「…………っぶね……!」
 夢が途切れた。
 と同時に頭から落ちそうになり、慌てて体勢を戻す。
 ……心臓ばくばく。
 だっせーな。何してんだよ。
 寝返りを打とうとして落ちるとか、子どももしねーっつの。
「…………」
 だるい。
 なんでこんなにだるいんだ。
 理由がぱっと頭に浮かばず、眉を寄せて寝返りをうち――……かけて、はたと止まる。
 こちらへ背を向け、壁を向いて眠っている彼女が目に入ったから。
 ……いや、正確にはその素肌が、ってほうが正しい。
 白い、柔らかい肌。
 どこを触っても心地よくて、滑らかで、気持ちよくて。
 甘い香りがして……舌触りもいい。
「…………」
 体重を移動させ、彼女の背中へぺたりと張り付くように寝る。
 ……あー、気持ちイイ。
 結局、昨日は……いや、途中で日付変わったから『今日』だな。
 彼女を抱いてしっかり味わってたっぷり堪能したあと、数秒と経たないうちに意識が途切れた。
 いや、俺じゃなくて彼女が。
 そうなるとさすがに手も舌も出せるワケがなく仕方なく眠ったものの、それでもシマリがないまま寝ることはなく、下着は履いたらしい。
 つか、なんで上脱いだんだ。俺は。
 確か寝るときは、ちゃんと着てたはずなのに。
 ……まぁ、いーけど。
「…………」
「……ん……」
 鼻先に香る甘い香りを堪能しながら、胸へ伸ばした手が勝手に柔らかさを求めて動いた。
 ついつい反射的に胸を弄り、後ろ向きのまま抱きしめる。
 そこで彼女が起きたらしく、一瞬身体がぴくんと反応をみせた。
「……起きたか?」
「っ……」
「おはよ」
「…………おはよう、ございます」
 肘で身体を支えながら顔を覗き込むと、それはそれは驚いたような顔をして、掛け布団を胸まで引っ張った。
 が、残念。
 俺の手はすでにその下にあるので、隠したところで意味はない。
「っ……」
 体重をかけないように気をつけながら口づけをし、小さく笑う。
 夜とは違う、朝の顔。
 時計を見るとまだ5時半を回ったところで、そりゃ眠いワケだと納得もした。
「……あ。そーいや6時に露天風呂予約したんだ」
「え?」
「ほら、貸切露天。一緒に入ろうぜ」
「っ……え、え……お風呂、ですか?」
「そ。きれいにしてやるよ」
「……っ」
 ひたり、と彼女の背中に手のひらを当て、冗談交じりに笑う。
 だが、彼女には冗談に聞こえなかったらしく、まばたきをしながら俺の本意でも探ってるのか、まっすぐに見つめてきた。
「っ……そ、壮士さっ……!」
「あー、すっげぇよかった。……余裕なかったけど」
 いろいろと。
 ぎゅう、と力を込めて彼女を抱きしめ、耳元で囁く。
 するとほどなくして、おずおずと細い腕が俺の背中にも回った。
「……すげぇ気持ちよかった」
 ぼそり。
 今のは完璧独り言。
 だが、ある意味反芻(はんすう)でもある。
 となると当然のように身体が反応し、特に――……起きぬけということもあって、下半身は元気で。
「っ……え、ぁっ……!」
「ダメだ。思い出すと……ちょっと」
「ふ、ぁ、えっ……! ええっ……!」
 もぞもぞと彼女の身体を足で押さえこみながら、当然腕でも動きを封じる。
 間違いなく当たっている、ソコ。
 それがわかるから、困ったように身じろぎしているんだろうが。
「……あー、やっとだ」
「え?」
「やっと笑える」
「っ……」
 しばらくそのままでいたら、不意に笑いが漏れた。
 不思議そうな彼女に首を振り、少しだけ身体を離して笑みを見せる。
 だが目が合った途端、彼女は驚いたように瞳を丸くした。
「アメとムチの、ムチしか使ってなかったからな、今まで」
「そう……ですか?」
「だろ? いろいろやって……お前泣かして。悪かったな」
 口にした謝罪は、もろもろに対するモノ。
 言うなれば、これまでずっと彼女に対してきた『俺』を詫びる言葉だ。
「俺は基本、甘党なんだよ。だから――……これからは、たくさん甘やかしてやるから」
「……あ……」
「全部見たろ? わかったよな? 俺のこと。もう、隠し設定ねーぞ」
 髪をすくい、さらさらと弄る。
 心地いい、長い髪。
 いつまでも触っていたくなるし、実際触っていられるだろうから不思議っちゃ不思議だ。
「お前は昨日『嘘をついてた』つったよな。だから俺も言う。……ホントのこと」
「っ……え、それじゃあ……ずっと、ですか?」
「あんな、俺の“負の面”見ても引かずに受け止めてくれたの、お前だけだ。……だから半分以上は本物だぞ? 実際、みっともねーとこ見せたくなくて、嫌われたくもがっかりされたくもなかったのは、本音だ。……でも、やっぱりお前が欲しくてたまらなくなったのも、本当。……悪かったな、泣かせたり、試すようなことして」
「そんなことないです! だって……私……、嬉しいです」
「……そうか?」
「もちろんです。……だって……ああいう壮士さんのこと知ってるの……私だけですよね?」
「ああ」
「っ……嬉しい」
 ふるふると首を振った彼女もまた、笑みを浮かべた。
 撫でなでとあちこちを彼女の小さな手のひらが触れ、そこからぬくもりが伝わってくる。
 ……かわいく笑うな、あんまり。
 またシたくなるだろ。
「……全部、教えてください」
「何?」
「だって……壮士さんのいいところは、いっぱい知ってますから。……だから今度は、壮士さんの違う面も教えてください」
 はにかむように笑った彼女へ、つられるように笑う。
 悪い面も、意外と知ってるんじゃねーかと思うけどな。ぶっちゃけ。
 むしろ、再会後はそっちのほうが多いだろう。
 幼いころの彼女に見せていたのは、まさしく上っ面だけの俺。
 だが、それじゃ通用しないとわかったから、さらけ出したんだ。ありとあらゆる面を。
 ……まぁ、ソッチ系のことについては、まだまだ伏せてある面のほうが多いが。
 そこは、おいおいってコトで。
「……なぁ、瑞穂」
「はい?」
「誕生日プレゼント、覚えてるか?」
「……えっと、壮士さんの……ですよね?」
「ああ。アレ、使っていいか?」
「あ、はい。どうぞ」
 私にできることなら。
 彼女をまっすぐに見つめて口にすると、にっこり微笑まれた。
 ほんっと、人がいいっつーか素直っつーか。
 ハタチ過ぎると性格や生き様がそのまま顔に表れるっつーけど、アレは確かだな。
 俺と違って、優しい性格がよく表れているかわいい顔だ。

「俺の指輪、ここにはめてくれ」

「っ……え……」
 彼女の左手を持ち上げるように取り、薬指へ口づける。
 さすがに、指輪の準備はしなかった。
 が、こうして一緒の朝を迎えられたからこそ、言える言葉。
「それって……」
「婚姻予約、な」
 今にも泣き出しそうな顔をしている彼女に笑い、口づけた場所を親指で撫でてから指を絡めて手を握り締める。
 口に出してこそ、効力が発揮される。
 ――……誕生日のあの日。
 このことを見込んで『あとで使う』と言ったワケじゃない。
 アレこそまさに口約束みたいなモンで、別に使うアテなんてなかった。
 が、彼女を追い求め、欲しがり、みっともないほど手に入れたいと思ったとき、ふと……その約束が浮かんだんだ。
 ああ、そういえばそんなこともしたな、と。
 だったら――……使わず大事にとっておく必要はない、と。
「結婚って究極の私物化だろ? だから……俺のモノになれ、瑞穂」
「っ…………は、い……!」
 泣くのを必死にこらえるような笑顔を見せた彼女が、唇を噛んだ。
 ……参ったな。
 ンな顔させるつもりで言ったワケじゃねーんだけど。
 ただ、きちんとYESの返事をもらえたのは何より。
 …………ああ。
 やっぱ、嬉しいモンなんだな。コレは。
「……初恋って叶うんですね」
「ん?」
 薬指を見つめた彼女が、まじまじと俺を改めて見た。
 幸せそうな顔ってのは、もしかしなくてもこういう顔を言うんだろう。
 ガラにもなく、笑みが浮かぶ。
「……初恋は実らないと聞いていたので。……夢みたいです」
「初恋、か」
 遠い遠い昔の記憶。
 ……つーか、そもそも俺にとっての初恋ってのはどんなだったのかさえ覚えていない。
 が、目の前の彼女は覚えていて。
 こともあろうに、この俺を記念すべき初めての相手として選んでくれた。
「……っ」
「お前は、ホントに俺の初めてをいっぱい持ってるな」
 彼女を抱きよせ、さらさらと髪を弄るように梳く。
 だが、実際は少し違う。
 彼女が持ってるんじゃなくて、彼女の初めてをすべて俺に捧げてくれたというほうが正しいだろうから。
「瑞穂」
「……はい」

「俺の嫁さんになってくれるか?」

「っ! ……はい……っ」
 耳元で、再度のねだり。
 どんだけ自分だけのモノにしてぇんだと思うが、反面、それだけ心配だったのかもしれない。
 手に入れていいワケがない……と戸惑ったあの日。
 彼女を無理やり引き離すことを選んだ。
 だが実際、もう二度と手に入らないかもしれないと自覚した途端、不安で、いたたまれなくて、どうしても欲しくなった。
 手に入るワケがない、と焦りながら実力行使に踏み出たとき。
 ようやく、自分が馬鹿なことをしたんだと気づいた。
「…………」
 目を閉じ、今の状況は紛れもなく掴み取った幸せだと噛みしめる。
 ……ずっと昔。彼女が、まだ子どもだったころ。
 どんな思いで『先生のお嫁さんになってあげるね』と言ってくれたのか、今は少しわかる気もする。
 だが、彼女のソレと俺のとが重なることは決してない。
 それでも、当時彼女が抱いていた『夢』を実現させたのは、紛れもなく強い想いの力。
 ……俺もあやかれたのかもな。

 溺愛という名の結婚生活まで、あと少し。
 ほんの少し先の未来、俺たちは今よりもずっと幸せを感じてともにあることを、このときすでにわかっていた。


 ……果たして。
 もっとも功を奏したのは、いったい誰のもくろみだったか。
 それだけは……いわゆる神のみぞしるというヤツかもしれない。


―――To be continued other...




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