「……ん」
 いつものように眠りが浅くなる、明け方。
 ぴくりと手が動いて目を開けると、目の前に細い指がぼんやりと見えた。
 白く、長く、自分とは作りも何もかもが異なるもの。
 朝日がまだ昇っておらず、眼鏡がないながらも、それが誰のものかはわかる。
「…………」
 辿るように視線を動かすと、昨日と同じ格好で穂澄が目を閉じていた。
 規則正しく上下する胸元につい目が行き、なんとなくそのままでいてしまうのがまずい気がして視線を逸らすが、どうしたって気にはなる対象。
 うっかり手を伸ばしてしまいそうになり、慌てて手を握る。
 だが、穂澄はまったく起きる気配もなく、ころん、と寝返りを打った。
 自分とは違う、細い身体。
 抱きしめるたびに華奢だとわかり、自分とはまるで違う人間なんだと実感する。
 性別も、年齢も、何もかもが異なる相手。
 だが――……だから、惹かれた。
 魅力を感じ、見出してしまった相手。
 それがまさか、ひとまわりも年下のしかも教え子になろうとは、この職に就いたときは想像もしなかった。
 なのに……な。
 どこまでなら許されるか、などと考えながらベッドに広がっている髪に触れ、指で持ち上げる。
 さらり、と音もなく指からこぼれる、柔らかい髪。
 自分と同じ香りがするのがひどく不思議な感じだが、それでも“違う”気がする。
「っ……」
 ついつい彼女に触れて考えていたせいか、身体が反応しそうになった。
 慌ててベッドを抜け、冷たい床を踏んでリビングに向かう。
 冷ますには、ちょうどいい。
 ……自分を律せ。わきまえろ。
 夜とほとんど変わらない暗いリビングへ入ると、冷たい空気のせいか身体が小さく震えた。

「んー……眠い」
「……よく寝ていた人間のセリフじゃないだろう」
「だって……眠いんだもん」
 自分が起床してから2時間ほど経ったところで、リビングのドアが開いた。
 ノートパソコンを開いて打っていた長文を見直すことなく、保存してファイルを閉じる。
 いよいよ2週間後に迫った、期末テスト。
 問題作成はどうしても自宅で行うことがメインになるが、穂澄の前ではしないことにしている。
 カンニングがどうの、なんてことは言わない。
 だが、彼女とていい気分はしないらしく、以前小テストの問題を作っていたら、『私の前でやらないでよね』と嫌そうな顔をしたこともあったため、以来はふたりでいるときの暗黙のルールのひとつに加わった。
「っ……」
「おはよ」
「……おはよう」
 べたり、と後ろから抱きつかれ、背中に感じた柔らかさに身体がぎくりと強張る。
 だが、穂澄はそのことを知ってか知らずか、いつものように俺の顔を覗きこんだ。
「っ……」
 かと思いきや、頬に口づけられた。
 柔らかい唇の感触に、身体が反応しそうに……って顔が赤くなるのはいつものことか。
 『いつになったら慣れるの?』なんて言われてばかりだが、こればかりは反応なんだ。仕方ないだろう。
「朝ごはん、パンとご飯どっちがいい?」
「……今日はパンでいい」
「そお? じゃ、トースト焼くね」
 耳元でくすぐったい声が聞こえたが、前を向いたままでいたら、ほどなくして彼女が離れた。
 温もりと柔らかさがいっぺんに消え、内心ほっと安堵する。
 ――……あの、風邪を引いて穂澄が俺の家で1日を過ごして以来、彼女はあまり自分の部屋へ帰らなくなった。
 それを許してしまっているのもいけないのかもしれないが、『寂しい』と言われると強くは言えない。
 気持ちは、自分とて同じ。
 ……いけないとはわかっている。
 だが、それでも穂澄と過ごす時間は穏やかで、あたたかくて、心地よくて。
 …………好きなんだ。
 ふと、キッチンに立つ穂澄の後ろ姿を見ながら、なんともいえない感じにため息がまた漏れた。

「そういえば、里逸って嫌いな物ある?」
 トレイに乗せてきたトーストの乗った皿を、穂澄は床にきちんと膝づいてから両手を添えてテーブルに移した。
 一緒に食事を摂るようになってわかったことだが、基本的に穂澄は“しっかり”している。
 きっと、彼女の母がきちんと躾けたんだろうなとは思うが、だからこそ『なるほど』と穂澄の評価が自分の中で上がるわけで。
「嫌いなものは……特にない」
「そうなんだ。すごいじゃん」
「穂澄は何かあるのか?」
「………………」
「なんだ?」
「……ねぎ」
「何? 嫌いなのか?」
「なんか……くたぁってなってる、鍋に入ってるネギとかがダメ。薬味とかで使うぶんには、全然問題ないんだけど」
 あからさまに嫌そうな顔をしたのでよっぽどの何かかと思いきや、まさか……ネギとは。
 鍋に入ってるネギといったら、長ネギか。
 火が通って柔らかくなっているのは、それなりに甘くてうまいのだが。
 ……意外だ。
 そういえば、彼女とはまだ鍋を食べていない。
「今日は垂らすなよ?」
「ん? もー、当たり前でしょ」
 相変わらずイチゴジャムがべったり乗っかったトーストを手にした穂澄を見ると、くすくす笑いながらひとくちほおばった。
 もくもくと動く口元と、唇に付いたジャムを舐める舌にどうしても目が行き、途端に食欲が減退する。
 ……らしくないな。
 非常に、らしくない。
 彼女と過ごす時間が増えれば増えるほど、この悩みは恐らく増えていくのだろうが……だからこそ、どうにかできないものかとも悩む。
「…………」
 どうしても視線が張り付いてしまう彼女から、首をひねってむりやりテレビのニュースを見るも、色が違いすぎて『つまらないな』と頭が即座に判断した。


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