「悪かったな、こんな時間まで連れ回して」
「そんなことないですよ。こちらこそ、すみません……ずっとお世話になってしまって」
「いや。なんも、世話なんてしてねーから」
久しぶりと表現することのできない場所。
見覚えのある景色との組み合わせの中にある、見覚えのある場所。家。
……11年ぶり、か。
葉山の卒業式のあとの謝恩会を経て……以降足を向けることのできなかった場所。
それでも、車でこの道を通るたびに目は行った。
元気にしてんのかな。
デカくなっただろうな。
そんなことを考えながら、それでも各年の自分の受け持つほかの子の家へ足を向けることしかなかった。
誰が思うか。
自分と同じ“学校”という現場に、立場こそ違えど子どもと関わる形で教え子が戻ってくるなんて。
自分が受け持った相手だからこそ、思いが違う。
こんな嬉しいことはない。
しかも、相手が自分を目指して……と言ってくれればなおのこと。
「………………」
家の車庫に停まっている、黒のエボ。
白い外灯を受けて、きらびやかに光を反射する。
ぱっと見ても、コレをコイツが運転するとすぐイコールで結びつくヤツはいないだろう。
かくいう俺だって、実際運転してる様子を隣でずっと見ていたのに、やっぱり不思議でならなかった。
なんでエボなんだ、と。
当たり前のようにシフトチェンジをして、高速を運転するのを間近で見ながらも、頭でわかっているようでわかっちゃいなかったんだから。
「……もし、お前の知ってる俺が偽者で、お前の知らない俺が本物だとしたらどうする?」
「え?」
さっき見た映画のセリフ。
ふと助手席の葉山を見て、そんな言葉が勝手に零れた。
俺が知ってるお前は、お前じゃない……なんてことは言わない。
だが、俺の知ってる葉山は小さくて、幼くて、車の運転はおろか車についてあれこれ喋れるようなヤツでもなかった。
それがどうだ。
今、目の前にいて『葉山瑞穂』を名乗る人間は、ひとりの大人の女性。
髪の長い、キレイでかわいい俺の好みのタイプ。
ついでに俺のシルビアをキレイだと褒め、好きだと受け入れてもくれた。
「……構わないわ。だって、どちらも本当のあなたに違いないもの」
「っ……」
一瞬目を丸くした彼女が、ふっと笑った。
いつも聞いてる、かわいい声。
なのに、口調が普段と違うせいか、少しだけどきりとする。
「そういうあなたは、私の何を知ってるの? 本当の私を知ってる? 本当の私って、何かしら」
「…………」
「…………」
「…………」
「っ……あの、鷹塚先生……?」
「……あ?」
「そんなにまじまじ見られると……恥ずかしい、です……」
わずかに首を傾げて問われ、何も言えなかった。
唇が開き、見つめたままになってしまった自分を慌てて取り戻す。
俺が言ったセリフに対する、ヒロインのセリフだってことはわかってる。
だが、葉山が言うとまったく違う意味に聞こえるから、困ったモノで。
……振ったのは俺なのにな。
なんつー勝手なヤツだ。
「…………」
確かに俺は、葉山を何も知らない。
同じように――……葉山は、俺のことを何も知らない。
……何も。
こんなことを今、葉山に対して思っていることも。
「……じゃあ……またな」
うっかり伸びそうになった手に気付き、彼女ではなくギアへ置く。
それを見て、葉山がぺこりと頭を下げた。
「今日は、本当にありがとうございました」
「いや、こっちこそ」
礼を口にしてから降りた葉山が、フロントを回って運転席側へ回った。
少しだけ屈んだ姿勢の彼女に窓を開けると、また、あの柔らかい笑みを浮かべる。
「気をつけてくださいね」
「サンキュ。んじゃ、またな」
「はい……っ」
うっかり胸元へ目が行きそうになった自分の頬を軽く叩き、クラッチを踏――……んだところで気付いた。
大事なモノを忘れてたことに。
「葉山。コレやるよ」
「え? ……っ……! だめですよ!」
「なんでだよ。俺が困るから素直に貰えって」
「でも……っ!」
「俺からの就職祝いな。高いモンじゃねーから、普段使えよ?」
放っていた上着を後部座席から取り、ポケットから小さな箱を取り出す。
先ほど、葉山が時計を買った店で買ったモノ。
丁寧に施されたリボンは、崩れることなくキレイなままだった。
「な。貰っとけって」
「……いいんですか?」
「もちろん」
不安そうな顔をした葉山に、笑みを浮かべてうなずく。
すると、おずおずながらも両手を伸ばしてくれた。
「ありがとうございます……! すごく、すごく嬉しいです」
「そりゃよかった」
ぎゅ、と両手で包み込むように握ったのを見て、笑みが浮かぶ。
まるで、心底大切なモノを扱うみたいな仕草。
高いモノじゃないだけに申し訳なくもなるが、それよりもやはり嬉しさが強い。
「んじゃ、そゆことで」
「ありがとうございました」
「いーよ。またな」
「はいっ」
窓から手を出して振り、ギアを入れてアクセルを踏み込む。
次に葉山と会うのは、明後日の月曜日。
そのとき彼女があれを身につけてくれていることを期待している自分がいて、『自惚れ過ぎ』だと自嘲気味な笑いが出た。
「おはようございます」
「あ、おはようございますっ」
月曜日の9時半をまわったところで、葉山が職員室に顔を出した。
途端、花山が音を立てて立ち上がる。
……に留まらず。
ふんふんと鼻息荒く、葉山へ早速絡み始めた。
「ああっ、ステキなネックレスですねー!」
「……あ、ありがとうございます」
これはっ! とまるでポイントを見事に掴んだみたいな顔して、花山が声をあげた。
だが、葉山はというとそれを聞いてなんとも言えないような表情。
……理由はまぁ、多分アレ。
先日の、俺からの就職祝いってヤツだからだろう。
「……先輩。気付きました?」
「何が?」
「だめですよ? 女性の変化には敏感でないと!」
ふふん、となぜだか知らないが満足げに胸を張った花山は、なおも続ける。
つーか、どっから来るんだその妙でやたらな自信は。
「ステキですねー。とっても! 葉山先生のセンスのよさが伺えます」
「あ、いえ……これは……いただいたんです」
「えぇっ!? そうなんですか!?」
「はい」
小さなダイヤが付いた、揺れるリボンと淡水パール。
かつ、女の子に人気のピンクゴールドのネックレス……とかなんとか。
包んでくれながら教え子がにやにやと教えてくれた。
まぁ、なんでもいいんだけど。
俺としては、コレを見たときまず葉山が思い浮かんだから選んだってワケで。
「……先輩? また何かしたんですか?」
「また、ってなんだ。失礼だぞお前は」
宿題の日記を読みながら顔を上げずに答え、赤のゲルインクボールペンで感想を書き入れてからそちらを見ると、まるで食いつきそうな顔の花山がいた。
葉山がちらりと向けた視線のあとの笑みが、意味ありげだったと気付いたらしい。
にしても、俺を睨むっつーのはなんだ。いい度胸だとも褒めてやればいいか?
「花山。お前、褒め方がベタすぎ」
「え! なんでですか!」
「まぁ見てろ」
やれやれだぜ、とばかりにため息をついてから立ち上がり、クリアファイルの整理を始めた葉山の隣へ並ぶ。
すると、相変わらず柔らかい笑みを浮かべて俺を見た。
「葉山先生。おはよ」
「おはようございます」
「あれ、腕時計買った?」
「……そうなんです」
わざとらしくしたのは、あいさつだけじゃない。
まるで今気付いたとばかりに時計のことを口にすると、さすがの葉山もくすくす笑いながらうなずいた。
「っ……あ……」
「へぇ、かわいいの選ぶよなー。作りも凝ってンし。……ふぅん」
「……あ……りがとうございます」
すい、とまったく躊躇なく左手首をすくい上げるように取り、まじまじと見つめる。
で。
「ってか、手首ほせーな! 俺の半分もねーじゃん!」
「そ、そんなことは……!」
「あんだろ! 現に、バンドの穴も……1番手前じゃん。どんだけほせーんだよ」
両手で葉山の手を弄るように触れ、手首をマッサージするように軽く揉む。
昨日と同じ感触。
細くて、華奢で。
見た目よりもずっとそうだと、こうして触れてみるとわかる。
「現状維持な」
「っ……わかりました」
昨日の口調と同じく言ってやると、どうやら彼女も思い出したようでくすくす笑いながらうなずいた。
その姿を見て満足してから、花山へニヤリと笑いつつ席へ戻る。
途端、わなわなと肩を震わせていた花山が、噛み付くようにこちらへ椅子ごと近づいた。
「先輩! あれ、セクハラじゃないですか! あんまり……っていうか、ベタベタと触らないでください!!」
「なんでお前にそんなこと言われなきゃなんねーんだよ。あ? 葉山センセはお前の彼女か?」
「そっ……それは違いますけれど……でも! だめです!」
あァ? と眉を寄せて見た途端、うぐっと言葉に詰まったのは正直者ならでは。
そんな姿に笑いそうになりながら、改めて日記へ向き直る。
「だから、あーゆーふうに突破口開いて、口説きながら触ンだよ」
「……へ」
「ばーか。ただ褒めたところで、何も進まねーだろ」
ぽくぽくぽく、ちーん。
口を開けたまま俺を見つめていた花山が、ほどなくして『ああ!?』とデカい声をあげた。
どうやら、わかったらしい。
やり方、ってヤツが。
「うわ! うわわ、そうですね! 先輩、さすがです!!」
「まーな」
ふん、と鼻で笑ってから、日記に『よくできました』と書き込む。
祖母の畑仕事を手伝ったことで、農業の大変さが少しだけどわかったという、男子の日記に対する感想。
なのだが、なぜだか少しだけ自画自賛的なコメントに見えて思わず笑えた。
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