「帰らせてもらう」
「っな……!」
「え……!?」
凛とした響きの声が玄関に響き、お母さまと佐々原さんはふたり揃って同じように驚いた顔を見せた。
けれど、私は当然そっちになんて顔が向かない。
……里逸のこんな顔、久しぶりに見た。
うぅ。でもやっぱり、ダメ。
カッコイイって思っちゃうじゃない。
…………反則なんだからね。
場の雰囲気にはそぐわないとわかっていながらも、ついついにやけてしまいそうになるから困る。
「約束が違うだろう。どうしてここに彼女がいるんだ」
「当然でしょう? 私はそんな子を認めていないもの。ただそれだけのことです」
「認める認めないの問題ではない。そもそも、それを決めることができるのは、俺ひとりのはずだ。違うか?」
「違うでしょう? 当然よ。私はあなたの母なんですから」
「……馬鹿馬鹿しい。帰るぞ」
「あ、ちょ……」
「待ちなさい!」
ため息をついた里逸が、私の肩を引き寄せた。
一瞬足元がふらついたけれど、とん、と彼の身体に当たってより一層抱き寄せられる形になり、これはこれで悪くはないと思う。
……けれど。
「会うんでしょ?」
「……しかし」
「ねぇ、待って。私、今回このふたりに会いに来たんじゃないんだよ? 里逸の、お父さんとお姉さんたちに会いにきたの」
「…………」
つい、と彼のジャケットを指先だけでつかむと、困ったように私を見下ろした。
このふたり――……っていうか、お母さまが私を快く思ってないことはわかってる。
まぁ正直、佐々原さんを再度切り札に使うとは思わなかったけどね。
でも、これはこれで楽しめるといえば楽しめる自信あるんだけど……なんて言ったら、里逸は笑うかな。
「……わかった」
大きくため息をついてから、里逸がふたりに向き直った。
ものの、避けるように1番端から上がり、ふたりが視界に入らないようわざわざ背を向けてから、私を振り返る。
「行くぞ」
「あ。お邪魔しまーす」
差し出された手が、すごく嬉しかった。
だって、このときのふたりの顔と言ったら……ないよ? もう。
佐々原さんなんて、今ここにハンカチがあったら間違いなく『キーッ!』てしてるだろうし、お母さまにいたってはもう、ぎりぎりと奥歯を噛みしめているようなすごい顔だったんだから。
「……ありがと」
「いや。俺は何もしてない」
「そんなことないよー。……すごい嬉しい」
きゅ、と里逸の手を握ったままブーツを脱ぎ、つま先を間口へ向けてから、ちらりとお母さまへ視線を向ける。
すると、目が合った瞬間あからさまに嫌そうな顔をされた。
「お邪魔します」
にっこり笑って、一応のごあいさつ。
当然歓迎の言葉なんて聞こえなかったけど、私には関係ない。
だって……何よりも里逸が自分の味方でいてくれるんだもん。
これだけでもう、十分すぎるほど自分がいかに大切に思われているかがわかったんだから。
「久しぶりだな」
「ご無沙汰してます」
「なんだ、水臭い。いつから丁寧語で喋るようになった?」
「いや……なんか、確かにずいぶん会ってなかった気がして」
音もなく滑るように開いたふすまから中に入ると、そこはふた間続きの和室になっていた。
床の間には掛け軸と生け花。
少し離れた場所には仏壇もあり、いかにも“古きよき日本家屋”そのもの。
ふた間を分けている欄間には、龍と竹の彫刻もされているから、余計そう思うのかもしれない。
ざっと見ただけで、ふた間を合わせたら20畳ほどにはなるんじゃないだろうか。
……宿泊学習で寝た部屋みたい。
ふとそんなことが浮かんで、少しだけあいさつが遅れたのに気づき、慌てて膝をつく。
「初めまして。宮崎穂澄と申します」
「これはご丁寧に。初めまして、父の忠之です」
指をついて頭を下げたのを見てか、お父さまも慌てて姿勢を正してくれた。
にっこり笑ってから視線を隣へ――……移すのと同じく、彼が手のひらで示した女性が、眼鏡を直す。
「こっちは、姉の有里だ。里逸よりふたつ上かな」
「初めまして」
「……初めまして」
にっこり笑ってくれているお父さまとは違い、有里さんはにこりともせず軽く会釈しただけ。
や、それでもまったく問題ないし、どうとも思わない。
……んだけど。
「…………」
「…………何かしら」
「有里さんって、里逸さんに似てますね」
「っ……な……」
「とっても美人なお姉さんだなーと思って」
にっこり笑って首をかしげてみせると、思ったとおり目を見張った。
そう。
彼女は、とても里逸によく似ている。
表情も、仕草も……雰囲気も。
さらさらとクセがまったくなくてキレイな短い髪は、きっと触ったら気持ちいいんだろうなー。
それも、里逸と一緒。
眼鏡までかけていて、だからこそ“里逸の女性版”そのもので、ちょっとだけおかしかった。
「まぁどうぞ。座りなさい」
「ありがとうございます」
正面をすすめられ、ぺこりと頭を下げてから座らせてもらう。
ふかふかの座布団は、いかにもお客様用。
紫色のちょっと光沢がある布で、いかにも高そうな雰囲気がある。
「ほんの少しなのですが、これを……」
「いや、そんな気遣いをしてもらっては困る」
「とんでもないです。里逸さんに、お父さまも日本酒がお好きだとうかがったので」
持参した紙袋から四角い箱を取り出し、彼へ差し出す。
事前に里逸からいろいろ聞いたうえで購入しているから、大丈夫だとは踏んでいる。
そして、もうひとつ。
これは、誰宛てというものではなく、仏壇用の和菓子だ。
「それとこちらを……よろしければ、お供えさせていただきたいのですが」
「ああ、それはもちろん。喜んで。ありがとう、わざわざすまないね」
「いえ、とんでもないです」
膝立ちになって仏壇をちらりと見やると、彼は意図を察してくれたように立ち上がって先に歩いて行った。
明かりをつけてから、ろうそくに火を灯す。
代々受け継がれてきた、高鷲家そのもの。
天井に近いところへは遺影が何枚もあり、男女問わずみな一様に少し厳しい表情をしている。
「…………」
里逸と一緒にお線香をあげてからふたたび席へ戻ると、お母さまと佐々原さんも席についていた。
ふたり揃って並んでいる姿は、まるで親子。
まったく笑みを浮かべておらず、射るように私を見つめている。
――……のを見て、里逸が小さくため息をついた。
「っ……」
だから、机の下で彼の手を握る。
……へへーん。
どーだ。
こんなふうに好き勝手に触れるのは、私だけの権利なんだからね。
なんて口に出してしまいたいところだけど、そこはぐっと我慢。
驚いたように私を見る里逸をちらりと見上げ、にっこり微笑むと、彼もまた表情を緩めて正面に向き直った。
「それじゃ、いただこうか」
なんともいえない雰囲気の中始まった、祝宴とは呼べない会。
お父さまが音頭を取ってくれたけれど、ほかの面々の声はかなり小さなものだった。
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