「今日は、悠衣さんいらっしゃってないんですね」
「あなたには会いたくないそうよ」
「……母さん」
「本当のことだもの。嘘をついても仕方ないでしょう?」
 眉をひそめたお父さまに対して、彼女はしゃあしゃあと述べた。
 ……ま、それもわからないではない。
 ていうか、それを聞いたところで正直『あ、そうなんだ。ふーん』程度でしかないのも事実。
 だけど、今は完全アウェイ。
 私の味方でいてくれるのは里逸だけだから、いくら偽装したところでバレることはない。
「そうなんですかー。お子さんたちに会えるの、とっても楽しみにしたんですけれど。残念です」
「いや、実は孫たちが風邪を引いてしまったらしくてね。決して、会いたくないからなどという理由ではないんだよ」
「まあ、そうだったんですか? この時期、やっぱりお子さんたちは敏感ですものね」
 しゅん、と肩を落として見せると、お父さまが慌てた様子で手を振った。
 本当のことは、当然わからない。
 でも、たとえ嘘だとしても、気遣ってもらえたことはちょっとだけ嬉しかった。
「……ん」
 『お大事になさってください』と付け足してから、手近にあった花豆に手を伸ばす。
 見た目はとっても甘そうで柔らかそうだけど、食べてみると……うん。
「この花豆って――」
「……ああ、それはね。佐々原さんが早朝から来て、煮てくださったのよ」
 なぜだかわからないけれど、たちまちお母さまが得意げな顔をした。
 その隣でうんうんとうなずいている佐々原さんも、誇らしげで。
 ……ふーん。
「えー、そうなんですか? 私、てっきり既製品かと思いました」
「なっ……!」
 けろりと笑い、お皿に残っていたもうひとつの花豆をつまむ。
 とろりとした煮汁は、家庭のお醤油の色とまた違う。
 それに、味だって。
 やっぱり、手作りしたものはそれなりに味が出るものだし、どうしたって崩れもする。
 だけど、この花豆は原形をとどめたまま。
 まったく煮崩れしておらず、まるで真空パックからそのままお皿へ移されたような感じがして、どうにもこうにも納得できない。
 ……ていうか、きっと彼女が作ったとか聞いちゃったから、余計そう思うんだろうけど。
 でも、味が違う。
 独特の既製品臭さが残っていて、だからこそ正直『なんか違う』と思った。
「ちょっと味も濃いし……ね。そう思わない?」
「……まぁ……そうだな。これに限った話ではないが、どれもこれも味つけが濃い」
 揃えて箸を置いた里逸は、うなずくとお茶に手を伸ばした。
 ――……ものの。
 ひとくち含んだ途端眉を寄せ、ちらりと私を見る。
「……ん」
 見た目も濃い、緑色。
 普段飲んでいるお茶とは違って、お茶独特の味も濃い。
 ……けれど、甘さより先に出ている渋み。
 あー、なるほどね。
 これじゃ、里逸が飲みたがらないに決まってる。
「お母さま。このお茶は――」
「このお茶を淹れてくださったのも、佐々原さんよ」
 まるで胸を張るように笑った彼女を見て、『あ、そうなんだー』とつい地が出るところだった。
 だって、苦い。渋い。おいしくない。
 せっかくのお茶の葉が、これじゃ『もったいない』状態なんだもん。
「佐々原さん」
「っ……何かしら」
「このお茶って、ポットから直接お湯入れました?」
「当然でしょう? ほかにどうやって入れるのかしら」
 一瞬戸惑った顔を見せたものの、どうやら私の質問を当たり前のことだと捉えたらしく、は、と短く鼻で笑う。
 あー、残念。
 それしちゃったら、恥ずかしい思いしちゃうって、どうしてわからないかなぁ。
 だから、里逸にもお断りされたのに。
 ……そもそも、そこだよね。
 一度断られたにもかかわらず、今度は実家の敷居をまたいじゃうとか考えられないんだけど、どうやらそこはお母さまの力がかなり加わっていると見える。
 だからこそ、ここはもうふたりまとめてどうにかしちゃうしかないのかなー。
 せめて、最初くらいは大人しくしていようと思ったけれど、無理らしい。
 ……最初に喧嘩売ったのは、そっちだからね。
 こほん、と咳払いをひとつして背を正すと、誰かが喉を鳴らしたような気がした。
「このお茶の葉。種類はご存知ですか?」
「え……種類? お茶の葉の?」
「ええ」
 やっぱり知らないらしい。
 まぁ、無理もない。
 私だって、おばあちゃんの家でお茶をいろいろ飲ませてもらうまでは、『お茶はお茶』だと思ってたし、種類があることも知らなかった。
 でも、このお茶は違うでしょ。
 明らかに、普段飲んでいるお茶とは、見た目からしてまず違うんだから。
「深蒸し茶って、聞いたことありません?」
「……深蒸し?」
「ええ。普段、関東の人間が飲んでいるお茶は“煎茶”です。でも、里逸さんは昔から“深蒸し”を飲んでらっしゃると聞きました。そうですよね?」
「それは……ええ。そうだけど……」
 眉を寄せた佐々原さんではなく、隣に座っているお母さまをちらりと見ると、一瞬口を結んでからうなずいた。
 さすがに、そこでは私を拒絶しないらしい。
 ……案外素直な人なのかもね。
 なんて、改めて思う。
「深蒸し茶は、煎茶と違って抽出時間がとても短いんです。それこそ、1分にも満たない。……でも、このお茶……長い間お湯を入れてから放置しませんでした?」
「……そんなことは……」
「それともうひとつ。直接ポットからお湯を注がれたそうですけれど、じゃあ設定温度は何度になってますか? お茶に適した温度になってます?」
「っ……それは……」
 口ごもるたび、彼女は困ったように隣のお母さまを見やった。
 でも、お母さまは私をまっすぐに見つめたまま、何も言わない。
 ……あー、そういえばその顔、つい先日も拝見しましたっけ。
 思わず、くす、と笑ってしまいそうになったので、先ににっこり笑うほうを選ぶ。
「……すみません、お母さま。もう、里逸さんは私の味に慣れてしまったみたいで……申し訳ありませんが、お茶を淹れ直させていただけますか?」
 わずかに首をかしげ、膝で立つ。
 すると、歯がゆそうに私をしばらく睨んではいたけれど、しぶしぶと急須をこちらへ差し出した。


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