「お。さすがに空いてるな」
国道1号沿いにある、10年近く前からあるラーメン屋。
俺が通い始めたころはそんなでもなかったんだが、最近のラーメンブームでいくつかの雑誌にも紹介されたらしく、メシどきには行列ができるようになっていた。
そのせいで、最近来たのは先月の飲み会のあと、営業時間ギリギリのときだったのを覚えている。
駐車場へ車を停めたところで時計を見ると、17時を少し過ぎたところ。
夕飯どきにはまだ早いらしく、表に出されている幾つかの椅子には人影もなかった。
「……悪い。煙草クサかったろ?」
「いえ、大丈夫ですよ? 心配しないでください」
「サンキュ」
車を降りてルーフ越しに彼女を見ると、くす、と笑った葉山が首を振って俺と同じく前へ来た。
さらりと流れる髪を見て……あ、なるほど。
どうりで普段と印象が違うと思ったら、今日は髪を全部下ろしてるんだな。
いつも職場で見ていたのは、ハーフアップに纏められている髪型。
そのせいか、こんなふうに髪を下ろしてる姿は初めて。
いつもと違って『かわいいなコイツ』と思うことが多かったのは、もしかしたらこの髪型ってのも理由にあるのかもしれない。
プライベートな時間を過ごしていた、葉山。
思いっきり私的な部分を垣間見ることができて、なんとなく優越感のようなモノが生まれる。
……アレだ。
恐らく、未だに俺が葉山と絡むのをいい顔しない、花山あたりへの牽制材料にはなるしな。
「ここなー、全部うまいぞ」
「すごくいい匂いしますね」
「だろ? オススメは、味噌とんこつ全部乗せ」
「全部乗せですか?」
「そ。もやし、メンマ、ネギ、味玉、海苔……あと、チャーシューか? コレ全部乗って、普通のプラス200円」
見た目もデカいががっつり食えるってのもあって、ここへ来たらほぼ毎回それ。
券売機にある『オススメ』って文字に、激しくうなずく。
「……って、あんま脂っこいのはアレか」
「あ、いえ。せっかくなので……オススメを」
「マジ? ……はー。お前、ホントかわいいこと言うよなー。ぜってー喜ばれんぞ。ソレ」
「っ…そんなことないですよ」
「いやいやいや。現に俺は喜んでる。連れて来た甲斐があるってモンだろ?」
素直な感想を口にしながら券売機へ向かい、札を入れ――……ようとしたら、隣から出てきた手が挿入口を塞いだ。
細くて白い指。
光を反射する、つるりとした爪。
誰のモノかなんてわかっちゃいたのに、一瞬その手に目が奪われた。
「ん?」
「ここは払わせてください」
「なんで」
「だって……映画、奢っていただいたんですよ?」
「だーかーら。さっき言ったろ? 俺の服買ったあとからは、一切文句言わないって」
「っ……でも、それは……」
「いーから素直に奢られとけって。たまにしかねーぞ? 俺がこんなふうに言うの」
だいたい、奢られる役だった。少し前までは。
それが、後輩ができて徐々にそうも行かなくなって……現在に至る。
さすがに、花山とはワリカンのままだけど。
アイツは見るからに『先輩奢ってくれますよね?』オーラが出ているから、敢えてそれはしてやらない。
「それにな? 俺だって、年上からはまだ奢られることのほうが多いんだよ。で? お前は年下だろ? 俺の」
「……そう、ですけれど……」
「だったらここは素直に奢られて、これから出てくる後輩に奢ってやれ。な?」
目を見て念を押してから、券売機に宛がわれていた手を外す。
そのとき、自分とは違う華奢な指の感触に思わずすぐ手が離れた。
……つーか、あったけー手だな。
俺の手が冷たいのかもしれないが、温もりとその柔らかさとで、正直頭が驚いたってのもある。
女の子、か。
いつまでも俺の中の葉山は成長してなくて、目の前に本人が居るにもかかわらず、『子』という認識が改まってなかった。
……のだが。
子、じゃない。もう。当然だが。
俺の隣で申し訳なさそうな顔をして見上げている彼女は、ひとりの大人の女だ。
「いらっしゃいませー」
「あ。ふたりっす」
「こちらへどーぞー」
案内されるまま端っこのカウンターへ座り、食券を2枚差し出す。
時間が時間ってのもあるんだろうが、店内はまだ空席があった。
ざっと見たところ、座敷には家族連れ。カウンターにはひとりかふたりで来てるヤツって感じか。
なんてことを考えながら冷えた水のグラスを手にして隣を伺うと、葉山は長い髪を器用に高い位置で纏めていた。
「……あー、なるほど」
「え?」
「それ。髪纏めるためか」
カウンターにあった、シュシュ。
最初は『シュシュってなんだ』と思ったんだが、散々クラスの子に教え込まれて今では理解できるまでになった。
それでも、わからなかったんだよ。
なんで、ラーメン屋にコレがあるのか。
ティッシュがあるのはわかるぞ? まだ。
だけど、コレはいらねーだろ、ってずっと思ってたんだが……なるほど、納得。
男じゃなくて、女性用ってことな。
特に、葉山みてーに髪が長い子のために。
「邪魔にならないように、か。……なるほど。流行ってるのは味だけのせいじゃねーんだな」
「すごいですよね、シュシュが置いてあるなんて。ごはんを食べるとき、どうしても邪魔になるので、すごく助かります」
髪型がつい今しがたまでと違うせいか、にっこり微笑まれて一瞬どきりとする自分に……どっきりする。
まぁ距離が近いのもそうなんだが、もちろんそれだけじゃない。
かわいいんだよ、やっぱり。
ひと回り年下だとわかっていても、所々にイイ女の仕草を見出してしまい、慌ててそれをなかったことにするんだが……毎回毎回そうもいかず。
……なるほど。
なんだか勝手にいろいろと納得してしまった。
「お待ちどうさまですー」
相変わらず愛想のいい店員が、デカい器を目の前に置いた。
ふたつとも、器の縁から同じように見えている壁みてーな海苔に、思わず笑う。
「熱いので、気をつけてくださいね」
「……あ。ありがとうございます」
いつも言われる言葉も、こうして隣にかわいいねーちゃんを連れてるとそっちに向けられるんだな、なんて店員を見てふと思う。
愛想がいいのもいつもと同じなんだが、俺じゃなくて見ている相手は葉山。
その笑顔が、いつもと違っていかにも『かわいい客』に対する愛想で、若干噴きそうになった。
「? どうしたんですか?」
「いや、何も」
男ってのは正直だな、と思う半分やっぱりな、とも思う。
わかりやすいっちゃ、わかりやすい。
……まぁ、それは俺も同じなんだろうけど。
「すごいですね。……たくさん」
「多いか?」
「あ、いえ。多分……大丈夫だと思います」
頼んでおいてなんだが、コレはある意味サイズが違う。
普段、葉山がどれくらいの量を食うのかわからないが、ぱっと見ても多く感じて当たり前。
なのに、ハナから『無理かも』とは言わずに、大丈夫だとうなずいたのを見て、やっぱり人柄なんだよなと思う。
子どもたちにもよく言う言葉だが、精一杯やってみての結果なら仕方ない、と思ってる。
だが、やりもしねーで結果を勝手に予想してその通りの結果しか得られなかったときに言う、『ほらね』というセリフ。顔。
それが、俺は一番好きじゃない。
昔のことを覚えているのか、はたまたそんな俺と同じように育ってくれたのかはわからないが、『おいしそう』と笑みを浮かべる姿には当然好感を持つ。
「どうぞ」
「お。サンキュ」
差し出された割り箸を素直に受け取り、ぱきん、と音を立てて割る。
「んじゃ」
「はい」
「「いただきます」」
顔を合わせ、口にした言葉。
それが何かとカブった気もしたが、くす、と笑った葉山も同じように割り箸を横向きで割った。
「……あー、うまかった」
むっとしていた店内のせいか、それとも熱いラーメンを食ったせいかはわからないが、食べ終えてから店の外へ出ると空気が心地よかった。
「おいしかったです」
「そりゃ、よかった」
「鷹塚先生、おいしいお店ご存知じゃないですか」
「ラーメン屋ならな。こんなんでよけりゃ、幾らでも教えてやるよ。ダテに何年も独りやってねーからな」
いたずらっぽく笑い、肩をすくめる。
すると、慌てたように葉山が『そんなつもりじゃ』と言葉を付け足した。
「ラーメン屋巡るか?」
「えっ。本当ですか?」
「ああ。葉山が仕事のとき、早く上がれたら一緒に行こうぜ」
彼女が言った、好きだという言葉。
アレを思い出して口にすると、驚いたように瞳を丸くしながらも、嬉しそうな顔を見せた。
それが、嬉しい。
コイツが俺に向けてくれる、素直な感情が。
「いいんですか? ……本気にしちゃいますよ?」
「おー。もちろんそのつもり。……あーでも、アレだな。俺みてーなガラ悪いのと一緒に居たら、彼氏とかできねーぞ」
「っ……そんな! 私、鷹塚先生と一緒に居られて嬉しいですよ?」
「へぇ?」
「すごく楽しくて、好きです」
「……好き?」
「っ……はい」
怪訝な顔をしてから、足を止めた彼女に顔を寄せる。
まじまじと見ること数秒。
いつもよりずっと近い距離のせいか、コイツまつげ長いな、なんて余計な情報も入ってきた。
「っ……!」
「よしよし」
いい子いい子、と頭を撫でてやると、肩をすくめたせいかいつもより小さく見えた。
「でもホント、あんだけうまそうに食ってくれるなら、こっちが頼みてーよ。ちゃんと残さず、きれいに食うよな。見てて気持ちいい」
「……さすがに、スープは全部飲めませんでしたけど……」
「まぁ、それはな。でも、よく食ったよ。偉い」
久しぶりに口にした……というよりは、割としょっちゅう使う『偉い』という言葉。
だが、大人に対して使うことはほぼない。
失礼だろ? 明らかに上から目線で。
だが、うっかり出てしまった言葉ながらも、葉山は『ありがとうございます』とどこか嬉しそうに笑ってくれた。
「俺さ、ダメなんだよ。一緒にメシ食い行って、残されンの」
気になる。すげー気になる。
ハナから食えないとわかってる量を頼むヤツは、特にダメ。
食えないなら食えないなりに、残さなくて済む量を食えばいいだろ、と。
それは男女関係なく、若かろうと老いてようとも同じ。
だから、飲み会のシメってときになって、花山が頼んだ手羽先を食わずに帰ろうとしたのを見て、その場へ引き倒したこともある。
……まぁ、アレはやり過ぎだったな、と今になってみれば思えるが。
「だから、葉山がキレイに食べたの見て、すげー嬉しかった」
「……そう……ですか?」
「ああ。またメシ食い行こうぜ」
お前みたいなヤツなら大歓迎。
俺より早くはないものの、うまそうに食べてくれる気持ちイイ姿には好感。
つくづく、お前は俺の期待を裏切らない。
「……混んできたな」
すでに暗く、日の落ちた現在。
駐車場は空き待ちの車が2台ほど停まっていて、国道も渋滞を見せていた。
「あっ。ご馳走さまです」
「いーえ。気にすんな」
「っ……」
店の明かりを背にこちらを向いた葉山は、いつもと違った雰囲気をまとって見えた。
そのせいか。
さっき躊躇したクセに、頭をくしゃっと撫でたのは。
「……あ」
「あ?」
「すみません、あの、これ……返してきますね」
「っ……」
足を止めた葉山が、しゅ、と音を立てて纏めていた髪を解いた。
途端、さらりとキレイな弧を描いて髪が肩へ落ちる。
……昔。
小学生だったあのころとは違う、長い髪。
そして、普段とも違う髪型。
……俺の好きな、長いキレイな髪だ。
「…………」
店まで小走りで戻った後ろ姿を見ながら、喉を鳴らした自分に驚く。
だから、口元に手を当てて、戒める。
ヤバいと思った自分に、ちょっと待てよ、って。
相手は誰かわかってんのか、と。
……いや。
相手は――……相手は誰だ?
「お待たせしました」
「あ? あ、あ」
にっこり笑って戻って来た葉山に、一瞬言葉が出なかった。
何考えてんだよ、俺は。
違うだろ。
コイツは、俺の教え子。
大事な――……大事な、ヤツ。
「………………」
車の鍵を開け、運転席へ乗り込む。
近づいて、知れば知るほどますます『やっぱり』とか『よし』が増えて行く相手。
だが、好感を持てば持つほど、ヤバいと思う。
自分の中の何かが、警鐘を鳴らす。
……のに。
その警鐘すら、鬱陶しくなってきた。
理由は、なんだ?
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