「ねーねー。ほずみんー」
「ん? なーに?」
 週明けの月曜日。
 私の機嫌は、それなりによかった。
 だから、突然の数学の小テストでも文句を言わなかったし、ライティングで嫌味をひとつふたつ言われても、にっこり笑顔で『はーい』と返事ができた。
 ……ふふ。
 今の私をあなどるなかれ。
 ひとりでいるとついつい笑みが漏れてしまうほど、気持ちが安定している。
 っていうか、もうね、思い出し笑いしか出てこない。
 ついつい、何度も思い返してはにやけてしまう自分が危険だと思うけれど、でも、素直な反応なんだからどうしようもない。
 朝からみぃに『何かいいことあったでしょ』なんて言われたけれど、満面の笑みで『もちろん』とだけ返しておいた。
 彼女は、勘がいい。
 それに、散々愚痴ったばっかりだったし、詳しい話をしなくても何があったかは察してるはずだろう。
 ちなみに、今朝もばっちり朝からお宅訪問済み。
 さすがに今日はホットミルクを所望しなかったけど、かわりにキスをひとつねだっておいた。
 ……えへへ。
 あのときの顔、思い出すだけでにやけるんだけど。
 やっばい。
 思い返すたび無条件で幸せになれるから、たまらない。
 今日もこのあとすぐの授業で、里逸と会える。
 さすがににやけ全開で受けるわけにはいかないけど、授業は授業で別格なんだよね。
 だって、最近じゃ授業中のああいう厳しい表情を、プライベートではなかなか見ることもなくなってきたから。
 ……みんなは知らない。
 私が、里逸にああいう顔をさせてることを。

「ねー。カレシ、いつになったら紹介してくれるのよー」

「…………」
「…………」
「……ん?」
「ん、じゃなくて!」
 リーディングの教科書とノート、それに使い込んで端っこがぼろぼろになりはじめている辞書を机に出してから、しっかり首をかしげる。
 すると、話を持ちかけた友達が唇を尖らせた。
「ほらー。後夜祭でぶっちゃけたじゃん! 冬瀬のカレシ!」
「……冬瀬…………」
 そう言われてもピンとこないのはしょうがないよね。
 だって私、冬瀬高になんてカレシいないもん。
 あ。
 そういえば里逸って、どこの高校出たんだろう。
 この辺だったら冬瀬かなーとは思うけど、実際はよくわからない。
 もしかしたら、もっとランクのいいとこかもしれないし、某有名私立かもしれないし。
 そういえば、そういう話ってまだしたことないんだよね。
 今度、改めて聞いてみようかな。
「ちょーカッコよかっただけじゃなくてさー、みんなの前でほっぺにチューしたじゃん!」
「んー? えー、そんなことし――……あ」
「ほらぁ! 隠さず言いなさいよっ!」
 うりうり、と指で腕をつつかれながらも、平然とした顔のまま。
 だって、私が考えている“カレシ”と彼女が考えている“カレシ”はイコールじゃないから。

「もしかして、みーくんのこと?」

「っ……」
「そう! その子!」
 顎に人さし指を当てて考え込んだままでいたら、やっと名前が思い浮かんだ。
 そういえば、そんなこともしたんだっけ。
 途端に黄色い悲鳴があがって、あれはあれでとても楽しかった。
「ん? どしたの? 瑞穂」
「え? あ……ううん。別に」
 ぽん、と手を打って『みーくん』を口にした途端、隣の席の瑞穂がペンケースの中身をばらまいたらしく、慌てた様子で拾い集めていた。
 らしくないなーなんて笑われているのを見ながら、こっそりほくそ笑む。
 すべてを知ってるのは、私だけ。
「…………」
「…………」
 目が合ってすぐにっこり笑みを見せると、みぃは反対に視線を逸らして唇を一文字に結んだ。
「みーくんねー、最近忙しいらしくてー」
「え? じゃあ、何? ほずみん、ほっとかれてるってこと?」
「うん。なんかねー、ちょっと弄ばれてる感じあるしー」
 机に“の”の字を書きながら頬杖をつき、わざとらしく話を続ける。
 みーくん。
 私がそう呼ぶ他称“宮崎穂澄のカレシ”は、瑞穂以外誰も本当のことを知らない人だ。
 夏休み明けの9月に行われた文化祭の後夜祭の目玉“イケメン決定戦”で登場した、全校生徒どころか先生方も誰も知らない私だけの知り合い。
 いきなり登場してすぐさま“優勝”をかっさらった彼に私が抱きつき、ほっぺにチューまでしたことで、『宮崎穂澄のカレシらしい』という噂が勝手に歩き始めちゃったけど、実際は……まぁ全然違うんだけどね。
「なんかー、デートしてもほかの子をちらちら見てたりとかー。こないだなんて、ファミレスでひとりぼっちにされたんだよ? ひどくない?」
「うっそ! え、何? もしかして、そういうプレイとかある?」
「プレイじゃないでしょー。まぁ、なんていうか……S? な感じはたしかにあるけど」
「きゃー! やだ、まじで! ちょっ……ねぇ、もう少し詳しく聞かせてよ!」
「もー。なんでそんなにテンションあがるかなぁ」
「だって、ほずみんのカレシでしょ!? ちょー気になるじゃん!」
 気になるっていうか、単に新着情報1番乗りしたいだけじゃないの?
 とは思うけれど、にこにこしたまま何も言わない。
 ほら、今の私はかなり幸福度高めだから。
 今なら、わりかしかなり無条件で理不尽な扱いをされても、許せちゃうかもしれない。
「まぁね? 別に、減るもんでもないから、教えてあげてもいいんだけど」
「ホント!? やった! じゃあじゃあ、みーくんとどこで知り合ったの?」
「みーくんと? へっへー。実はねー、みーくんと知り合ったのは冬瀬の文化祭――」

「いつまで話してるんだ」

「っ……」
「うわ、ドクター!? やっば!」
 突然聞こえた愛想皆無の声で、身体が震えた。
 でも、それは私だけじゃなくて、目の前で好奇心満々の顔をしていた彼女もそう。
 弾かれるように振り返ると、それはそれは不機嫌そうな里逸が私を見下ろしていた。
「……授業を始める」
 ふい、と逸らされた視線。
 でも……あれ。
 なんか、いつもと感じ違うよね?
 なんていうかこう、最近稀に見る……機嫌の悪さっていうか、ここ最近どころか、少なくとも2学期に入ってから初めて見るような態度っていうか。
「…………」
 え、もしかして……聞かれてた?
 だとしたら、やっぱりマズいかもしれない。
 ほかの誰かに『あのカレシと最近どうなの?』なんて聞かれても、すっごい楽しいからこのままでもちろん何も不都合はないって思ってた。
 ……ただひとつ。
 今日、この日がくるまでは。
 

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