「……ね、里逸」
「…………ん」
大人の時間の過ごし方、になるのかな。
処理を終えたあと、ベッドで裸のままごろごろしてる時間って、結構好きなんだよね。
いつだって里逸は『風邪を引く』とか『早く服を着ろ』とか言うんだけど、今日に限っては何も言わなかった。
ベビードールと下着をつけ直しての現在、もしかして結構気に入ってくれてるのかな。
だとしたら、成功と言っていい。
ふ、と音もなく部屋の明度が下がった。
見ると、4つほど火をつけたキャンドルのうち、残っているのはあとひとつだけ。
でも、この薄明かりも悪くない。
いかにも秘密めいていて、なんだかどきどきする。
「子どものころ、サンタさんにお願いした?」
もしかしたら、もう半分眠ってるのかも。
里逸の返事がいつもより小さくて、反応も鈍い気がする。
かくいう私自身もだいぶ眠たくて、まぶたを閉じたままのまどろみの状態だ。
まぁ、そうだよね。
あれだけ喘いでよがれば、相当体力だって消費するに決まってる。
「……穂澄は何を頼んだんだ?」
「んー……」
仰向けになってる里逸の腕を拝借して頭をもたげているからか、角度的にかなりいい感じ。
あー、もしかしてヘタな枕なんかよりもよっぽど首にいいかも。
……なんて思ってたら、大きな手のひらが頭を撫でて髪をすいた。
「大人になれるコンパクト」
「…………何?」
「えー、知らないの? そういうマンガあったんだよ?」
まぁもっとも、里逸は知らないかもね。
でも、悠衣さんとか有里さんとかなら、知ってるかもしれない。
や、わかんないけど。
私だって、小学生のころに見たアニメの再放送だったんだし。
……んー。
あれは再放送って言わないのかな。
きっと、これまでに何回も放送されつくしてるだろうし。
それでも、私にとっては衝撃的でとっても羨ましいモノ。
魔法。
それを使うことができたらどれほど楽しくてどれほどいいかと、毎日のように考えたこともあった。
「早く大人になりたかった」
パパやママみたいに、仕事をして、お金をもらって、好きなことをして――……じゃなくて。
単純に、当時の自分じゃできないことが大人になればできるような気がして、意味もなく大人になりたかった。
だから、中学や高校に入って少しずつ“大人”の階段をのぼり始めたときになって、落胆したんだよね。
ああ、大人ってこんな程度なんだ、って。
幼いころに自分が思い描いていた存在に、年を経たところでなれるわけじゃないんだ、って。
だとしたらやっぱり魔法じゃないとダメなのかなー……なんて考えるわけはなく、経験を積むしかないのか、って考えにはすんなりたどり着いた。
そういう意味では、大人だったんだろうか。
空想や妄想ばかりして夢を膨らませていた同級生は、どうしたってずっと子どもっぽく見えていたんだから。
「……大人になって何をしたかったんだ?」
「んー……わかんない。でも……なんか、大人ってすごい楽しそうなんだもん」
里逸の声が優しくて、なんだかさらに眠くなってきた。
頭を撫でてくれる手があたたかいっていうのもあるんだろうね、きっと。
……もう、目が開かない。
やばい、寝ちゃう。
だからもう、私が興味をそそられるような話を里逸にしてほしいのに。
「……ねぇ、里逸は?」
「ん」
「里逸は何が欲しかったの?」
「…………そうだな……」
吐息混じりに呟いた里逸が、身体をずらした。
腕から頭が外され、かわりにこちらへ寝返りを打った里逸が、手を変えて髪を撫でてくれる。
だから、向き直るようにそちらへ私も身体を向けた。
……大人の顔してる。
私が知らないことをいっぱい知ってる、みたいな顔。
だけど、寝てるときだけはキツさも厳しさもなくて――……ってまぁ、最近の里逸は、少なくとも家でそういう顔しなくなっちゃったけど。
なんか、男の子みたいな顔にも見えるんだよね。ときどき。
とくに、こうして“素”の状態でいるときの里逸は。
「……タイムマシン」
「…………」
「…………」
「……え。ホントに?」
「ああ。……なんだ。いけないのか?」
「や、そうじゃなくて。なんかこう……え、あのさ、もっと具体的なもの欲しがらない? ゲームとかマンガとか、なんかそーゆーやつ」
いきなり聞こえた、まさに耳を疑うような単語で両目がぱっちり開いた。
すっごい、効果覿面。
人間、心底驚くと一気にアドレナリンでも放出されるのかな。
「タイムマシンで、大人になった自分を見てみたかったんだ」
「…………ホントに?」
「ああ。気になるだろう? 将来の自分が、どこで何をしているのか」
この人はいったい、頭がいいのか悪いのか……って、や。まったくもってお馬鹿さんじゃないのはわかってるけど。
だけど。
まさか、よりにもよってそんなマンガみたいな返事をされるとか思わないでしょ? ふつー。
「……自分みたいな人間の隣に、誰かがいてくれるのか…………不安もあったんだろうな」
小さく笑った里逸は、もしかしたら半分くらいもう寝ちゃってたのかもしれない。
『あのころは、ソウが読んでたマンガの影響が大きかったんだぞ』なんて小さく聞こえて、まるで私が知らない里逸と喋ってるみたいな気にもなる。
「もしあのころに戻れるなら……教えてやればいいのか、それとも黙ってるべきか」
「……あのころって?」
「穂澄と同じ、高校生のころだ」
里逸の高校時代は、まったく知らない。
それこそ、写真でさえ見たこともないし、そういえばあんまり話を聞いたこともなかったんだよね。
今度、ちゃんと意識がはっきりしてるときに聞いてみようかな。
高校生時代の里逸は、いったいどんな人だったんだろう。
なんて、想像するまでもなく、真面目でカタブツで曲がったことが大嫌いな生徒会副会長だったんだろうけど。
「……でもさ」
「ん……?」
「多分、高校時代に私と会ってたら、付き合ってないと思うよ?」
だって、ちょっと前までだってそれこそ油と水みたいな関係だったんだから。
私は里逸のことを好きだったけど、絶対的に里逸は私を敵視して大嫌いだったはず。
特に佐々原さんだっけ? あの人とのことを邪魔してたときは、心底憎んでただろうに。
それが――……今ではこんなだよ? こんな。
すっごい優しい顔して笑ってくれるようになるなんて知ったら、当時の私はどんな顔するんだろう。
「どうだろうな……それはわからないだろう?」
「んー……そうかな」
「昔も今も、俺は俺だ。……穂澄に惹かれたから、今の俺がいる」
「っ……」
薄っすら目を開けた里逸が、引き寄せるように私の頬へ手を置いた。
そのまま顔を寄せ、唇に触れる。
短い、まさに“ちゅー”でしかないもの。
だけど、すっごい嬉しくなるのは、やっぱりこの人を好きでたまらないからなんだろう。
「……私だったら、黙っとくかな」
「そうか……?」
「うん」
もしもタイムマシンがあって、当時の私に会いに行くことができたとしても、きっと私は何ひとつ教えてあげない。
自分で考えて、自分なりの結論を出して、自分なりに精一杯努力してほしいもん。
だって、それをしないで『結果オーライだから何もしない』選択をしたら、絶対に未来はバッドエンドに違いない。
何もせずに幸せが向こうからやってきてくれることだけを願っていたら、何も手に入らなくて当然でしょ?
少なくとも、当時の私が私なりに考えて一生懸命動いたから、今の私に繋がったんだもん。
「だって……楽しくて嬉しいことを知っちゃったら、喜びが半減しちゃうじゃない」
大好きな人に振り向いてもらえて、手を伸ばしてもらえた。
今の私のことを当時の私が知ったら、どんな反応するかな。
……って、きっとすっごい喜んで超絶がんばるに違いない。
どんなに嫌な顔をされても、どんなに嫌味を言われても、ばく進するに違いない。
だから、言わない。
やっと手に入った幸せを、『どうだ』とばかりに過去の自分へ見せつけてやるために。
「……そうだな」
くすり、と目の前で笑った里逸の頬へ手を伸ばし、『でしょ』と小さく応える。
こんなやり取りができるようになるなんて、ちょっと前までの私じゃ考えられなかった。
だからこそ、大事にするの。
ようやく手に入れたものをむざむざダメにするなんて、愚かでしかない。
大好きで、大切で、かけがえのない人。
この人がずっとしあわせでありますように。
単純だけど難しいかもしれないこの願いをかなえてくれるなら、今後二度と自分にプレゼントなんてもらえなくてもいい。
……こう思えるようになるなんてことも、当時の自分は知らないことだ。
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