「いやぁあっ……!!」
動悸息切れその他もろもろ。
ひどく息苦しく、不快。
はねのけるように両手を突き出すと、羽毛の掛け布団がベッドからずり落ちた。
どくどくと痛いくらいに鼓動がうるさいだけじゃなくて、べったりと汗をかいているらしく、肌にルームウェアが張り付く。
苦しい。だけじゃない。
……不快感。
気持ち悪さ。
言いようのない、不安。
ぎゅっと胸元をわしづかんでも消えてはくれず、カチカチと時計の秒針の音だけが“今”を告げる。
今が何時かはわからない。
でも、隣にはまだ里逸が規則正しい寝息を立てて横になってるんだから、いつもの起床時刻よりはずっと早いんだろう。
カーテンの端から見える窓の外は、夜と同じ色。
ぼんやりとした外灯の白さが反射して映っているのも、いつもと同じ。
「…………」
もう一度横になろうかとも思ったんだけど、少し動いた途端に冷えた汗がベタついて何よりも気持ち悪かった。
このまま寝るのはやだ。
頭も冴えてしまったことだし、どうせならシャワー浴びたい。
いつの間にそうしていたのか噛んでいた唇をゆっくり離すと、ほんの少しだけ身体から力も抜けた気がした。
「…………」
洗面所の鏡に映っていたのは、少しだけ髪がクセづいた自分。
眠たそうだし、不機嫌そうではあるけれど、間違いなく“宮崎穂澄”が映っていたことに当たり前ながらも安心する。
あんな夢、なんてことないでしょ?
私が私であるのは当然だし、間違いであるはずないのに動揺するなんて。
……やだな。
あれは夢。
だとしても、今年の運だめしとも呼ぶべき初夢。
最初のころはすごく楽しかったはずなのに、起きる直前に見た夢がものすごく感じ悪くてどうしようもない。
やだな。
夢見が悪いなんて、いったいいつぶりだろう。
シャワーだけを浴びて浴室を出て、新しいルームウェアに手を伸ばそうとした――……けれど、すぐそこにあったシャツへ先に手が伸びた。
黒いコーデュロイのシャツ。
本当は洗濯予定だったんだろうけど、まだ洗濯機を回すには早い。
羽織るように引っかけてフローリングを踏むと、冷たいを通り越して痛い。
だから、つま先だけで駆けるように寝室へ戻った。
安心ってなんだろう。
そんなこと考える前に、どうしても里逸のそばにくっついて眠りたかった。
「…………」
私が寝ていたほうに背中を向けて横になっているのを見てから、あえて正面に向かう。
当然、ベッドと里逸の身体との間は隙間がほとんどない。
わかってる。
だけど、どうしてもここに寝たいの。
……わがままでもいいもん。
抱きしめてほしいなんてことは言わないけれど、初夢がサイアクだった私をせめて慰めてくれたっていいじゃない。
ぐい、と無言で里逸の肩を押し、ムリヤリに作ったスペースへ身体を滑り込ませる。
あったかいなぁ、もう。
小さくうめいた声が聞こえた気がしないでもないけれど、ずりずりと確保したスペースはやっぱり心地いい。
「…………」
ぴったりとくっついたまま、里逸の手を取って腰へ。
ムリヤリでもいい。
強引でもいい。
……腕の中にいられるのは、恋人の特権でしょ。
授業中とはまるで違うあどけない顔を見ながら小さく笑みが漏れ、さっきまでのささくれだったようなイガイガな気持ちは小さくしぼんでなくなっていた。
「…………」
いったい、どれくらいこうしていたんだろう。
うとうとすることもできず、頭は眠ることを拒否するかのように冴えたまま。
かといって、起きる選択肢はない。
今が何時かわからないのもあるけど、やっぱり、この場所が思った以上に心地いいんだもん。
……こんなカッコしてたら、里逸はびっくりするより先に怒りそうだけどね。
風邪引くだろうとかなんとか言っちゃって。
すり、とすぐここにある里逸の胸元へ頬を寄せると、鼓動が伝わってくる。
穏やかな拍動は、なんだか不思議。
ていうかそもそも、命ってやっぱり不思議だなって思う。
最初は何もなかったのに、ミクロの世界で物質が結合して、溶け合い混ざり合い、形を成す。
そして、それがいつしか独立して“個”で動き、考え、食事をして、揚げ句の果てには想像もしなかったようなことを言い、そしてまた別の“個体”を宿す。
人間の神秘なんて科学では証明されきっているものかもしれないけれど、やっぱり不思議なものは不思議だ。
“私”はこの世界中のどこを探してもいないんだから。
「……どうした?」
「っ……」
もぞ、と動いた拍子に、大きな手のひらが背中に触れた。
掠れた声で、こっちがびっくりする。
「起きて……たの?」
「……ああ。少し前からな」
どきどきとうるさいのは私の鼓動だけ。
聞こえる里逸の拍動は、まったくリズムを崩してない。
……もぉ。すごいびっくりした。
こうなると、もっと眠れるわけがなくなる。
責任取ってくれるのかな。
ってまぁ……別にいいんだけど。もう、なんでも。
「……やな夢みた」
「夢……?」
「ん」
眠るつもりはさらさらないけど、温かさが心地よくてさらに身体を寄せる。
ぎゅ、と強く抱かれてるわけじゃない。
それでも、この腕を回されている感じはたまらなく安心するし、好き。
ここが私の場所だって思えるから、嬉しいんだもん。
「大丈夫だ」
「っ……」
「……俺がいる」
ぎゅ、と背中にあてがわれていた大きな手のひらが動いた。
うしろから密着するように力をこめられ、片手で簡単に抱き寄せられる。
「もぉ……」
「どうした……?」
「……何よぉ……かっこいいじゃない」
きっと、語尾に何を言ったかはちゃんと聞こえなかったはず。
だって、はっきりなんて恥ずかしくてとてもじゃないけどムリ。
まずそう判断したから、後半はもごもご口の中で呟いた。
里逸は確かに、いつだってスマートだ。
でも、まさか『欲しい』と思ったときに言ってくれるなんて思わなくて。
……やだ、もぉ。
どきどきしてうるさい鼓動が、そのまま伝わったらどうすればいいの?
すっごい恥ずかしくて、顔見れないじゃん。
里逸ってば、全然飾らずに言いきるんだから。
この人くらいなものじゃないの?
まったく恥ずかしがらずにそーゆーくさめなことも言えちゃう人って。
おにーちゃんじゃ、ぜったい言わないと思う。
ってまぁ、お兄ちゃんと里逸とじゃ全然タイプが違うけど。
「……あ……」
大きな手のひらが移動して胸の少し下に触れ、思わず反射で声が漏れる。
だけど、里逸は知ってか知らずか首の下へもう片腕を通すと、何も言わずに抱き寄せた。
「………………里逸?」
「……ん」
「ねぇ……もう起きる?」
「まだ早いだろう……」
「だよね」
少しだけ声が眠たそうなのがかわいいとか言ったら、怒るかな。
それとも、困ったように笑ってくれる?
寝起きの里逸は、いつもとは全然違う。
ちょっとだけ鼻声っていうのもあるのかな。
なんか、今なら全然怒ったりしなそうだし。
「……今度さ、里逸が小さいころ行ってた神社でいいから、初詣に行かない?」
「…………静岡のか?」
「ん。こっちじゃ一緒に行けないけど、向こうなら手つないで行けるじゃん」
ひょっとしてちょっとずつ頭が冴え始めた?
声っていうか、口調っていうかがいつもと同じっぽくて、ちょっぴりつまんない。
でもま、こんなふうにまどろんでいられる時間が好きだから、もうちょっとベッドから出ないからね。
「一緒にお参りして、おみくじ引いて……それから、響くんとカナちゃんにお年玉あげにいこ」
「……そうだな」
なんでそこでちっちゃく笑ったのかはわからないけど、里逸の声が優しかったからそれでいい。
つい、つられるように私も笑顔になっていて、改めていい元旦だなーって思った。
だから――……まだ、もう少し先になる。
『新年早々なんて格好をしているんだ!!』って、里逸が私を見て叱り飛ばしたのは。
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