「ね、これかわいくない?」
にっこり笑って、手に取ったストラップを向ける。
と、ものすごく低いテンションだとわかるような顔をして、彼はため息をついた。
「その質問はどっちなんだ。聞いているのか、いないのか。理解しかねる」
「……っはー。相変わらず、愛想も何もないのね。ドクターって」
「っ……どういう意味だ」
「え、ごめん。ふつーにそのまんま」
瑞穂と喋るときよりずっと高い声で話しかけてあげたっていうのに、こんな仕打ちをされたんじゃこっちだってテンション急降下。
はあああと盛大にため息をつくと、さすがのドクターも何かを察したのか小さく咳払いした。
けど、もう遅いってわかってる?
一瞬こそが命取り……とは言わないけど、初対面は見た目が肝心なんだからね。
まったく気のない顔をされれば、たちまち印象だって悪くなる。
「それは――」
「あ、ごめん。違った」
「……何?」
ストラップを元の場所へ戻してから、ぽんと手を合わせる。
そのとき浮かんだ笑みが、いつもらしからぬものだからか、さすがの彼も目を丸くした。
「里逸」
「ッ……な……!」
「ごめんごめん。今日はドクターじゃなくて、名前呼ぶって約束だったんだよねー」
「そ、んな約束はしていないだろう……!」
「え。そうだっけ? でもさ、今日は付き合ってる設定にするんだし、だったら名前でよくない?
」
「だから……!」
くりくりと指先で髪を巻きなおしながら首をかしげ、ばっちり上目遣い。
ドクターが、私のこういうあからさまな仕草を好きじゃないのは知ってる。
でも、やらずにはいられない。
だって――……ほら。
ちょっと離れた場所で、学校とはまったく違う雰囲気の鷹塚君と瑞穂が見えるんだもん。
何がなんでも、そっちに行ってもらっちゃ困るわけよ。
そこんとこ、いくら空気が読めないドクターでも、不可侵領域。
「ねー、里逸。おなかすいた」
「な……っ」
「クレープ食べない? さっきからずっと、すっごいいい匂いしてるんだよねー」
「待て! く、宮崎っ……だから、手を……!」
「だーじょぶ。ちゃんとキレイだから」
「そういう問題じゃないだろう!」
問答無用で右手を取ったら、回れ右。
振り返らずに突き進み、いちばん近くの下りエスカレーターへ乗るとちょっとだけ悲鳴が聞こえた気がしたけれど、気にしなくても平気そうなレベルだったからそのままにしていた。
「ちょっと待て!」
「もー。なぁに?」
だけど、どうやら問答無用なのは私だけだったらしく、案の定1階のフロアへ着いたところで勢いよく肩を掴まれた。
だけど、痛いって思わない程度だから、まだまだ優しい。
っていうか、多分それなりに遠慮はしているんだろう。
まがりなりにも、女子の私に対して。
「どうして俺が宮崎と一緒に――」
「穂澄」
「っ……何……?」
「だからー、穂澄だってば。名前。呼んで」
目の前へ人さし指を突き出し、静かに振る。
そのとき、つややかな爪が見えて個人的には満足。
昨日の夜、思い出してちゃんと手入れしたんだけど、間違いなく彼はそんなこと気づいてないしどうでもいいに違いない。
これって、男女の違いなのかな。
手を出したときに『おっ』って思うかどうかだとしたら、まぁ、個人差なんだろうけど。
「……なぜ俺が」
そう言いながらも、ほっぺた赤くなってるって気づいてるのかな。
わかっててやってるんだったら、ヘタな演技者よりもよっぽど使えるけどね。
「ねぇ、里逸」
「っ……」
声を変え、一歩彼に近づく。
なんなら、このまま両手を身体へ触れさせてやってもいい。
ごくり、と喉を動かす前に『う』って聞こえた気がしたけど、それはまぁなかったことにしてあげるね。
「穂澄って、呼んでほしいなー」
あえてゆっくりした調子で呟きながら、もちろん視線は逸らさない。
捕獲って、こうするんだよ?
一度狙った獲物は、まばたきしている間に逃げちゃうんだから。
「……ね、里逸」
ざわつくあたりの喧騒に、かき消されない音。
小さい声で、息をたっぷり含めてはあるけれど、存在感は圧倒的。
ほんの少しだけ首をかしげると、彼の喉元が明らかに動いたのも見えた。
「…………」
「…………」
「…………」
「……つまんない」
待てども、案の定彼が名前を口にすることはなかった。
ていうか、なさそう。
ま、そう簡単にぽろりと呼び捨てできるような人間じゃないのはわかってるけどね。
ましてや、これまで少なからず敵意にも似た感情を抱いていた私みたいな相手じゃ、なおさら。
むしろ抵抗なく『穂澄』と呼び出した時点で、こっちのほうがびっくりよ。
「さ。クレープたーべよっと」
肩をすくめ、すぐそこにあるクレープのお店に近づくと、何よりも甘い香りが鼻についてまた頬が緩んだ。
今日は、クリームも練乳も多めにしよっかな。
個人的に練乳がものすごく好きなんだけど、ソース代わりに使ってるクレープ屋さんはこのお店以外に知らない。
だから、どうしてもここのモールにくると食べたくなるんだよね。
……よし。
イチゴミルククレープにしよう。
この時期の生いちごは酸っぱいかもしれないけど、そのへんは気にしない。
甘い練乳とクリームがカバーしてさえくれれば、問題なし。
バッグからお財布を取り出してカウンターに向かうと、愛想のいい元気なお姉さんがにっこり笑った。
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