「あ」
「あ」
購入したばかりの切手の束を受け取ってドアに向かおうとしたら、平日にまず顔を合わせるはずのない男が正面に立っていた。
それどころか、大勢の児童を引き連れてもいる。
……何してるんだこんなところで。
そう言うかわりに眉を寄せると、ソウは子どもたちをすぐここのスペースへ整列させてから、制服を着込んだ男性にあいさつをした。
「今日はよろしくお願いいたします」
「こちらこそ、よろしくお願いいたします。ではみなさん、まずはこの冊子をお配りしますので、読んでもらえますか?」
少し離れた場所で眺めていてわかったのだが、どうやら郊外学習の一環らしい。
パンフレットには、平仮名で『ゆうびんきょくのおしごと』と書かれている。
……そういえば、そんな学習もあったな。
遠い昔、グループで計画を立てて市役所の見学に行ったときの記憶が蘇り、懐かしさ――……を覚える前にため息をつく。
あのときも、ソウと同じグループだったこともあってか、大幅な時間の無駄遣いをしたんだよな。
お陰で、『ダメだ!』と止めた俺までも先生に怒られた。
「……何してんだお前。こんなトコで」
「それはこっちのセリフだ。……日中に貴様と会うなど考えもしなかった」
「どーゆー意味だよ。あ? 俺だってな、まともに仕事してるっつの」
「それは人として当然の義務だろう。そうではなくて、お互い普段は閉鎖空間にいるだろう? だから会わない、という意味だ」
職員が説明を始めたのを機にソウがこちらへ歩み寄り、パンフレットを口元に当てながら俺を睨んだ。
そもそも、日中のこの時間は通常であれば学校内にいて当然。
たまたま今日がB日課で昼が早まったということと、私用で来たという偶然が重なりに重なって今があるが、だからと言ってまさか職務中のソウを見るなど考えもしなかった。
……まともに担任をやれているのか。
つい先日もくだらない話をファミレスで繰り広げた記憶があるからこそ、疑いしか抱いてなかったのだが……どうやら、今のところは公私をきっちりわけているらしく、今も、話に集中していなかった児童の肩を叩いて小さく指示を与えていた。
「お前、今夜ヒマ?」
「特に用事はないが……なんの誘いだ」
「いや、ちょっとメシ食わねぇ?」
「……まぁ……考えてもいい」
「あ、そ。んじゃ、仕事上がったら連絡する」
「ああ」
珍しく金曜以外で誘われたが、まあ、特に断る理由はない。
ただ、しいて言うならば穂澄に連絡を入れないとな、とは素直に思ったが。
……まさか、自分が何かをするために、誰かを気遣うようになるとはな。
一緒に暮らすというのがどういうことなのか最近特に思うからこそ、人知れず小さな笑みが漏れそうになる。
――……が、そんな顔をコイツに見られでもしたら、どうせまたくだらない想像を勝手に働かされて迷惑するだけだ。
咳払いでごまかし、軽く手をあげてから児童たちとともに話へ戻ったソウを見てからドアへ向かうと、そこでようやくため息が漏れた。
「で? お前、彼女とうまくいってんの?」
「……相変わらず、お前の話は唐突だな」
その日の夜。
19時過ぎに仕事が上がったらしいソウから連絡を受け、そのまま普段いきつけの店へ向かった。
一見、古くからある洋食屋のようにも見えるが、店内はバーにも似た雰囲気がある。
だが、ソウの話ではランチとディナーとで雰囲気はがらりと変わっているらしい。
まぁ、一方しか知らない俺には比べようもないんだが。
ちなみに、ソウの自宅はこの店の2階部分。
この店のオーナーがアパートの大家でもあるらしい……という話はまぁどうでもいいのだが、俺が車で飲めないのを承知のうえで、ソウは緑茶ハイのおかわりを頼んだ。
……もう少し人に対する配慮はないのか。
別にそこまで飲みたい人間ではないが、だからといってあまりにもうまそうに飲まれると、多少悔しさもある。
まったく。
これが逆だったら、文句がひとつじゃ済まないだろうに。
相変わらず、自由なヤツだ。
「こないだのアレ。使えたろ?」
「っ……貴様。食事中に卑語は慎め」
「何言ってんだよ。まだ何も直接的なことは言ってねーだろ?」
相変わらずかてーな。
などと肩をすくめたのを見て眉を寄せるも、ソウは煮込みハンバーグを箸で切ると何事もなかったかのような顔で食事を続けた。
無性に悔しいというよりかは、なんなんだいったい。
そもそも、ソウが俺に何を聞きたいのかがまったくわからないからこそ、話す理由もないのだが。
何より、いわゆる閨のことを人に話すのは、道徳に反するというか……ありえないことじゃないのか。
あからさまに面白がっているのがわかるからこそ、俺が言うわけないだろうに。
「……で? もう使いきったか?」
「ッ……だからお前は……」
「あれ。なんだよ、まだ使いきってねーの? うっわ。不健全。お前、あれからどんだけ経ったと思ってんだよ」
「貴様のほうがよほど不健全だろう! あれからまだ2週間も経っていない!」
「あのな、アレに何個入ってると思ってんだよ。ひと晩に2個ずつ使えば、すぐなくなンだろーが」
「っ……この体力の底なしめ」
「まぁな。だてにフットサルやってねーよ」
高校時代サッカー部に所属していたソウは、大学でも当然のようにサッカーをやってはいたらしい。
が、それはじきに飲みサークルへと変わり、結局は別にフットサルチームを作って市内の施設でやるようになった、ということは当時も聞いていた。
だが、まさか社会人になって何年も経った今でさえ、定期的にスポーツをしているとはな。
よほど好きなのか、それともほかに趣味がないのかはわからないが、だからこそうなずける部分もまぁある。
「でもお前、やっぱ変わったよな」
「……何がだ」
「いや、いっつもここに皺寄せてたのに、それなくなったじゃん。やっぱ、彼女の影響ってデカいんだな」
「…………そうか?」
「なんだよ。自覚ねーの?」
人さし指で眉間を押したソウを見て、つい眉が寄った。
途端に、『そうそう、それ』と指さされ、いい気はしない。
「俺は、誰と付き合ってもそう変わらねぇって言われるけど……お前はモロに影響受けてるな」
「……なんのだ?」
「だから。彼女だよ、彼女の影響」
けらけら笑いながら、飲もうとした緑茶ハイの縁を掴んで器用に俺を指さす。
相変わらず、コイツは……。
まぁ、今さら何を言ったところで、コイツの何が改まるでもないだろうが。
「ちょっと羨ましいよ」
「……何?」
「そーゆーのって、なんかいかにも『付き合ってる』って感じじゃん。俺、ねーもん。影響まったく受けないし、だからこそお前みたいにそーやって彼女ができると素直に影響を受けるヤツが、幸せそうっつーか……なんか、なんだろな。心底、惚れてるんだなってわかるっつーか」
「っ……」
緑茶ハイをひとくち飲んでからテーブルに置いたソウは、頬杖をつくと俺ではなく何か別のものでも見るかのように視線を逸らしてから瞳を伏せた。
口元には笑みこそあるが、自嘲的に見えるのは気のせいか。
……やはり、なんだかんだ言って、コイツなりに悩みみたいなものもあるんだろうな。
昔から、人前では決して弱みを見せるようなことがないヤツだったからこそ、強がりメインな部分は何も変わってないとわかった。
「そういうお前は、彼女ができたのか?」
「あのな。あれからまだ2週間経ってねーんだぞ? それに、今は学期末で成績つけるのに必死」
改めて話を振ると、態度を変えて背中を伸ばした。
スイッチが切り変わった、か。
相変わらず、わかりやすいヤツだ。
「まぁ、人数分の所見を書くのも楽じゃないだろうな」
「ったりめーだろ」
俺は担任を持っていないこともあり、生徒ひとりひとりへのコメントを記入したりすることはない。
だが、小学校の担任ともなれば絶対に避けては通れない道。
早めに書いて、すべて管理職の検閲を通さねばならないこともあり、今も日々せっつかれているだろう。
それもあってのストレス解消、か。
ソウが人を食事に誘うときは、大方そういう背景があったりするのを知っている。
そういう部分で言えば、女性がおしゃべりでストレスを発散するのとほぼイコールになるんじゃないだろうか。
「……んじゃ、お前にひとついいこと教えてやろーか」
「断る」
「ンだよ。あからさまだな」
「それは貴様だ。顔がひどいぞ。……何を考えているのか、すぐわかる」
「だろーな。でも、聞いといて損はねぇと思うけど? ……かわいい彼女ちゃん、喜ばしてーだろ?」
「っ……だから、お前の知識は……」
「だいじょぶだって。そこまでハードじゃねーから」
けらけら笑いながら片手でグラスを掴んだのを見て眉を寄せるも、ソウは音を立てて置くと頬杖をついて口角を上げた。
相変わらず、人の良くないような顔だな。
改めて、この人間がまだ人に影響されやすい小学生の担任であることに疑問を抱いた。
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