「んー、おいしー」
 満面の笑みになる幸せ。
 人はどうしておいしいものを食べると、笑顔になるんだろう。
 それとも、笑顔になるからおいしいと感じるのかな。
 おいしいものは、ひとりで食べてもやっぱりおいしい。
 みんなで食べたほうがもっとおいしいかもしれないけれど、こんなふうに目の前をまったく知らない人が行き交うような場所で食べてたって、おいしいって頭は判断する。
 たとえ、すぐ隣にしかめ面をした彼がいても。
「ん?」
 じぃ、ってほどじゃないけど視線を感じて目線だけを這わせると、いぶかしげな顔が見えた。
 ちなみに、彼はクレープを買ってない。
 てことは、食べる気がない……ってことだと判断したんだけど、もしかしたら『本当は食べたいけど買わない』決断をしたのかも。
 とはいえ、物欲しげな目なんて言ったら、それこそすごい勢いで怒り出すだろうけど。
「食べる?」
「っ……そういう意味で見ていたわけではない」
「そうなの? でも、なんか食べたそーだなーって思ったんだけど」
「……別に……」
 もごもごと小さく口の中でさらに言いわけをしてるように聞こえたけれど……そう。
 やっぱり、言いわけに聞こえた。
 だからつい、おせっかいな面が身体を動かす。
「っ……なんだ」
「ひとくち食べて」
「いらないと言っているだろう」
「食べて、って言ってるでしょ」
 ずい、と目の前に食べかけのクレープを差し出すと、それと私とを見比べながら眉をしかめた。
 だけど、そんな顔を見たところで引くわけがない。
 どうやら彼も私の性格がわかっているようで、何度かクレープと私とを見ていたものの、小さくため息をついてから――……持っていた手首をつかんだ。
「っ……」
 今の今まで、それこそ強気な態度だったし、決して曲げるつもりもなかった。
 なのに、瞬間的に感じた大きな手のひらの感触で、ぐらりと身体の奥が揺らぐ。
 ……男の人みたい。
 や、ヘンなこと言ってるのは十分わかってるんだけど、なんか、すごくびっくりした。
 なんとも思ってなかった相手じゃないけど、こんなふうに触れられるとかはまるで想定外。
 ほんのひとかじりだけしてそっぽを向いた彼を見ながら、内心ばくばくと騒ぎ立てる鼓動をどうにもできずに、小さくちいさく呼吸をくり返す。
「……? っ……」
「付いてる」
 ぶっきらぼうな言い方になったのは、意識的にやったわけじゃない。
 指を伸ばして彼の頬に触れたとたん、気恥ずかしさと妙な苦しさとでつっけんどんになっただけ。
 ……だって、すっごいどきどきするんだもん。
 こんなのって、なんだか悔しい。
「…………」
 咄嗟に指で拭い取ってしまった、ほっぺたについてたクリーム。
 さて。
 この所在をいったいどうするのが正解なんだろう。
「…………」
「…………」
「っ……な! みやざ――……ッ……!?」
 ぐい、と指を伸ばしてクリームを唇へ塗りつける。
 途端、嫌そうに驚いたように目を丸くしたけれど、見えたのは一瞬だけ。
 次の瞬間、柔らかな唇の感触とほんのりと甘いクリームの味がして、『キスって甘いじゃん』なんてことを思う。
「な、な……っ……」
 唇の感触が消えたあとでゆっくり目を開けると、それはそれは驚いた――……以上に目を白黒させているような顔が見えて、つい噴き出していた。
 だって、すっごい素直っていうか正直なんだもん。
 この人、やっぱりおもしろい。
 ……ううん。

「欲しい」

「っ……な……」
「里逸が好きなの。だから、彼氏になって」
 ごくり、と音が聞こえた気もする。
 まぁ、なんでもいいのよ。別に。
 どうせ有無を言わせるつもりなんて、これっぽっちもないんだから。
「……ね」
 吐息を含んでの囁きは、彼の胸の奥を震わせてくれるのか。
 やってみなきゃわからないことだらけなのが、世の中。
 ふぅ、と息を吐いて目の前でわずかに首をかしげる私が、彼にはどう見えているんだろう。
「っ……」
「嫌いでもいいから、彼女にして。……そしたら絶対、離れられなくなるから」
 ぐい、とシャツを引っ張り、本当に『目の前』でにっこり笑う。
 私だけを見てくれればそれでいい。
 一度そうすれば、よそ見なんてさせる余地は与えないんだから。
 これはもう、勝負じゃない。賭けでもないから、『負け』はない。
 確定事項。
 あなたはもう私のもの――……でしょ?
 遠いとおい昔、今よりもずっと自分が小さかったころに『先につばつけた』なんて言葉をどこかで聞いた気がするから、今の私の考え方だってきっと間違ってないはずなんだ。


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