「だから、無理だと言ってるだろう」
「無理じゃないもん!」
「無理だ! いいから休め!」
「やだ!」
「っ……どうして嫌がるんだ!」
 かれこれ、5分くらいはもう過ぎてるかもしれない。
 さっきからずっとこんなやり取りをしてるけれど、いっこうに進展はしなくて。
 ……ああもう。
 せっかく里逸のベッドで寝ることができて、内心すんごいにやにやしてたっていうのに、気持ちが急にしょげるじゃない!
 ベッドから降りようとしている私と、肩を押して寝かせようとしている里逸と。
 なんかもう、きっとハタから見たらいろいろ誤解されそうな格好だろうなとは思った。
 昨日早く寝たおかげで朝は早くに目が覚め、しっかりばっちり朝食の支度もした。
 今日は、自分の家じゃないキッチン。
 だから、悪いかなーとは思ったものの、勝手にキッチンを拝借。
 ……ちゃんとご飯がタイマーでセットされてるとか、主婦みたいですごい。
 なんて、そんなところに感心していたところに彼が起きてきて、『何をしてるんだお前は』とものすごく機嫌悪そうに言われたのが、今から40分前。
 『おはよ』とにっこり笑って言ったものの、なぜか腕を引っ張られてそのままベッドへ連れて行かれて……あげくのはてに、押し倒された。
 やだもー、信じらんない。
 どうせ押し倒すなら、もうちょっとこう……色っぽくてもいいのに、なんでああいうざっくりした扱い方なのかな。
 相変わらず、里逸の心理はよくわかんない。
 一緒にごはんは食べれなかったけれど、きちんと食べ終えたらしく、少ししてから彼はまた寝室に姿を見せた。
 ワイシャツとスーツ、それにカーディガン。
 一式を手に部屋を出て行ったかと思ったら、やっぱり少しして戻ってきて。
 ……ていうか、何も着替えるのにほかの部屋行かなくてもいいのに。
 ああ、そういえばこの間彼の前で着替えようとしたら、ものすごく慌てた様子で『ちょっと待て!!』って言われたっけ。
 あのとき、顔赤かったんだよね。
 まぁ、そういう反応はかわいくて好きだけど。
 で・も!
「絶対行くからね」
「……あのな。お前はまだ熱があるだろう!」
「平気だもん!」
「平気じゃないから言ってるんだ!」
「だいじょぶなの!」
「大丈夫じゃない!」
「っ……もう! なんでそんなに頑固なのよ!」
「それはお前だろう! どうして言うことを聞かないんだ!!」
「もーっ! 里逸、お父さんみたい!」
「うっ……俺はただ心配しているだけで――」
「だって! 全然わかってないんだもん!」
 眉を寄せてとっておきのひとことをぶつけたら、あからさまに困惑の表情を浮かべて視線を落とした。
 形勢逆転。
 手から力が抜けたのをいいことに、立ち上がって彼の前に立つ。
 ――……と、一瞬足元がふらついた。
「っ……ほらみろ! 具合悪いじゃないか!」
「ちがっ……もう! 違うもん!」
「違わないだろう! いいから今日は休んで――」
「っ……もぉ!! 今日はだめなの!」
「何がだ!!」

「だって! ……だって……今日、リーディングあるじゃないっ……」

「っな……」
 再度私の肩を掴んだ里逸を見ながら、眉尻が下がった。
 今日の2時間目は、里逸の授業がある。
 1日に1回しか見れない、教師の顔。
 あれが私はすごく好きなのに、それを見れないなんて……。
 確かに、今ここは彼の家だし、ここで寝ててもいいって言ってくれるのは、嬉しい。
 だけど…………もぉ。
 私にとって彼の授業を休むなんて、“ありえない”ことなのだ。
「……私、今まで1回も里逸の授業休んだことないんだもん」
「…………」
「だから、行く」
「……穂澄」
「だめ。絶対行くから」
 視線を落としたままでいたら、手を離した彼がため息をついた。
 ……ああ、きっと呆れてるんだ。
 そうだよね。
 そんな理由だなんて、思わなかったんでしょ?
 馬鹿じゃないのか、とか。
 もっと自分を大事にしろ、とか。
 彼らしい言葉をいっぱい言われるに違いない――……って思ったのに。
 里逸は、口を開くと静かに『あのな』と呟いた。

「授業はしない」

「……え?」
「今日は元々、小テストの予定だったんだ。だから……授業はしない。自己採点と解説で終わる」
「え……いいの……?」
「何がだ。別に、お前のためじゃないぞ」
「わかってるけど……もぉ、何それ……」
 なんでそんなに優しいの?
 驚いてまじまじ顔を見ていたら、しばらくしてから小さな咳払いと一緒に『最初からそのつもりだった』と続けた。
 でも、その顔はちょっぴり赤くなっていて。
 ……やだもぉ。
 ぎゅ、と彼の腕を掴んだまま苦笑が漏れ、身体から力が抜けた。
「ん。……風邪うつるよ?」
「ここなら平気だろう」
「っ……もぉ。だから、どんだけ……」
 ちゅ、と額に口づけられ、たまらず笑いが漏れた。
 相変わらず、キザっていうかなんていうか。
 でも、大事に思われてるってことは十二分に伝わってくるから、すっごく嬉しい。
「だから、今日は1日ゆっくり休め。……いいな?」
「ん。わかった」
 まっすぐ目を見て言われたら、それ以上もう何も言えない。
 こくん、と素直にうなずいて小さく笑うと、ようやく彼も眼差しを和らげた。
「……ねぇ」
「ん?」
「帰ってくるまで……いてもいい?」
 そのとき、離れそうになった手をつかんだのは、咄嗟の自分の本音。
 おずおずと上目遣いで真意を問うように里逸を見ると、一瞬瞳を丸くしてから、久しぶりに柔らかく笑った。
「ああ。そのかわり、ベッドにいるんだぞ」
 彼は気づいただろうか。
 そう言った声も、すごく優しかったことに。
 ……えへへ。
 なんか、すっごい嬉しくて――……つい、思っちゃうじゃない。
 たまに風邪を引くのも悪くないな、なんて。
「ありがと」
 キスはできないから、ぎゅう、と彼に抱きついておく。
 すると、腕を回しかけたところで身体が強張り、一瞬間が空いてから緩く抱きしめられた。
 ちなみに。
 その理由がわかったのは、もうひと眠りしたあとで着替えようかなーなんて思った、お昼近く。
 上着を脱いだら下着をつけてなかったことに気づき、『ああ、それでか』なんてちょっとだけおかしかった。


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