「みーぃ」
「ん?」
「帰り、ドーナツ食べ行かない?」
今日は水曜日。
でも、B日課という短縮授業のため、帰宅時間は13時前。
月曜から続けざまに返されてきた、9教科のテスト。
結果は私も瑞穂もこれまでと変わらなかったけど、まぁしいて言うなら、今学期は英語の点数がプラスになったぶん、総合点と順位が大幅に変わった。
……まぁ、通知表の数字はあんまり変わらないだろうけど。
これまでの授業態度をここで改めたところで、教師には『どうせ今ごろ受験対策で慌てて猫かぶってる』くらいにしかうつらないだろうから、別にどうとも思っていない。
それでも、里逸の授業は約束どおりほかの教科同様真面目に受けているからか、私生活での彼の態度もよかった。
優しいのは知ってる。
それでも、もっと甘くなった気もする。
いよいよ12月。
クリスマスはもう間近。
一緒に住んでいるからこそ、プレゼントの隠し場所も考えなきゃいけないけど、その前に、もっとも重要な“プレゼント探し”をしなきゃいけなかったりするんだよね。実は。
……何をあげたら喜んでくれるのかな。
そもそも、里逸はそれなりのものをすでに持っている。
ブランドであったり、ノーブランドであったりとさまざまだけど、とりあえずどれもこれもが『高そう』だとはわかる。
質感だったり彼の性格だったりからわかることだけど、彼が持つものは基本的にどれも物持ちがよいものばかり。
『いつ買ったの?』と聞くと『初任すぐ』なんて今から数年以上前の返事が返ってきた財布でさえ、角すらぼろぼろになっていない。
物持ちがよく丈夫であるのは、それなりにイイものの証。
日本人がブランド品をもてはやすのとは違い、現地の人々が昔ながらのブランドを愛す理由は、それ。
物持ちがよく、ずっと長く使えること。
それこそ、おばあちゃんが長年使ってきた革のバッグが、かなりいい質感に変わったところで孫に譲るみたいな、そんなことだってざらにある。
だから、値が張るのは当然のことだし、惜しくない。
そんな考えを里逸がしていることも知っているからこそ、そのへんで売っているような物をあげることはどうしても抵抗があった。
服も時計も財布もキーケースも何もかも。
彼が持っているものは、“いいもの”で。
恐らく、自分の1ヶ月のバイト代とほぼ同額を差し出さなければ買えないようものも、多く含まれているだろう。
……いや、それ以上か。
そんな悩みがあるからこそ、『何をあげたら喜んでくれるのか』考え始めて2週間経った今も迷子状態。
「はー。何食べよ。……クリームいっぱいのにしようかなー。それとも、普通にオリジナル?」
みぃと一緒に昇降口を抜け、開け放たれている正門へ向かいながら、プレゼントからドーナツへ思考を切り替える。
今考えても、仕方がない。
とりあえず、お昼代わりにドーナツを食べて糖分を補給したら、少しはまともな考えも浮かぶかもしれないし。
12時を指そうとしている腕時計を見ながらほかの生徒同様道へ出ると、すぐそこのロータリーにはバス待ちの子らが長い列を成していた。
「ん?」
隣にいたはずのみぃの気配が消えた気がして足を止めると、彼女はひとり正門のすぐそばに立ち尽くしていた。
あちらを向いたまま、微動だにしない。
「みぃ?」
「っ……え」
訝るよりも先に近づいて声をかけるも、肩に触れた途端びくりと予想以上の反応をした。
そのせいで、私のほうがよほど驚き、『わ!?』と大きな声が出てそこを歩いていた子が何事かと振り返った。
その様子と、ばくばくとうるさい心臓を押さえつけるように手で胸を押す私を見てか、みぃが慌てて謝る。
「もー。どうしたの? 急に」
「……えっと……」
曖昧な表情だけど、なんだか本当に困惑してるようにも見えるんだよね。
だから、『どうしたの?』。
いつだって自分にきちんとした自信を持っている彼女がこんな顔するの、もうずっと見てない。
「…………」
「んー? ……あ」
ちらりと彼女があちらを見たので、同じようにあとを追ってみる。
――……と、そこには小学生とおぼしき子たちの列があった。
おしゃべりしながら歩道を並んで歩く、小学生。
自分の胸くらいの背丈だから、まだ3年生くらいかもしれない。
だけど…………もちろん、みぃが見ていたのはその子たちなんかじゃないってすぐにわかった。
ひときわ背の高い人が、ひとり。
その子たちを先導するように歩いているいかにも『先生』が、子どもたちを制しながら笑っていた。
「……すっごい久しぶりに見た」
「え?」
「鷹塚先生。ほら、中学のとき本屋で会ったって言ったじゃん」
彼は、私が小学校5,6年のときの担任だった先生。
当時は赴任したてだったのもあって『ちょーカッコイイ先生』だったけど、数年経った今もどうやらそれは変わってないらしい。
むしろ、さらに男っぽくなったっていうか、いかにも“大人”の雰囲気がある。
……うわ。かっこいー。
里逸とは違う『いかにも』な男っぽさに、そこにいた子が『かっこいー』なんてニヤけて見ちゃうのもうなずける。
「受験でさ、参考書買ってくるーってママからお小遣い貰ってすぐマンガ買ったあと雑誌立ち読みしてたら、いきなり肩叩かれてさー。最初はナンパかと思って睨んだら、鷹塚先生で。すっごいびっくりしたって話、覚えてない?」
「…………覚えてる」
「だよね」
わざといたずらっぽく人さし指を向けたら、みぃがすごく嫌そうな顔をした。
それこそ、あの小学生がやりそうな“拗ねた”みたいな顔で、普段からは想像もつかないからこそ噴きそうになる。
……でも、まさかこんなところで会うとはね。
もしかしたら、案外神様ってちゃんと見てるのかもしれない。
「どっちがカッコいい?」
「え?」
「林君と、鷹塚先生」
ついこの間みぃから聞いた、『最近ちょっと気になってる子』の名前を口にすると、みぃは何も言わずにもう1度鷹塚先生を見つめた。
その横顔があまりにも“女の子”すぎて、言いかけた言葉をのみこむ。
……こんな顔して見てるって知ったら、ちょっとは意識してくれるんじゃないの?
今はもう、あの子たちと同じ小学生じゃない。
あれから何年も経って“大人”の手前にいる、女子高生。
『前から自転車くるぞー』なんて子どもたちを制しながら大きな声をあげている鷹塚先生を見ながら、小さく笑みが漏れる。
「声かけないの?」
「っ……まさか!」
「なんで? なんなら私、行ってこよっか?」
「え、やっ……! 穂澄!?」
自分では当然のことをしようと思ったのに、1歩そちらへ行きかけた途端、みぃが思いきり袖を掴んだ。
いつもとは違うあからさまな反応に身体が止まるものの、振り返って顔を見た途端、力が抜けた。
「……がんばる、から」
「…………」
「ちゃんと見てもらえるように努力するから。だから……っ……そうなるまで、待って」
「……いいの?」
「ん。だって、今のままじゃ昔と何も変わってないもん。……今じゃ……ダメなの。ちゃんと胸を張って会えるように、大学に行くんだから」
きゅ、と唇を結んだ彼女の顔には、“決意”がある。
誰よりも強く“大人”になることを望んだ彼女の、意思の表れ。
……相変わらず、真面目だよね。みぃは。
でも、だからこそ好きだし、応援したいと思う。
「教育実習で、鷹塚先生に会えるといいね」
「……ん。自由に学校選べるなら、そうしたいな」
笑いながらうなずいた彼女の頭を撫で、同じように彼の背中を見つめる。
いつだって楽しそうで、元気で、誰よりも自信に満ちていて。
昔から変わらない自慢の担任だった人は今、違う子たちの自慢の担任になっている。
……あのころ、早く大人になりたいって思ったのは、きっと私よりも瑞穂のほうが先だったんだろうな。
青いネックストラップのついた名札が風になびき、大きな手のひらがそれを掴んだのが肩越しに見えた。
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