「彩先生ー。ひとり、予約じゃない患者さんいるんですけどー」
「ん? ああ、いいよ。今の時間、空いてるし」
「すみません」
「いいえー」
申し訳なさそうな顔を見せたのは、ウチの看護師の三河さゆちゃん。
電子カルテに書き込んでから顔を上げると、ほっとしたように受付へ戻っていった。
さゆちゃんてば、相変わらず心配性だなぁ。
いくらなんでも、そんなことくらいで私も怒りませんって。
ついつい出てしまう苦笑をそのままに回ってきた問診票を見ると、どうやら若い男の子らしい。
……ほー。珍しい。
ウチの医院には、こういった類の若いおにーさんって人は、なかなか来ない。
内科と小児科を併設しているので、どうしても多いのはお年寄りや小さな子たち。
でも、私がいるってこともあってか、割と若い女性の患者さんは多いけどね。
だからなのかなぁ。
逆に、こういう若い男の子って来ないのよね。
……まぁ、別にいいんだけど。
「どうぞ」
少し遠慮がちなノックの音でそちらを見ると、そっと開かれた隙間がゆっくりと広がった。
「…………」
「……? どうぞ?」
無言の彼と、ばっちり目が合った。
……いや、正確には逆か。
目が合った途端、開いていた口を結んだから。
「すみません、失礼します」
「いいえ。どうぞー」
手で椅子を促すと、慌ててドアを閉めた彼が目の前に座る。
年は、えーと……23。
ありゃ、私より5つも若いの?
そりゃ残念だ。
なかなか優しそうでイイ男だったのに、年下って時点でまず守備範囲の外。
昔から年上か悪くても同い年と付き合ってきたっていうのもあるけど、やっぱり自分には年上のほうが合うと思うわけで。
引っ張ってってくれる人のほうが、割と楽。
そのせいで、昔から年下の子と付き合うなんて考えたこともなかったし、事実付き合ったりしなかった。
だって、若いんだもんー。
まぁ、この年になれば文句も言えないだろ? とか言われそうなんだけどね。
でも、やっぱり年下はなぁ……。
しかも、ウチの弟どもより下なんだよ?
うん。ありえない。
……って、こんなふうに患者さんを物色してしまうのは、いつものこと。
でも、やっぱり悪い癖よね。
直そう、うん。反省。
「先生?」
「え? あ、ごめんごめん」
じぃーっと問診票を見ていたら、さゆちゃんに不思議そうな顔をされた。
そりゃそうだ。
慌てて患者さんに向き直り、聴診器のイアピースを耳に当てる。
「えーと……簗瀬巧さん?」
「はい」
「今日はどうされましたか?」
「……あ。ちょっとここが腫れてまして……」
そう言って、彼は喉元をさするように手を当てた。
「……ふむ。じゃあ、まずは胸の音聞かせてくださいね」
「はい」
彼に身体を向け、チェストピースを手にする。
「……ん?」
「あ、いや……別に」
「なぁに?」
ぶんぶん。
チェストピースをあてがうと、声を出さずに首を振った。
……ふむ。
ちょっと、慣れてる……のかしら?
普通の患者さんだったらここで喋っちゃうのに、彼は何も言わなかった。
そんなに病院慣れしてるのかしら。
……って、違うか。
「じゃ、背中ー」
くりんっと椅子ごとこちらに背を向け、器用にシャツを上げる。
……んー……。
気管支も肺も異常ないなぁ。
となると、やっぱり喉の風邪?
「じゃ、喉見ますね」
「はい」
「あーん」
1回1回使い捨てできる木の舌押しへらで喉を見ると……んー、結構赤いねアナタ。
リンパ腫とかじゃなくて、普通に扁桃腺が腫れてるみたいね。
これ、結構痛いんじゃないの?
「……ちょっと、ごめんね」
「え?」
へらを捨て、両手で彼の首もとを包む。
……うん。
「扁桃腺がちょっと腫れてるね。炎症出てるから、痛み止めと痰切り、あと少しだけ抗生剤を出しておきますね」
「あ、はい」
「炎症を抑えるお薬、ね」
「はい」
カルテを書きながら呟くと、特に何も言わずに彼が返事をした。
――ら。
「あの」
「ん? なんでしょう?」
カルテを書き終えたところで、彼が声をかけてきた。
……ふむ。
改めて正面から見ると、やっぱりもったいない。
せめて同い年だったら良かったのに。
……って、違う違う。
「どうしました?」
「……あの。俺じゃダメですか?」
「…………はい?」
いきなり何を言い出すのかと思いきや、なんだそれは。
ていうか、俺じゃダメかって……ええと、何? 何に対して?
思わず、私の考えていたことがバレたのかと思って、めちゃくちゃドキドキするんですけど。
「あ、えと……あの、張り紙。見たんですよ」
「張り紙?」
「外のスタッフ募集を」
「……あー、あれね。え? じゃあ、あなた……」
「看護師です」
「あ、そうなんだぁ」
キィっと小さな音を立てて椅子を回すと、自然に笑みが漏れた。
どうりで、いろいろ不思議な点があったわけだ。
やっと、『?』が解決された。
「医者の不養生ねぇ。自分大切にしないとダメよ?」
「……いや、自分は看護師なんで――」
「あら。医師も看護師も変わらないでしょ? 同じ、医療に携わる人間なんだから」
くすくすと笑いながら聴診器を外すと、彼も小さく笑った。
はー……うわぁ。また、かわいく笑うねぇ。君は。
ウチの弟たちとは違う笑みで、ついつい魅入ってしまう。
ああ、なるほど。
若くて自分好みの子って、やっぱりかわいく見えるものなのね。
「医師だからってやたら偉そうにする人いるけど……あれって、間違ってるわよね。結局ひとりですべてをまかなえるわけじゃないんだし。何より、看護師が支えてくれるからこそ仕事が成り立つんだから」
「そう……ですか?」
「うん」
「……そっか」
彼の問いにうなずくと、ほっとしたようなかわいい顔を見せた。
……はっ。
「で、ええと……簗瀬さん?」
「はい」
「ウチで働きたいって……本気?」
「本気ですよ」
「ふむ」
じぃーっと見る。
まあ確かに、冗談半分って感じじゃないのよね。
「じゃあ、後日改めて履歴書持って来てもらえるかしら。それから、面接しましょ」
「……あ。わかりました」
「それじゃ、今日はこれで」
「お世話さまです」
「いいえー」
頭を下げてからにこやかな笑みを浮かべた彼にこちらも笑みを返し、見送り――。
「あ、そうだ」
「え?」
「看護師さんなら、薬剤情報いらないわよね?」
「あ、ええ」
「ん。お大事にー」
「ありがとうございます」
そうよねー。
わざわざ薬のことわかってる人に、薬の効用やらを書いた紙渡さなくても平気でしょ。
アレだって、タダじゃないんだしね。
「あ、さゆちゃん。簗瀬さん、薬剤情報なしで」
「え? そうなんですか?」
「うん。看護師なんだって」
「へぇー!」
カルテと処方箋を取りに来た彼女に手渡すと、どこか嬉しそうな顔。
……んー?
「なぁに? そんな嬉しそうな顔して」
「え? だってー。先生、今の人採用するんですか?」
「おー。盗み聞きですか?」
「だってぇ」
「しょうがないなぁ」
相変わらず、いい男の情報は耳に入るのが早いらしい。
……まぁ、男性看護師ってウチにいないし、戦力になるとは思うんだけどね。
「どーだろ。まだ、わかりません」
「えー。先生、雇ってくださいよぉー」
「ほらほらっ。次の患者さんが待ってるよー?」
「はぁーい」
そんなね、かわいく擦り寄られてもダメなものはダメ。
こればっかりは患者さんの信用もあるし、何よりも見た目だけで簡単に『採用』って言えるようなものじゃないんだから。
「次は……と。卓也君ね」
「お願いします」
「はーい」
回されてきたカルテを見ながら彼女に返事をし、ドアが開くのを待つ。
……それにしても、看護師かぁ。
確かに、ウチのユニフォーム似合うかも。
…………。
……はっ。いかんいかん。
私もさゆちゃんのこと言えないじゃない。
「……反省反省」
トントン、と軽く頭を叩いて考えを改め、ノックされたドアに向き直ることにした。
|