「あ。ちょっと。壮士」
「は?」
「ちょっと。いーから! ちょっと来なさい」
「……なんだよ」
風呂に入って寝る準備万端で台所を通ったら、まだ起きてたお袋が呼び止めた。
しかも、えらく不機嫌そうな顔で手招かれる始末。
……なんだよ。俺は叱られる子どもか。
当然といえば当然の反応で、眉が寄る。
「あの子とどこで知り合ったの?」
「どこ、って……学校だけど」
ソファにもたれたままのお袋に歩み寄り、冷蔵庫に入っていたビールを開ける。
……うん。
やっぱ、人の金で飲む酒はうまい。
「学校? いつ?」
「かれこれ、10年以上前」
「えぇ!? じゅ、10年って……それじゃ、あれじゃない! ヒロコちゃんと結婚するよりも前じゃないの!」
「あれ、ってなんだ。……つーか、そもそもヒロコじゃねーよ。ヒロカだ」
「あー……だから。そうじゃなくてね?」
「いや、まぁ……そりゃいーけどよ」
お袋との会話の中に、たびたび出てくる『あれ』って言葉。
大した意味があるわけじゃない。
単にクセなんだろうな。
お陰で、俺も最近何かと口にするようになってきた気がする。
「なんで? どうして、弘香ちゃんと結婚する前に知り合ってたのに、あの子と結婚しなかったの!」
「ぶ! 馬鹿言うなよ! 葉山はそんなんじゃない!」
つーか、犯罪だろうがそれじゃ!
さも当然とばかりの顔でまくしたてたお袋に、思わずでっかくつっこんでおく。
とんでもねーこと言い出しやがるな、ホントに。
相手は当時小学生だぞ、小学生!
馬鹿か!
「そんなんじゃない、って言ったって……でも、今も付き合ってるんでしょう?」
「今もっつーか、ここ最近なんだよ。再会したのは」
「だったらなおさらじゃない! 結婚しなさいよ!」
「はぁ!? 馬鹿言うな!」
「馬鹿はアンタでしょうが! あんないいお嬢さんが身近にいながら、間違った結婚なんかして!」
「うるせーよ! 悪かったな、間違ってて!」
びし、と指差したまま面と向かってダメ出しされ、思い切り口をへの字に曲げて反論する。
つーか、そんなふうに思ってたのか!
……ちょっと、ショック。
そりゃまぁ、否定はしねーけどよ。
間違い、ね。
ま、正しくはなかった選択だったわな。
でも、間違ってるかどうかなんて、してみなきゃわかんねーワケで。
……と、一応言い訳。
「とにかく! アイツとはそういう関係じゃないんだよ。だいたい、すげー年下だし」
「年なんて関係ないじゃない」
「そーもいかねーんだよ。アイツの場合は」
年の差だけじゃない、ほかにもいっぱいくっついてるしがらみ。
考え出すとキリがないくらいごじゃごじゃしてるし、そんなこと考えたこともなかったから、首を横に振ってその場から離れる。
……あーも、めんどくせ。
やっぱり、帰って来た途端、より一層悪い方向へ向かった。
「ちょっと! 壮士!」
「もーいーって! 関係ねーだろ!」
ひらひら手を振り首を振り、耳を塞いで部屋に戻る。
その後もぎゃいのぎゃいのといろいろ言ってるのが聞こえたが、敢えて何も返さない。
あー……。
ビール1本で悪酔いしそうだ。
何も知らないってのは、ホント恐ろしいよな。
お袋の喧々した声を聞きながら思わずため息をつくと、どっとした疲れがこみ上げてきた。
「じゃ、そゆことで」
「突然お邪魔してしまったのに、本当にありがとうございました」
「いいえー! とんでもない!」
翌日。
天気に恵まれた午前中、早々に家をあとにするべくあいさつ。
ひらひらと手を振り、とっととエボの助手席側へ回り込む。
だが、葉山は未だお袋といろいろ喋っていた。
「また来てね」
「はい」
「……ホントによ?」
「ありがとうございます」
笑顔でうなずく姿を見ていると、何も言えん。
……いや、もちろん理由はいっぱいあるワケだが。
「ウチの子たち、みんな男ばっかりだから……やっぱりいいわよねー、女の子が居ると」
ちら。
「特に、あなたくらいの年ごろともなれば、いろいろ話も合うしねー」
ちらちら。
「いーわぁー。娘、私も欲しかったわー」
ちらちらちら。
「………………」
「あら。なぁに?」
「別に」
思いきり、言いたげどころかすでに言ってる視線を感じ取って、ジト目を送ってやる。
だが、その辺はウチの母親。
いちいち気にするような性格じゃない。
……もっとこう……真正面から言わなきゃダメなのか。
だが、そんなことしたら逆に葉山に叱られそうな気がする。
「葉山。そろそろ行くぞ」
「あ、はい。では、失礼します」
「ええ。ありがとうね、気をつけて帰ってちょうだい」
俺の車じゃなければ、運転も俺じゃない。
だが、コンコンとルーフを軽く叩いてから助手席に乗り込むと、葉山は素直に頭を下げてから運転席へ乗り込んだ。
窓越しに見える、お袋の姿。
にこにこと愛想よく手を振ってるのを見てると、やっぱり話し相手が欲しかったんだろうなとも思う。
6年前の結婚。
あのときも喜んでくれた……のはくれたんだが、それはふたりであいさつに行った一度きりの訪問だけで。
その後は式を挙げるまで俺もアイツも寄り付きさえしなかったから、だんだん不満が溜まっていったらしく、顔くらい見せに来なさいよと散々電話がかかってきた。
お袋なりに夢見てた、嫁との暮らし。
元々一緒に住むなんて話はしてなかったんだが、それでも、地元の祭りやら年中行事ごとには帰って来て一緒にあれこれ作ったり何したり……なんて考えていたんだろう。
新婚旅行から帰って来て即離婚届を出しに行ったことを話したら、親不孝者と散々わめかれた。
まぁ、気持ちはわからないでもない。
わずかとはいえ親族集めて式挙げといて、1週間と持たなかったんだから。
「…………」
だからこそ、少しとはいえ葉山と話したり一緒に飯作ったりなんだりできたことが、嬉しかったんだろう。
俺が起きたときにはすでに、ふたりして茶の間で話し込んでいたから。
……でも、年取ったな。やっぱ。
ここ最近帰ってきてなかったのもあってか、余計に感じる。
だが、すぐ隣に居る葉山を見ればわかる、月日の流れ。
俺自身も年取ったんだから当たり前か、なんてこともちょっと感じた。
「それじゃ、まっすぐ高速に乗っちゃってもいいですか?」
「ああ、悪いな。頼む」
家をあとにして、まず向かうのは国道。
そこから静岡インターまでは、ごくわずか。
……まぁ……また来てやってもいいか。
サイドミラー越しに未だ手を振っているお袋が見えて、ふとそんなふうに思った。
「寄ります?」
「ん? あー……そーだな。ちょっと休憩してくか」
この先、車線規制があるらしく渋滞の表示があった。
それを葉山も見たらしく、足柄SAの案内看板が見えたところで俺が思っていたことを先に口にした。
「……混んでるよなー、なんか」
「ですね」
我ながら、悠長なコメントだとは思う。
今ここから離脱したところで、結局はまた巻き込まれなければ帰れないんだから。
だが、とりあえず一時避難とばかりにSA入り口の減速レーンへ入ると、なんとなくほっとした気もした。
「……さて。じゃ、ちょっと一服してくる」
「あ、はい」
サイドを引いたのを見てからドアを開け、外に出る。
徐々に蒸し暑い日々が増えるようになってきた、このごろ。
だが、今日は少しだけ涼しさがあるように感じる。
煙草を1本取り出し、口にくわえたまま向かうのは喫煙所。
当然ながら、そこには俺と同じように一服している人間が結構多くいた。
……ま、そりゃそうだよな。
ここでしか吸えないとあっちゃ、集まるしかないワケで。
相変わらず、肩身の狭い世の中になってきた。
「…………」
本日、GWの最終日。
それもあって、SA内は当然の如くものすごい混雑を見せていた。
時間はまだ昼時より早いものの、あの渋滞のせいか今のうちに食っとこうって考えのヤツらも居るらしく、外のワゴンなんかにも行列ができている。
……って、あれ。
その中に、よく見知った顔があった。
そりゃもう、よく知ってるどころか……さっきまで一緒だった人間。
……アイスか。
嬉しそうな顔して店のおばちゃんからソフトクリームを受け取ってる姿が見えて、つい笑いが出た。
子どもみたい、とは言わない。
だが、やたら嬉しそうで……しかも、ひと口食べてから見せた、笑顔。
それはそれは幸せそうで、とろけそうで。
……かわいいヤツ。
ふと、笑顔が遠い昔の彼女ともダブって、素直にそう思う。
「……お」
とことこ歩きながら食べていた彼女が、そっちを見たままだった俺と目が合って瞳を丸くした。
途端、照れるように、バツが悪そうに、苦笑を浮かべる。
「うまそうに食うモンだな」
「……見てたんですか?」
「ああ。おばちゃんにぺこぺこ頭下げて、嬉しそうな顔でアイス受け取ったトコから」
煙を吐きながら笑うと、ソフトクリームと俺とを交互に見比べながら、もう1度笑った。
「……なんだか子どもみたいですよね。恥ずかしいです」
「いや? かわいかったぞ」
「っ……」
笑いながら首を振り、灰を落とす。
すると、俺とアイスを見比べた葉山がそれをこちらへ差し出した。
「ひとくち、いかがですか?」
「俺?」
まじまじとそんな姿を見ていたせいか、ちょっと誤解されたらしい。
いや、別に俺はどーしても人の持ってるモンが食いたくなる性分、とかってワケじゃないんだが……まぁ、うん。
好意を無碍にするのは、好きじゃない。
だから素直に、アイスを持っていた手首を引いてひとくちいただくことにした。
「……あ、ウマい」
「ですよね」
「なんだ。やけに嬉しそうだな」
「え。あ、えと……共感してもらえると、つい」
唇の端に付いたクリームを指で拭いながら、いたずらっぽく笑ってみせる。
だが、彼女はやっぱり嬉しそうに笑いながら――……ん?
なぜか急に、何か思い出したかのような顔をして俺とアイスとを見比べた。
「どうした?」
「あ、いえ。……なんでもないです」
再度煙草をくわえながら彼女を見るも、慌てた様子でただ首と手を振るだけ。
しばらくすると、また大人しくアイスの続きを食べ始めた。
…………それにしても、だ。
俺とてときおり年より若く見えるとはいえ、やっぱり横に居るのは明らかに俺よりも若い子。
そんな子とふたり仲よくアイス食って話してたりしたら、そりゃ当然他人にされる分類はひとつ。
百も承知。
……けど、違うんだよなー。
そんなふうに見られても、ぶっちゃけ全然違うんだけど。
何人かいる手持ち無沙汰なオトーサン系のおっちゃんたちのチクチクした視線を感じつつ、知らんフリを続けて煙を吐く。
そりゃ、羨ましがられるのは嫌いじゃない。
だが、相手が相手。
いわば、それこそ俺は保護者同然ってヤツで。
何も事情を知らないってのは、やっぱ、ある意味幸せなんだろうな。
唇に付いたクリームを舐めた彼女と目が合って、お互い意味こそ違うものの、笑みが浮かんだ。
「んじゃ、それ食ったら行くか」
「……あ、すみません。ちょっと待ってくださいね」
「いーって。主導権はドライバーにあんだから」
慌てて食べようとした彼女に笑って首を振ると、申し訳なさそうな顔を見せてからもう一度『すみません』を口にした。
「……お」
車へ戻るとき、1列目の駐車場に停まっていたのもあってか、黒エボに視線を送っている人間が数人居た。
……まぁ、確かに目は行く。
こんだけ厳ついと。
「…………」
「……? 鷹塚先生?」
「いや。いい眺めだな、と思って」
よもや、誰が想像するだろう。
コレの運転手が、俺の隣で短いスカートを履いてる彼女だってことを。
むしろ、ふたりで車に近寄ったら間違いなく俺の車に見られるだろうな。
でも、違うんだけど。
そのギャップこそが大切ってモンだ。人生には驚きが必要だからな。
「……あっ」
「行こうぜ」
「こんなに見られてると、恥ずかしいですね……」
「ま、それも一興」
どうしようか迷う素振りを見せた葉山の手を取り、躊躇せずエボに向かう。
もちろん、その運転席へ。
ただ――……鍵を出すのが彼女ならば、当然乗り込むのも彼女。
ドアを押さえるようにして運転席へ葉山を促がすと、乗り込んだ途端小さな歓声が聞こえた。
「…………」
どーだ、いーだろ。
すげぇ、とか。かっけぇ、とか。
いろんな言葉が聞こえる中、当然の顔して助手席へ乗り込むと自然に顔が緩んだ。
「あー、すげぇ優越感」
「そうですか?」
「かなりな。葉山が褒められてると、俺はものすごく嬉しい」
昨日だってそうだ。
葉山を見て『かわいいよな』とか『きれいだよな』とかってセリフが聞こえるたび、なぜか俺が自慢げに『だろ?』と応えたもんだ。
友人らにはなんでお前が、と突っ込まれたが、まぁ仕方ない。
彼女を褒められて嬉しいのは、正直な気持ちだから。
「学生っぽいにーちゃんたちが、ものすごい盛り上がってるぞ」
「え? ……ぅ。こんなに見られると、出にくいんですけれど……」
「逆に笑顔見せてやりゃいーんじゃねーか? 余裕で行けよ。カッコイイから」
「……うぅ」
エンジンをかけてほどなくしてから、ギアに手をかけ、困ったようにゆっくりとアクセルを踏み込む。
音でも当然注目されるが、ぱっと見てかわいいねーちゃんが運転席にいたら『え』と大抵は2度見。
ほらな? 今も、煙草吸ってたにーちゃんが目ぇ丸くしたぞ。
「……お」
SAを出て、スムーズな本線合流。
そのときふと後部座席を見ると、花束が置かれていた。
ピンクと白の丸くてきれいな花束は、間違いなく昨日俺が受け取っちゃったヤツ。
「これって、生花か?」
「あ、プリザーブドフラワーらしいですよ。本物みたいですよね」
「……へぇ」
最近耳にすることが多くなった、プリザーブドフラワーってヤツ。
俺も母の日に一度送ったことがあるが、そのときお袋は生花だと勘違いして花瓶に水とともに差したらしく、すぐに痛んでしまったと電話が来た。
以来、母の日に花を送るのは断念。
今年は――……やべ、もう日がねーじゃん。
……あー……何か送っとくか。饅頭とか。
どうりで、買い物行くと赤のカーネーションがあっちこっちで大放出されてるワケだ。
「…………」
当然だが、やはりこの手のかわいらしいモノはかわいらしい人間が持ってこそ華となるワケだ。
葉山は似合う。間違いない。
「どうだった? 結婚式」
追越し車線に入った所で訊ねると、んー、なんて言いながらも口元には笑みがあって。
どうやら、それなりに楽しめたらしいとわかる。
「やっぱり、憧れます」
「そうか?」
「はい。……とても幸せそうで……すごくきれいでしたから」
先日の式を思い出すかのように微笑む横顔は、きれいで。
ああ、やっぱり結婚式で憧れを抱くってのは女性特有の感情なのかもな、なんて思った。
「葉山も、じきだな」
「え?」
「多分、俺より先に嫁にもらわれてっちゃうんだろうな」
「っ……そんな……」
「式には呼べよ? 祝儀はずむから」
「え……っと……」
あはは、と小さく笑った理由は当然ながら俺にはわからなかったが、『困っちゃいますね』なんて呟きながら苦笑を浮かべたのが印象的でもあった。
結局、その後は他愛ない話をしつつ渋滞に巻き込まれながらも、特に何が起きるでもなく。
無事に昼ちょっとすぎには自宅へ着いて、お互い明日は仕事だなー、なんて言いながら彼女の車を見送った。
……ただ。
部屋への階段を上がりながら、ふと葉山の言葉を思い出す。
「……憧れ、ね」
式自体に対するモノも、結婚ということに対するモノも。
俺にはもしかしたら二度と起きない感情かもしれないな、なんて自嘲気味な笑いとともに思い浮かんだ。
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