「……予想外の展開だったな」
「そうですね。……びっくりしました」
 2時間弱の映画を見終えて、映画館をあとにしたとき。
 今までいたのが薄暗い館内だったせいか、本屋の白い照明がやけに眩しく見えた。
「まさか、プリウスでジャンプとはな。……すげー度胸」
「あんなに飛べるなんて、思わなかったです」
「だよなー。俺も」
 くすくす笑いながらうなずく葉山に、激しく同意。
 よくある、工事中の高速道路ジャンプ。
 勢いよく走った先はまだ作りかけで、最後が繋がっていない。
 だが、後ろからは追っ手が来ていて……よし、飛ぶか!! という、お約束のようなシーン。
 それを、馬力がものすごい車でもなんでもなく、まさかのプリウスジャンプ。
 ……中身、積み替えてんのかな。
 純正だとしたら、恐ろしい。ある意味。
「……あー……どうりで」
「え?」
「いや、腹減った」
 いつものクセと、今の自分の腹具合から見た腕時計。
 そこには、16時半を少し過ぎた時間があった。
 普段ならまず『メシ食うか』なんて思いもしない時間だが、今日に限っては話が違う。
 昼メシ抜き。
 俺のライフスタイル上まずありえないことが起きた日だったので、映画のスタッフロールが流れ出した途端、集中力が途切れたのか腹がコロコロ鳴り出した。
 正直なモンで、と我ながら思わず笑えたが。
「葉山は?」
「え?」
「メシ食える?」
 俺のほうはまったく問題ないんだが、かといって彼女が同じタイミングで食えるかっつーと答えは当然違うワケで。
 だが、ゆっくり歩きながらも、葉山は笑ってうなずいた。
「お腹空きましたね」
「いい答えだ」
 よし、と言いながら曖昧に設定していた目的地を、明確なモノにする。
 とりあえず、3階の立体駐車場。
 まずはそこだ。
「……あ。そーいや、葉山。今日、車だよな?」
「あ、いえ。今日は、歩いてきました」
「………………歩き?」
「はい」
 ふつーの顔でふつーに聞こえた、ふつーじゃないセリフ。
 いやいやいや、ンなにこにこされてもだな。
 思わずまじまじと見つめてしまい、それでも反応が変わらないのを見て『マジか』と小さく口が動いた。
「え。アレ? 引っ越したりした?」
「いえ、家は同じ場所です」
「……って、すげー距離ねーか?」
「そうですか? でも、普段なかなか運動らしいことをしないので……」
「いや、そりゃそーかもしんねーけどよ」
 それを言ったら、俺だってそーだ。
 そりゃまぁ多少体育で動くっつったって、子どもらと比較したらまったく違う。
 基本、指導者。
 多少交ざってやることもあるが、しょっちゅう動いてばかりじゃもちろんない。
 通勤だって買い物だって、全部車。
 歩くなんてことは珍しい。
 つか、買い物中くらいのモンだ。こんなふうに歩き回るってのは。
「痩せるため、とか言わねーよな?」
「っ……」
「あァ? どこに肉付いてんだよ。こんなほっせーのに」
「……あ!」
 笑顔のまま固まったのを見て眉を寄せ、ぐい、とその手首を取る。
 人差し指と親指。
 その2本で輪を作った中に、かなりの余裕を持って収まる手首。
 細!
 つーか、なんだ。これ。
 折れそうだぞ、お前。
「ダメだからな。お前は、現状維持しろ」
「現状維持、ですか?」
「そ。痩せもせず肥えもせず。今のまま」
「……わかりました」
 大きくうなずいてやると、小さく笑ってから葉山もうなずいたから、まぁよし。
 それを見て、よし、と思わず腰に手を当てると、『先生みたいですね』と言われた。
 いや、先生に違いねーけどな、とはさすがに言わなかったけど。
「んじゃ、俺ので行こうぜ」
「え? ……いいんですか? 乗せてもらっちゃって……」
「たりめーだろ。つか、むしろこっから一緒に歩こう、ってほうが俺にはツラい」
 不健康代表だからな、と笑いながらエレベーターの3を押し、車を止めた駐車場へ。
 財布から駐車券を取り出し、まず降りた階にある事前精算機で料金の精算。
「あ。そういや、何食いたい?」
「鷹塚先生は、何がいいですか?」
「……んー……。食いたいっつーか、そもそもアレなんだよ。俺、店知らなくて」
 こんだけ長いこと食うに困るような独り身生活をしているクセに、店をよく知らない。
 というか、探してないともいう。
 ぶっちゃけ、男ひとりで躊躇なく入れる店ならある意味知り尽くしてるようなモンなんだが、女の子を伴っていくとなると話はまったく違ってくる。
 雑誌なんかに載ってる、きれいな夜景の見えるーとか、かわいい店内のーとか。
 そーゆーモンは、俺にとって不必要な情報だったワケで、  俺にとって大事なのは、いかにして早く安く簡単に食えるか、ってこと。
 誰とも喋らずにただ空腹を満たすだけの『済ませる』食事なんて、そんなモンだ。
 飲みに行くんじゃない限り、誰かと話しながらメシを食うってことはほとんどなかった。
 ……まぁ、逆に言えばそういう生活をしてるから、今のこの生活から抜け出せないってのもあんだろーけど。
 友人に言われたモンだ。
 鷹塚、お前もう少しマメになったほうがいいよ、って。
 意味がわからなかったんだが、確かにそうだったのかもしれない。
 情報は情報として必要なときに必要な量を引き出せるように、ストックだけはしておいて損はなかったんだ。
 ……それをしなかったから、今困ってる。
 教え子とはいえ、相手は女の子。
 せっかくメシを奢ってやるってのに、それがファストフードってのはな。
 …………ちょっとヤバい。抵抗が大きい。
「俺さ、基本誰かとメシ食い行くってことがなくて。あっても、それ居酒屋だし。だから、あんま知らねーんだよ。それこそ、ラーメン屋くらいしか」
「ラーメンですか?」
「ああ。好きなんだよな、俺。ラーメン」
「あ、私も好きですよ」
「うっそ。マジで? ……へぇ。意外。いや、意外っつーかちょっと嬉しい」
「おいしいですよね」
 精算が済んだ駐車券を受け取りながら、葉山を見て笑みが浮かぶ。
 たったひとこと同意されただけなのに、ものすごく嬉しかった。
 いや、こういうのは誰でもあると思う。
 自分が好きな物を、好きと言ってくれる。
 それだけで、全然知らない相手にも急に親しみを覚えるようなことは。
 まぁ、俺の場合は相手が葉山だからこそ、余計嬉しかったんだけど。
 つーか、やっぱりな、ってのもどこかにあった。
 コイツはつくづく俺の喜ばせ方をよく知ってる。
「夕飯、ラーメンとかでもいいか?」
「もちろんです。最近食べてないんですよ、ラーメン屋さんのラーメンって」
「そうなのか?」
「はい。たまにひとりで食事ってなっても、私……ダメなんです。ひとりで、お店に入ってごはん食べるのって」
「……へぇ」
「なので、どんなにお腹が空いていても、家で作って食べるか、何か買って帰ります」
「へぇー」
 意外や意外。
 つーか、アレ? もしかして、コレは男女差ってヤツなのか?
 俺は基本どこでも食えるし……まぁ、焼肉屋にひとりで行くってのは切なくてしねーけど、その他のメシ屋ならば大丈夫だと自信はある。
 だが、まさか外でひとりでメシを食うことがない、と言いきるヤツが居るとは。
 ……あー……まぁ、ほかを知らなすぎるのかもな。俺は。
 なんつったって、普段は男としかツルまねーし、たまに女性と……つっても相手は小枝ちゃん。
 彼女は、俺の中で女性という位置づけじゃない。
 どっちかっつーと、男友達に近い感覚だ。
 あの生中の飲みっぷりは、ハンパねーから。
 喋り方といい知識の多さといい、男だったらモテるタイプ。
 さばさばしてるから、余計に異性って感じがしねーんだろーけど。
「よし。んじゃ、一緒に食おーぜ。ラーメンなら、茅ヶ崎……いや、平塚? ヘタしたら、大磯ぐれーまで食い行ったかも」
「そうなんですか?」
「ああ。少なくとも、その辺までのうまい店は知ってる」
 ポケットからひと纏めの鍵を取り出し、先行して車へ。
 少し離れたところにある、白い車。
 ……あー。そろそろ洗わねーと、黒点が……。
 タイヤ周りに付いた泥跳ねで、ふとそんなことを思いながらボタンを押してすぐ、ライト点滅とともに開いた鍵。
 すると、すぐ隣の葉山が声をああげた。
「鷹塚先生、シルビアだったんですか?」
「そ。俺のS15(イチゴー)
 白シルビア。
 知り合いの業者へ車を選びに行ったとき、この顔に惚れて買った。
 キレイだと素直に思ったから、どうしても欲しかったんだよな。
 前もイイが、後ろもイイ。
 すげぇキレイな車だと思う。
 ……今は若干薄汚れてるが。オーナーのせいで。
「保険高いけどな。でも、やっぱどうしても欲しかったんだよ。コレ」
 運転席を開けてから――……気付いた、助手席へ放ったままの荷物。
 やべ。普通に荷物山積。
「……わり。ちょ、待ってな」
 慌てて助手席にあった数冊の教科本を後部座席へ移動し、置きっぱなしだった革靴も一緒に片付ける。
「普段、人なんて乗せねーからさ。悪い。すげー汚い」
「そんなことないです! 全然、気にしないでください」
「いやいやいや。そーゆーワケには行かねーだろ」
 ようやく片付いたのを見て、開いた助手席のドアから葉山を見ると、相変わらず優しい顔で首を横に振った。
 恩師の威厳なんてモンはねーな、コレじゃ。
 まぁ、ハナからわかってたことだから、仕方ないっちゃないんだが。
「目立ちますよね。シルビアって」
「そーか?」
「だって、すごくきれいな車じゃないですか。……私、シルビア好きです」
「マジで? ……ったく、相変わらず俺のツボよくわかってんなー。サンキュ。嬉しい」
「それじゃ、MR−Sはどなたのですか?」
「あー。アレは、小枝ちゃ……金谷センセのヤツ」
「わ。そうなんですか?」
「そ」
 ウチの学校の駐車場は、職員玄関の少し奥に入った所にある。
 だから、車通勤じゃない葉山も知ってて不思議じゃない。
 ……でも、たとえそうじゃないとしても、あのMR−Sだけは嫌でも目に付くはず。
 小枝ちゃんだけは、たまに職員玄関に横付けしてることがあるから。
「鷹塚先生、昔から変わらないですね」
「そうか?」
「ずっと、カッコいいままですもん」
「っ……」
 失礼します、と小さく口にしてから助手席へ座った葉山が、シートベルトを手にして俺へ身体ごと向いた。
 もちろん、バックルへ固定するために。
 それはわかってるんだが、面と向かってまっすぐなセリフを言われ、思わず目が丸くなる。
「……カッコいい、ね」
 ハンドルを握りながら思わず自嘲気味に漏れた言葉に、我ながら呆れた。
 葉山の中の俺は、どういう存在なんだ。
 どんな人間に映ってる?
 確かめる術はないからこそ、疑問は疑問のままそれ以上発展しないってのが悲しいところだが。


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