「っ……待ってください!」
「……え?」
 目を開けると、目の前にはものすごく慌てる里逸がいた。
 ほっぺたを赤くしてるようにも見えるし、まぁその、いつもみたいに眉を寄せてはいる。
 けど――……。

「先生、大胆だねー」

「…………」
「ん?」
「……あれ。え! 鷹塚せんせ――……と、みぃ!?」
「どーも」
 声のしたほうを見て、驚いた。
 だって、スーツ姿の鷹塚先生が生中片手に笑ってて、その隣には瑞穂までちゃっかりスーツ着てるんだもん。
「……あ、れ……?」
 とかなんとか思ってるうちに、いきなり周りが喧騒に包まれる。
 …………クレープが、ない。
 や、それよりも何よりも、まず店自体が違う。
 いかにも大衆向けの居酒屋ですって感じの店内には、煙草の煙がもうもうとしている。
 茶色い油が染みたようなテーブルと、同じような色の木の椅子。
 並んでいるお皿には、からあげだったり焼き鳥だったりと、いかにもなメニューが揃っており、灰皿には数本の煙草が転がっている。
 ……ああ、なるほど。
 煙の発生源のひとつが、このテーブルだったのね。
 なんて改めて見てみると、私の隣で赤い顔をしながら煙草を吸っている里逸と、『吸おっかなー』とか言いながらライターを片手で弄ってる鷹塚先生の姿が。
「やー、それにしてもすっげぇびっくりした。何? センセ、リーチのこと好きなんだ?」
「先生って……やだもー、なんですかー。私にとったら、鷹塚先生が『先生』ですよ」
「あっれ、もしかしてもう酔ってる? その話、さっきもしてたよ?」
「え、そうですか?」
「うん。そりゃま、昔は俺の教え子だったかもしれないけどさー。だからっつって、同僚になった今は『先生』って呼んじゃいけないわけじゃないだろ?」
「や、それはまぁ……って、え。私、先生なんですか?」
「あー、やばい。完全に酔ってる。……だろ?」
「ですね」
 だろ? とか言いながらすぐ隣に座る瑞穂の顔を覗きこんだ鷹塚先生の目が、やたらとエロく見えたんですけどそれは気のせいですか。
 一瞬のうちに目の前の状況を察知してしまい、にやぁっと口角が上がる。
 あらあらあらあら、まあまあまあまあ。
 このハンパない距離感ってことはもう、今夜はお持ち帰り決定ってことですね? ですよね?
 期待を込めてきらっきらした目で瑞穂を見ていたら、どうやらそんな私に気づいたらしく、目だけで『もー、そんな顔しないで』なんてテレパシーが伝わってきた。
 ……けど、気がするだけだから、やめてあげない。
「え、じゃあじゃあ、しつもーん。鷹塚先生とみぃは、付き合ってるんですか?」
 はいはーい、と小学生並みに腕を耳に当てて挙げると、鷹塚先生が盛大に噴き出した。
 ひとしきりけらけら笑ったあとで、目元を拭いながら、さらに笑う。
 ああ、この人ってやっぱ愛嬌ある人なんだなー。
 カッコイイのはもちろんだけど、なんかこう、人を惹きつけるっていうかぐっとわし掴むような力があるから、一緒にいて楽しい。
「正解は、今日から付き合いまーす」
 ちちち、と目の前で指を振った彼が、ぐいっと瑞穂の首を腕で引き寄せた。
 小さな悲鳴が聞こえたけれど、このまさに“一瞬”の芸当に息を呑む。
 ……やっば。何この人。
 男前すぎて、こっちまでソノ気にさせられるから困る。
 こういうのを、気に当たるっていうのかな。
 なんかこう、無性に身体の奥がうずうずして、いてもたってもいられない感じ。
「えー。みぃを取られたら、私ひとりぼっちになっちゃうじゃないですかー」
「へーきだって。ほら、周りにいろんなヤツいるじゃん。だから、瑞穂俺にくれよ」
「……もー。しょーがないなー」
 彼の口から『瑞穂』と名前が出た途端、どきりとした。
 胸の奥が震え、ぞくりとした何かで笑みが浮かぶ。
「んー……じゃーあー」
 ちらり、と隣へ視線を送ると、煙草を揉み消した彼がグラスに手を伸ばすところだった。
 今、こそ勝機。
「っ……」
「私は、里逸のこともらっちゃうからいいもーんだ」
 ぐい、と彼の腕を取って抱きしめると、胸に当たったのが張本人にはよくわかったんだろう。
 けらけら笑いながら鷹塚先生が『いーぜ、もってけ全部』とうなずいたけれど、ごり押しで『ねーっ?』と見上げた先には、顔を真っ赤にしてそっぽを向いている里逸の姿があった。


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