなんだろうし。
「You look so delicious」
「っ……」
 耳元で聞こえた、本当に小さな囁き。
 だけど、待って。
 ぺろりと頬に感じた舌の感触のせいもあってか、吐息を思いきり含んでいた声がやたら色っぽく聞こえて鼓動が速まる。
「…………」
「……なんだその顔は」
「だって……もぉ。えっち」
「っ……どうしてそうなる!」
「だって! まさかそんなこと言われるとか、考えないし! しかも朝から!」
 振り返ったら、すぐここに里逸の顔があった。
 危うく、ちゅーするところだったじゃない。
 ……でもまそういう不意打ちは、隙あらばしたい気分でいっぱいだけど。常に。
「I'm horny(えっちしたい)」
「ッ……穂澄!!」
「……言わせたのは、里逸だからね」
「そうじゃない! だから……ッ……お前はいったい、どこで覚えたんだ!!」
「洋画!」
「くっ……まったく、そういうことは覚えなくていいというのに……」
「だって、耳に残るんだもん」
 はぁ、と盛大にため息をついた里逸を見ながら、お茶碗に残っていたご飯をひとくち飲み込む。
 口にしたのは、とびきり大人なセリフ。
 どーだ。
 これで、ちょっとは里逸もどきっとした?
 ……なんて彼の顔を見るまでもなく、再び強く名前を呼ばれたので、今の里逸の心理状態はおもしろいくらいよく伝わってきた。
 

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