「……あのですね」
「はいはーい?」
「…………お願いですから、ご自宅へお帰りください」
「えー。だめなんですか?」
「……う。いや……だめというより、これはその……不誠実というか」
「大丈夫ですよ、別に。だってもう大人だし」
「それは……理由になっていないでしょう」
「なってますってば」
けらけらと笑いながら彼の腕を取り、『ねーっ』とばかりに小首を傾げてのアピールにもめげず、里逸は困惑の表情を変えなかった。
瑞穂と鷹塚先生は揃って違う方向に消えていったから、あれはもう間違いなく朝までコース2名様ご案内中。
大人が揃っていなくなるってことは、そういうことだ。
「だーかーらっ。私も仲良くなりたいなーって思って」
「……いや、私は……」
「いいじゃないですかー。……私のこと、嫌いですか?」
「っ……いや、そういう……わけでは」
「じゃあ、こんなふうにしてて……迷惑じゃないですか?」
「…………まぁ」
「やった!」
「ッ……」
目線を落としながらのうなずきを、私が見逃すはずがない。
こほん、と咳払いでもするかのように口元へ手は当てていたけれど、うなずいたでしょ。今間違いなく。
見間違いなんかであるはずないから、ぎゅうっと腕に絡みつく。
イコール、抱きかかえるようなかたちなんだから、胸だって当たってるに違いない。
そりゃまぁスーツ着てるし、ごわごわしてるから直接のあの感じはないだろうけど、これでも十分彼には伝わっているだろう。
……どきどきしてる?
思わずいたずらっぽい笑みが出そうになったものの、ちらりと目線だけでうかがうと、やはり所在なさげに視線をあちらこちらへと飛ばしていた。
「高鷲先生」
なんか、こんなふうに呼んだことないんだよね。
……って、あれ。なんでそんなこと思うんだろ。
まぁいいや。
どちらにしても、私らしくない言葉であり、声。
まるで瑞穂を真似たみたいだなって思ったら、仕草までそれっぽくなるから不思議。
「……今夜はこのまま……部屋に来てくれますよね?」
誘ってはいるものの、断らせるつもりはハナからない。
もしかしたら、彼もそれはわかっているのかな。
わずかに目を丸くはしたけれど、これまでみたいなあからさまな反応はしなかった。
「…………それは――」
「里逸!!」
「……え?」
私をまっすぐ見たまま口を開いた彼が、弾かれるようにそちらを見た。
彼女。
そこには、学園大附属の制服を着ている女の子。
……女の子、なんて表現は生ぬるい。
女。
両手を握り締めてこちらを睨んでいる彼女は、心底怒っているらしく奥歯を鈍く鳴らせてさえいるように見える。
「ちょっと。何してんの?」
「え?」
「え、じゃないし。人のカレシに手ぇ出さないでくれる?」
「…………え?」
つかつか目の前まで歩いてきた彼女が履いてるのは、間違いなくローファー。
なのに、なんでこうも尖った固い音がするのかと不思議なくらい。
でも、それ以上に“彼女”の表情、髪型、背丈、何もかもが自分とあまりにも似すぎていて、妙な既視感を覚えた。
「だいたい、里逸も里逸よ。何? この女。てか、自分ちのそばで堂々と浮気行為とか、なんなの? ケンカ売ってる?」
「違う! そういうわけじゃ――」
「言い訳は聞かない」
吐き捨てるように言葉を遮り、剥ぎ取るように彼の腕を捕らえる。
それこそ、『あ』と口が開くかどうかの瞬間だった。
わずかに口を開いた私をちらりと横目で見ながらも、彼女は何も言わずにきびすを返す。
抱きしめるでもなく、掴むでもなく。
彼のスーツの上着をつまむように先を歩く彼女は、慌てたように何かを言っている彼を振り返りもしない。
「ええと、申し訳ありませんが……失礼します」
「え? あ、ああ、はい。まぁ……ええ」
我ながら、どんな返事よと半ばツッコミはしながらも、お見事としか言えない挙動に内心噴きだしそうだった。
ホントに、この瞬間まではそうだったのよ。
だって、アレは間違いなく“私”。
第三者から見るとこんなふうに威圧感があるっていうか、ものすごく傍若無人なんだなーってことがわかって、ちょっとだけほっとした。
…………のも、束の間。
アパートの階段を上がろうとした彼女がちらりとこちらを振り返った瞬間、表情も空気も何もかもが凍りついた。
「ってか、佐々原さん。しつこいからマジで」
「…………え……?」
睨まれたのは、私。
でも、彼女が口にしたのは私じゃない女の名前。
…………佐々原……?
え。
ちょっ……ちょっと待ってよ。
え、え、え、え……えぇぇえええ!?
「ッ……!!」
ぞわぞわっとものすごく嫌な感じが背中を這い、慌てて近くに停まっていた車のバックミラーを覗く。
刹那、外灯を背に浮かび上がった顔を見て、鳥肌が立った。
そこに映っていたのは、確かに“私”だと思っていた顔ではなく、先日静岡の里逸の実家で見た佐々原さんそのものだったから。
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