「……ずいぶん、機嫌よさそうだな」
「ん。わかる?」
 運転席に座ったままの里逸へ、にっこり笑ってから両手を伸ばす。
 今走っているのは、いつもと同じ道なんかじゃない。
 ――……そう。
 今は一路、東名を走っているのだ。
 これまでは、こんなふうに遠出をしたりすることがなかった。
 ていうか、そもそもあんまり一緒に出かけたりしないんだよね。
 だって、同じ学校の先生と生徒。
 ましてや、私たちを知ってる人間がごろごろいる市内を、大手を振って歩けるわけないし。
 だからこそ、こんなふうに“普段を知られていない”場所に出かけることができるのは、とっても嬉しいし憧れでもあった。
 里逸と付き合うようになってから、まだ2ヶ月も経ってない。
 だけど、やっぱり嬉しいんだよね。
 ……えへへ。
 授業中の彼を見るのは大好きだし、そうじゃないときのちょっと緩んだ表情を見せる里逸も、当然大好き。
 でも、運転中の彼を見るのも好きなんだもん。
 ……あ、わかった。
 私、たぶん里逸が“何かに集中してる顔”を見るのが好きなんだ。
 仕事じゃないときも、何かやってることが多いんだよね。
 だからこそ、たまーに私だけに集中してくれている顔が見れると、たまらなくどきどきして嬉しくなる。
 きゅん、となる。
 ……とか言ったら、笑われるかもしれないけど、だってホントだもん。
 里逸って、普段厳しい顔つきをしているぶん、目元が緩むとすっごい優しい顔になるんだよ。
 だから…………どきどきする。
 ちょっとだけ笑われた日にはもう、にんまりするくらい、たまらないんだから。
「……しかし、本当によかったのか?」
「ん? 何が?」
「今日。……こんな形で、実家へ行くことが、だ」
「……あー。だいじょぶ。ていうか、全然問題ないでしょ」
 そう。
 今は何も、ふたりきりでちょっとドライブーなんてステキな展開じゃなくて。
 実は、もっと重大でもっと重たい感じの“実家召喚令”が施行されている最中。
 昨日でやっと2学期末考査が終わってほっとしたところだったのに、夜になってまた突然里逸のお母さんから連絡がきたんだよね。
 『明日、ふたりで家にきなさい』って。
 いやー。この間突然家にきたときもびっくりしたけど、今回も結構びっくりしたよ?
 でも、里逸ってば『断る』なんて即答するんだもん。
 それはそれで、びっくりしたけどね。
 でも……だからこそ、わかった。
 里逸がそこまで邪険にするから、お母さんが余計意固地になってるんだ、って。
 そして、里逸はそんなこと微塵もわかってないんだ、って。
 私が里逸のそばにいることを、絶対に面白く思っていないお母さまのことだから、きっと今日のためにびっくりな何かを用意周到に練ったうえでお招きくださったに違いない。
 ひょっとして、ほら。
 『実は里逸さんにいは許婚がいるの』とか言い出すかもしれない。
 ……でも、この間はちょっと驚いたわ。
 だって私、現実世界で自分の息子を『さん』付けで呼んでる人初めて見たもん。
「……ねぇ、里逸」
「どうした?」
 SAの看板が勢いよく通りすぎて行ったのを見ながら、今まで考えてもなかったことが頭に浮んだ。
 多分、それは今聞いているこの曲のせい。
 だって、なんか今後のことを考えると、こんなに甘くて軽やかなエチュードじゃ物足りない気がしたんだもん。

「どうせなら、ショスタコーヴィチとかのほうが今の状況にぴったりだと思わない?」

「っ……お前」
「なんかこう……ね。今から突撃! みたいな」
 不意に浮かんだ音は、ショスタコーヴィチという作曲家の交響曲第5番ニ短調だった。
 あの、パーンと勢いよく飛び出していく音は、これから戦地へ赴く人間を奮い立たせるには十分な音。
 まさに、今の私のための音と思ってもいい。
 ……なんて、ね。
 実は、これから“乗りこむ”気なんてまったく起きてないんだけど。
 だって、里逸のお母さまとは先日やりあったばかりだし、あのときも手ごたえらしきものは得られなかった。
 今日はどうやら里逸のお父さまとお姉さまとも会えるらしいけれど、きっとあのお母さまを少し変えたくらいのご家族なんだろうなぁ。
 そう思うと、怖さはないし、申し訳ないけれど……当然負ける気はしない。
 泣くなんてこと、まずないんだろうなぁ。
 まさにアウェイで間違いない場所なんだけど、無性にわくわくしてるのはどうしてなんだろう。
 これが私の持ち前の性格なのか、それとも里逸が一緒だからなのかは、わからない。
「……まったく。穂澄には本当に驚かされるばかりだな」
 それでも、小さく笑って私を見た里逸と一瞬目が合って、それだけで意味もなくただただ嬉しくなった。


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