「……ん。おかえりー」
「ただいま」
 21時を少し過ぎたところで、玄関の鍵が大きな音を立てて開いた。
 お風呂上りなこともあってお茶の入ったグラスに口づけていたものの、改めて里逸に向き直ると、いつもとは違う煙草の匂いに思わずまばたく。
 今日は、友達とごはんって言ってたんだよね。
 飲み屋とは違っておいしそうな匂いに混じる、煙草の匂い。
 どうやら、相手も里逸と同じくそれなりに煙草を吸う人らしい。
「なぁに? それ」
「ああ、土産だそうだ」
「へぇー」
 シンクに置かれたビニール袋からのぞく、白い箱。
 上着を脱いで寝室に入った里逸を見送ってから手を伸ばすと、『大吟醸』なんて言葉が見えた。
 里逸って、意外とお酒好きなんだよね。
 家でも、週末になるとたまに夕飯をつまみに飲んだりすることがあるし。
 ……まぁ、別に酔ったからって豹変するとか、そーゆーのはないんだけど。
 よく、説教魔になったり泣き出したり笑い出したりとかっていうのは聞くけれど、今までそんなふうになった里逸を見たことはない。
 だから、強いのか弱いのかもよくわからないんだよね。
 ていうか、お酒が強いとかってどういう人のことを言うんだろう。
 何杯飲んでもいつもと変わらない人を言うのか、それとも何か別の基準があるのか。
 そもそも、何杯以上飲んだ状態で判断するのかもよくわからない。
 『酔っ払った』感覚をまだちゃんと味わったことがないから、なんか聞きかじりでしかないし。
 ……とか言ったら、里逸はまた目くじら立てそうだけど。
「お風呂入ってきたら?」
「ああ」
 ネクタイを外してスラックスを履き替えた里逸が寝室から出てきて、すぐにお風呂へ向かった。
 今日は運転して帰ってきたから、当然顔色に変化は見られない。
 普段、家で飲むときはそこまで何杯も飲んだりはしないんだよね。
 里逸は強いほう?
 それとも、いつもは量を飲んでないだけ?
「……わかんない」
 まぁいっか。
 ドアが閉まってからしばらくすると、シャワーの音が聞こえてきた。
 明日も当然学校があるし、里逸は仕事がある。
 でも、里逸が外でごはんを食べてきたこともあってか、気分的には金曜っぽいんだよね。
 そのせいか、ちょっとだけだらだらのんびり。
 ……こういう時間も、私は好きなんだけどね。
 もしかすると、いつもせかせかしてるイメージのある里逸は、『時間の無駄遣いだろう』なんて言うかもしれないけど。

「……え、珍しい」
「何がだ?」
「だって、今から飲むの?」
 お風呂から上がった里逸がリビングに戻ってきたとき、手にはグラスと日本酒があった。
 里逸は、家で飲むときは夕飯と一緒の晩酌。
 だから、こんなふうにお風呂上りにお酒だけ……っていうのは、これまで見たことがない。
「ひとくちだけな」
「……ふぅん」
 珍しいことはあるんだなーっていうのは正直な気持ちだけど、ちょっとだけ嬉しそうに日本酒を見つめた横顔を見て、こういうのも悪くないなって思った。
 里逸ってホント、家にいるときと学校にいるときと顔が違うよね。
 なんていうか、こう……すごくリラックスしてる感じ?
 願わくばそれが、“家にいるから”じゃなくて“私の前だから”って実感できると、本当はもっと嬉しいけれど。
「…………」
「……どうした?」
「や、なんか……おいしいのかなーと思って」
 グラスに注がれた透明の液体。
 ほんの少しだけグラスをかたむけて『ほぉ』とか満足げな声が聞こえたから、すごく興味が湧いた。
 いつもは里逸の足の間に入るんだけど、今は対面。
 テーブルに両肘を乗せて頬杖をついて眺めていたものの、ひと口含んで小さくうなずいたのが見えると、やっぱりいつものように彼のところへ身体が動く。
「よいしょっと」
「……座りにくくないのか?」
「全然? それにほら、今の時期背中もあったかいし」
「…………俺はこたつ代わりか」
「そんなこと言ってないでしょ? もー」
 ぺたりと背中を預けて見上げ、皺の寄った眉をほぐすように人さし指で撫でる。
 すると、私を見下ろした里逸も、少しだけ頬を緩めた。



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