「ほら」
「っ……」
 写真の束を葉山に渡すと、一瞬『う』と言葉に詰まりながらも、おずおず両手で受け取ってから1枚1枚めくり始めた。
 最初はどこか戸惑っていたような表情だったが、徐々に和らいでいくのがわかる。
 じきに『懐かしい』なんて呟きも聞こえた。
「…………」
 その隙に、写真を見つけたテーブルの横にあるカラーボックスに手を伸ばす。
 ちょっと前までは、マメに整理してたんだなってのが伺えるこの場所。
 その一角にある、いかにも手作り感溢れまくりの、製本テープで纏められている何冊かのモノ。
 ……の、ひとつ。
 赤い表紙が目を引く、懐かしいソレを手にする。

「将来の夢 6年3組 葉山瑞穂」

「っ……!」
「私は将来大きくな――」
「やっ……! 待ってください!」
 懐かしげに写真に見入っていたにもかかわらず、1行目を読み始めた途端、葉山がものすごい反応で文集を取りに来た。
 さすがは、ずば抜けた運動神経の持ち主。
 当時から何も鈍っちゃいないらしい。
「……なんで。いいじゃん」
「よくないですっ!」
 片手で高くそれを上げると、俺の肩に手をかけながらぴょんぴょんと小さくジャンプする。
 その姿は、昔見たモノと何も変わっていなくて。
 心底、困って困って今にも泣き出してしまいそうなその顔も、やっぱり当時の葉山とダブって見えた。
「はは」
「っ……先生!」
「いや、悪い」
 途端に笑いが漏れて、同時に文集を彼女の手元へ下ろしてやる。
 すると、ほっとしたような顔をして、両手でそれを抱きしめた。
「……そうだよな」
「え?」
「葉山は葉山だもんな」
 目の前の彼女は、当時の彼女とはまるで違う。
 だが、中身は……そう。
 本質的な部分は、何も変わっちゃいない。
 ……そりゃそうだ。
 彼女は、当時の俺がよく知っていた、葉山瑞穂その人が成長した姿なんだから。
「っ……」
「昔と一緒だ」
 ぽつりと呟きながら、彼女の頭に手を置く。
 身長も、容姿も、当時とはまるで違う彼女。
 だが、同じところだってある。
 単に、俺が勝手に『違う』と思い込んでいただけで。
「……俺さ、嬉しかったんだよ」
「え……?」
「葉山が、俺みたいな教師になりたいって書いてくれたとき」
 手近にあった椅子を引き寄せ、背もたれに胸をつけて座る。
 昔も、そういえばこんなふうにしてよく話したもんだ。
 ……ただし、彼女の目線の高さは当時とは違う。
 こうすれば、あのころは彼女とほぼ同じ高さになった。
「……覚えてるか?」
 だが、今はこうすればもう彼女は俺を見下ろす格好で――……今度は、俺が彼女を見上げる形になる。
 頬杖をつきながら笑うと、ぱちぱちと大きな瞳でまばたきを見せてから、葉山がうっすらと艶っぽい唇をもの言いたげに開いた。
 ……その表情も、仕草も、何もかも。
 彼女本人であることに違いないのに、やっぱり不思議な感じだ。
「葉山が書いてくれた、その作文。俺は、読んだときめちゃめちゃ嬉しかった」
「……それは……」
「そんで、実はものすごくほっとした」
「……え?」
「俺。それまで、自信なくて……結構迷ってたんだ」
 時を経ての告白。
 ホントは、こんなカッコ悪いことは黙ってたほうがよかったのかもしれない。
 せっかく、彼女が抱いてくれている、美化された俺の昔の姿に亀裂が入るだけかもしれないから。
 だが、彼女が普段見せている相談員としての雰囲気がそうさせたのか、つい、あれこれと飾らない素の自分がそのまま出てくる。
 自分でも、びっくりするほど普通に。
「教師やっていいのか、って。俺みたいなヤツ、やっぱ間違ってんじゃねーかなって」
 初めて受け持った担任。
 そこで知る、教師の現実。
 保護者と学校の間に挟まれる、しんどさ。
 とにかく、俺が描いていた『教師の仕事』からはかけ離れすぎている多忙さに、正直参っていたのもあったと思う。
 ……だが、葉山だけじゃなく、ほかの子たちも書いてくれた当時の俺に対する言葉。
 それを見たとき、それまで悶々と悩んで迷い続けていた何かが吹っ切れた。
「教師でよかった、って。……コイツらの先生でいられて間違いじゃなかったんだ、って。ホント思った」
 安心。
 それが何よりも大きくて。
 何もしてやれてないとばかり思っていた俺を、それでも子どもたちは受け入れてくれて。
 ……ちゃんと、見ててくれて。
 俺の知らない俺の姿があちこちの文章の中に書かれていて、言葉じゃ言えないほどの嬉しさと感動が身体に走ったのを、今でも鮮明に覚えている。
「……ありがとな」
 いつだって、俺の前では子どもたちが笑ってくれていた。
 楽しそうにしてくれていた。
 だから、子どもたちにそうしてもらえることが、当時から変わっていない俺の教師としてのスタイル。
 ……そして、絶対に曲げられないポリシー。
「感謝するのは……私のほうです」
「いや、そんなことはねーだろ。やっぱ俺――」

「そーちゃん先生」

「っ……それ……」
「覚えてもらえてるんですね。……嬉しい」
 くす、と笑って嬉しそうに俺を見た葉山とは対照的に、思わず瞳が丸くなった。
 聞いたことがある、なんてモンじゃない。
 その呼び方。
 それは、葉山を含めた当時の子どもたちが呼んでいた、俺のあだ名みたいなモノだから。
「先生は、ヒーローだったんですよ。みんなにとっても、私にとっても」
「え?」
「……ずっと憧れでした」
 まっすぐ見つめてくれたまま、続けられる言葉。
 その表情には、今目を逸らしちゃいけないと感じさせるような、オーラめいたモノがあって。
 だが、次のひとことでそれがただの気のせいなんかじゃなかったんだとわかった。

「初恋、だったんですから」

 懐かしむように。
 ……そして、はにかみながら。
 葉山は、一度視線を落としてから、もう1度俺を見た。
「…………俺が?」
「はい」
 ごくり、と喉が鳴ったのはどうしてか。
 単に、驚いたからか。
 それとも……違う思いがあったからか。
 いや、多分俺は、目の前にいる『同じガッコの先生』として、葉山を見ていたからだろう。
 今の言葉は当時の葉山の気持ちに違いないのに、まるで今の彼女が言ったように感じて、妙な意識をしたせい。
「先生が、元気な子が好きだって言っていたから、がんばったんですよ」
 苦笑を浮かべながら、葉山が手にしていた写真に視線を落とした。
 そこに写っているのは、元気よく男子を従えて飛び回っている、当時の彼女の姿。
 短い髪。
 ショートパンツ。
 そして、足元にはサッカーボール。
 少なくともそこには、今の彼女の片鱗を伺わせるような『女の子』らしい雰囲気はまるでない。
「私、先生に女の子として見てもらいたくて、がんばったんです」
「……え?」
「だから、嬉しかったんですよ? ……先生に会ったとき『お姉さんになったな』って言ってもらえて」
 心底嬉しそうな顔で微笑まれ、ガラにもなくどきりとした。
 恐らく、彼女はあのときのことを言っているんだろう。
 あの、彼女の歓迎会と称した飲み会での、俺のことを。
「憧れで、尊敬で……理想、なんです。先生がいたから、私がいるんです。教師を目指すきっかけになったのは、間違いなく鷹塚先生のお陰なんですよ」
 にっこり笑った葉山は、写真を机に置いてからパラパラと文集をめくり始めた。
 わら半紙に印刷されている、昔の彼女の文章。
 『子どもに好かれる先生になりたい』と書いていた、彼女のページ。
 当時でも十分すぎるほど伝わって来た思いだったが、こうして実際口にされると、むしろ申し訳ないような照れくささがある。
 だが、彼女は文集を閉じて俺を見つめると、きゅ、と唇を噛んでから1度視線を逸らした。
 ……まるで、何か迷っているかのように。
「あのころは、いつだって目立っていたくて。……先生に見てもらいたかったんですよね。少しでもほかの女の子たちと違っていれば、先生……ずっと覚えててくれるんじゃないか、って思って」
「それは……まぁ」
「……ずっと……忘れないでほしかったんです。いつだって、私のこと……見ていてもらいたくて」
 ごくり。
 伏し目がちに呟かれた言葉に、喉が鳴る。
 どうしたって、頭に響いてくるのは『今』の彼女としての言葉。
 葉山が言っているのは『当時』の彼女の気持ちなのに、目の前にいるのは成長した彼女自身で。
 ……しっかりしろよ、俺。
 今、じゃない。昔の話だ。
 彼女がまだ小学生だったころ、担任としての俺に向けてくれていた『憧れ』から来る素直な感情なんだから。
「だから、子どもながらに一生懸命考えたんです。ほかの女の子はみんな髪が長くて、かわいく纏めてて。三つ編みだったり、ポニーテールだったり……でも、みんなと同じにしちゃったら、どうしたって印象が薄くなっちゃう気がして」
 それを聞いて、合点が行く。
 なぜ、彼女が髪を伸ばさなかったのか。
 なぜ、男子と交ざって毎日のように遊んでいたのか。
 なぜ、スカートを穿かなかったのか。
 『伸ばせばいいのに』なんて口にした当時の言葉に、どうして困ったような顔をしたのか。
 ……そりゃそうだ。
 彼女が一生懸命考えて出した決意のもとの行動だったのに、何も知らない軽はずみな俺の言葉に、あっさり砕かれそうになったんだから。
「みんなと同じ……じゃ嫌だったんです。私は……先生の特別でいたかった」
 本当は、スカートだって穿きたかった。
 本当は、女の子らしい遊びもしたかった。
 本当は、かわいい物を持ちたかった。
 本当は――……きれいな髪を、伸ばしたかった。
 切々と語られる彼女の思いの裏にある、そんな本心。
 当時は、わからなかったこと。
 ……いや。
 気づけなかった、だ。
 もっと早く気づいてやれていれば、あのころの彼女を変えてやれたかもしれないのに。
 なのに俺は、結局今彼女に直接言われて初めて、気づいた。
 ……もしかしなくても、失格、だと思う。
「だから、がんばったんです。勉強も、スポーツも。先生が好きなサッカーも野球も、私……がんばって……先生に褒めてもらいたくて。『すごいな』って、頭撫でてほしくて……」
「……葉山」
「…………マセてるって言われたら、それまでかもしれないですけれど……でも、私は……。私は……っ」
 切なそうな眼差しで見つめられ、咄嗟に何も言えなかった。
 しばらく見つめ合ったまま、彼女も何も言わない。
 ……これは。
 やっぱり――……今の俺が取る行動と言ったら、ひとつしかないんだろうか。
 いや、『だろうか』じゃなくて、『ない』だ。確定。
「……はや――」

 はっ

「ち、ちち、違うんですっ! あの、ですから……っ……!」
「え?」
「だから、そのっ……えと……」
 ごくり、と喉を鳴らしてから彼女に手を伸ばした途端、表情を一変させて、あわあわと首と手を横に振った。
 頬を赤く染め、『違うんです』をたびたび口にしながら。
「そのっ、今じゃなくてっ……あの……っこ、これはっ! 昔……っ! 昔の話なんです!」
「……あ……ああ。まぁ、うん」
 どう言ったものかと悩みながらも、実際に出てきたのはそんな情けないようなセリフで。
 ぽりぽり頭を掻きながら彼女を見ると、あたふた取り繕うかのように笑って見せた。
「あ、えと……じゃあ、私……お先に失礼しますね」
「あ? ああ。おやすみ」
「おやすみなさい」
 ぽん、とまるで何か思いついた的に両手を合わせた彼女は、そのまま部屋から出て行った。
 廊下の奥にある、客間。
 そこが、彼女に使ってもらう場所だ。
「…………」
 引っかかる、と言えばそう。
 おやすみを口にした葉山の顔に、ほんの少しだけ寂しさが見えたような気がしたのは……気のせいじゃなかったと思うから。


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