「……ふわ。おっきなお家」
 でも、納得。
 これなら確かに、『里逸さん』とか呼んでる声が聞こえても、何もおかしくはない。
 それどころかむしろ、私みたいに『里逸ー』とかってのん気な声が廊下から聞こえたら、目を剥いちゃうかも。
「里逸って、お坊ちゃま?」
「いや。普通だろう」
「いやいやいや、普通じゃないでしょ。どう考えても! だって、こんなにお家おっきいじゃん」
「確かに、先代が土地を切りひらいたこともあって敷地は広いが、別に財産があるわけではないだろう」
「そうなの? でも、そのへんってわからなくない?」
「……だから」
「あ、ごめん」
 いつもの調子で語尾を上げたら、里逸はまた嫌そうな顔をした。
 でも、これってもうクセみたいなものだから、そう簡単には抜けてくれないんだよね。
 気をつけるようには、もちろんしてるけど。
「でも、平屋のお家はお金持ちって聞いたことあるよ?」
「それは、先に言ったとおりだ。敷地が広いからそう捉えるだけだろう。だが、このあたりの家々はみな同じくらいの敷地がある」
「……ふぅん」
 里逸はそう言うけど、あたりのお家を見てみても、並んでいるのは普通サイズのお家だけ。
 門構えから玄関まで何メートルも歩くようなお家は、どう考えてもここだけだった。
「…………」
 『高鷲』と彫られている黒字の表札を見ながら、ふいにお母さまの声が浮かんだ。
 高鷲家の嫁になる人間。
 ……嫁、ね。
 そっか。
 里逸と結婚したら、私はこの家の嫁になるんだよね。
 ……って言っても、里逸が勤めてるのは私学だから、異動はできない。
 となると、実家を継ぐっていうのも……なかなか難しいかもしれない。
 …………んー。それじゃあ、同居とかどうするのかな。
 別に私は、あのお母さまと十分タメ張れるだろうから、問題ないんだけど。
「……え?」
「平気か?」
 まじまじと表札を見ていたのを勘違いでもされたのか、里逸が私の頭に触れた。
 反射的に見上げると、すぐに少しだけ心配そうな……だけど優しい顔がある。
「ん。平気」
 頭に手をやって彼の手を取り、下ろしてから握り直す。
 ……えへへ。
 こうやって指を絡めるの、好きなんだよね。
 自分とは違う、ごつごつした大きな手。
 いつだって里逸の手は、とっても温かい。
「んー。お姉さんたちに会えるの楽しみだなー」
「……そうか?」
「当たり前でしょ? だって、里逸のお姉さんだよ? どれだけ似てるのか、すっごい気になる」
 思わず笑いながら一歩を踏み出し、彼を引く形になる。
 だけど、顔だけで振り返ってみたら、里逸はなぜか少しだけ嫌そうな顔をした。
「俺はふたりに似てないぞ」
「わかってるってば」
 それはきっと、私にも言えること。
 お兄ちゃんと私は、そこまで似てない。
 ……見た目は、ね?
 でも、基本的な考え方はどうしたって似てる部分がある。
 だって、同じ親に育てられたんだもん。
 ていうことは――……今、手を繋いでいる彼とほぼ同じ考えを持っている人が、お姉さんであり妹であって。
 ……ていうか、お母さまの考え方だって里逸そっくりだったし。
 人間、自分に似てる人ほど嫌悪するって言うじゃない?
 だからこそ、やっぱり楽しみだった。
 『まるで、少し前の里逸みたいな人たち』に会えることが。
 大きな玄関を目指しながらついつい笑みが漏れ、彼と繋いだ手に力がこもる。
 だけど、このときはまだ知らなかった。
 私を待っていた人が、ほかにもいたなんてことは。

「ご無沙汰しております」
 大きな大きな両引き戸タイプの玄関を開けて中に入った途端、目の前にはお母さまともうひとりの女性が正座してから三つ指をついた。
 ……なんか、こういう光景ってどこかで見たことある。
 ああ、あれだ。デジャヴってやつ。
 でも、こういういかにも日本家屋っていうお家ですると、かなりの雰囲気が出るから『ああ日本人だなー』なんてことも思った。
「……ねぇ。誰だっけ?」
 にこにこと、まったく私を見ずに里逸しか見てない女性を見たまま眉を寄せてから、こっそりと彼に耳打ち。
 瞬間、ぴくりと笑顔が引きつったように見えたけれど、特に気にはならない。
「佐々原さんだ」
「……っあー! あのときの!」
 ぱちん、と手を叩いてから彼女に向き直り、にっこりと満面の笑みを浮かべる。
 だけど、彼女はそれでも私から視線を外したままだった。
「お久しぶりです、佐々原さん」
「…………」
「あれー。忘れちゃいました? 私のこと」
「あなたのことは、お母さまからすべて伺っています。……とんだ嘘つきね」
「えー。ひどいなぁ。嘘なんてついてませんよ? ていうか、じゃあ――……あのとき『恋人だ』って言ったら、もっと喜んでいただけました?」
「っ……」
 にっこり笑っていた顔から、表情を少しだけ変える。
 里逸に言わせると、『目が違う』だそうだ。
 まぁ、それはわからないでもない。
 だって、笑ってないもん。
 口元の笑みを消せば、どこからどう見ても『冷めた顔』でしかないんだから。
「どうしてここに佐々原さんがいらっしゃるんですか?」
「私は、お母さまに直接お招きいただいたの。あなたとは違うわ」
「あら、奇遇ですね。私もお呼ばれしたんですよ?」
 きりりとした顔をしているけれど、やっぱりまだ“畏怖”にも似た怖気づいた感情が表に出ている。
 彼女は、気づいていないのだろうか。
 そんな顔を私に見せてしまった時点で、とうにカタがついていることを。
「さあ。上がりなさい」
 今まで膝をついていたお母さまが立ち上がり、すぐそこのふすまを手で示す。
 どうやら、すでに人は揃っているんだろう。
 広い玄関だからどこまでが家人のものかはわからないけれど、それなりに靴は並んでいた。
 ……けれど。
「え?」
 ブーツを脱ぐべく腰掛けようとしたら、里逸が私の手を引いた。
 顔を覗くも視線は合わず、背も正したまま。
 だけどその顔は、最近見ることが少なくなったちょっと前までの私に対するような、厳しい表情を浮かべていた。
 

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