「えっと……この角でいいんですよね?」
「ああ。このずーっと先行くと、ちょうどカーブしてるところがあんだけど……その、カーブの手前にあるのが、ウチ」
 昔からそうだったんだが、相変わらず今もほとんど変わっていない景色。
 それだけに、この街灯の少なさでは近隣の家のシルエットすらちゃんと見えなかった。
 幸いなことに、葉山の車はナビ付き。
 お陰で、住所を入れさえすれば直接家の場所が表示されるから、非常に便利だ。
 間違いもないし。
 ……やっぱ、便利なモノは違う。
「あ。そこな」
 住宅街に入ってゆっくり進んでくれたお陰で、見逃すはずもなく。
 出発時にナビが示していた予定時刻より少し早く、目的地であるウチの実家前に到着。
 時間はすでに1時近くになっていたが、途中で電話したお陰か、玄関の明かりはきちんとついていた。
「お疲れさまでした」
「お疲れ。葉山も疲れたろ?」
「あ、いえ。大丈夫です」
 どうして、こんなにも笑顔で『大丈夫』を言われると不安になるのか。
 そんな理由はひとつ。
 単に、この子は昔もそうやって我慢した子だっていうのを、知ってるから。
「それじゃ、私はこれで失礼します」
 パネルの明かりだけに照らされる、車内。
 だからこそハッキリ見て取れているワケじゃないが、それでも、感じるモノはある。
 疲れてないはずはない。
 そりゃ、確かに運転するってこともあってシラフじゃいるが、それでもこれまでどんちゃん騒ぎの中にあって、しかも慣れない場所を運転しても来たんだ。
 ふるふる首を横に振って笑みを浮かべたその目元は、やっぱり少し眠たそうだった。
「お前も降りるんだよ」
「……え?」
 まっすぐ目を見たまま告げ、先に車を降りる。
 それから運転席へ回り込んでドアを開けてやると、エンジンをかけたままだったこともあってか、それはそれは驚いた顔を見せた。
「こっから、ひとりで帰すワケねーだろ」
「あ、あの! 私なら、大丈夫ですから」
「大丈夫じゃねーんだよ」
「っ……せんせ……!」
 ぐいっと右手首を取り、降りるのを促すように手前に引いてから、キーへ手を伸ばす。
 すると、再度俺の顔を見てから、ようやく視線を落としてエンジンを切るべく手を伸ばしてきた。
「…………」
 そんな彼女を見届けてから玄関に向かい、引き戸を開ける。
 ちょうど真正面にあるリビングには、まだ光があった。
 ……さすがに起きてるか。
 つか、むしろ黙って寝ててくれれば顔を合わせずに済んだのに、恐らく何か言い足りないことでもあるらしい。
 しばらくして出てきたその顔には、『不服』の2文字が浮かんで見えた。
 ――……が。
「アンタねぇ。久しぶりに電話をよこしたと思ったら、何を突然――……っ……え!」
「っあ……!」
 それが見えたからこそ、ようやく隣に来た葉山の肩を引き寄せる。
 ちょうど、お袋の驚いた声と葉山の声とがハモって、お陰でお袋の視線が俺から彼女へとばっちり逸れた。
「ウチの学校の相談員してる、葉山先生。今日ここまで送ってくれた」
「あ……らまぁまあまあまああっ! こんな夜遅くに、ごめんなさいね。また、この子が無茶言ったんでしょう? 本当にごめんなさいね」
「いえ、そんな……っ! ……あ。葉山、瑞穂です。すみません、夜分遅くにお邪魔してしまいまして……」
「いいーえ、とんでもない! ウチの馬鹿息子のせいでしょう? ……本当になんて言ったらいいのか……」
 案の定、お袋の態度が一変。
 明かりをつけてから床へ膝をつき、俺たちを見上げる格好を取った。
 ……いや。
 それでも、申し訳なさそうな顔を見せたのは、当然葉山にだけで。
 一瞬見せた俺への表情は、幼いころからよく知ってる『アンタ何考えてんの』的なモノだった。
「今日さ、泊めてやっていいよな?」
「当たり前でしょ! こんな時間に、こんなお嬢さんひとりで帰せるわけないでしょうが!」
「あ、いえ! 車で来てますので、私は――」
「だから。ダメだっつってんだろ? 車だろうとなんだろうと、関係ないんだよ」
「そうよ! ね? 散らかってて汚いけれど、よかったら泊まっていってちょうだい」
 この期に及んでもまだ首と手を振って遠慮しようとする葉山に、最後のゴリ押し。
 その手段がお袋による説得だったんだから、効かないはずもなく。
「……すみません……急に、こんな形で……」
「いいのよー! 気にしないでちょうだい。だいたい、この子が無理言ったんでしょう? ……もー。昔からそうなのよ。ホント困った子で」
「子ども扱いすんなよ。『子』ってなんだ、『子』って」
「子どもじゃないの」
「……もう、そーゆー年じゃねーだろ!」
「やってることが子どもなのよ。だいたい、ロクに電話もよこさないくせに、自分の都合でかけてくるんだから」
 ……それは確かに、否定できない。
 でも、フツーはそーゆーモンだろ?
 相手の……つーか、少なくとも『あ。そろそろ電話欲しがってるな』とか思って電話したりしねーだろ。フツー。
「……? どうした?」
 だが、そんなやり取りが不思議だったのか、面白かったのかどちらかは定かじゃないが、黙って聞いていた葉山が小さく笑みを浮かべた。
 『なんでもないです』とたったひとこと口にして、緩く首を振りながら。

「悪いな。結構……つーか、相当汚い」
 パチ、と自室の電気をつけると、自分が考えていた以上の乱雑具合で、我ながら一瞬口元がひくついた。
 ……そういや、前にここへ帰って来たの、いつだったっけな。
 そんなことすら思い出せず、眉が寄る。
「私も、部屋はちょっと……自信ないです」
「いや。それはない。絶対」
「そんなことないですよ」
 苦笑を浮かべた葉山を、思いきり否定しておく。
 大抵、こういう子が言う『ダメなんです』ってのは、90パーセント以上が謙遜。
 テストの前日に『勉強やってない』って言いながらちゃんとテストでイイ点取れるヤツのセリフと同じだ。
 客間にお袋が布団を用意してくれるのを待っている間、手持ち無沙汰気味な葉山を連れて来たんだが……もしかしなくても、失敗だったと思う。
 そりゃそうだ。
 この汚さと足の踏み場もないスペースは、かえって彼女を困らせるだけだと今気付いた。
「……ん? どうした?」
「あ……」
 せめてもう少しどうにかならないものかとテーブルの上を片付け始めたら、入り口に立ったままの葉山が視線を俺に戻した。
 今まで見ていた先。
 そこを辿ってみて初めて気付く。
 そこに、何枚かの写真が裸のまま挟まっていたことに。
「……あー……」
 昔から整理整頓は苦手で。
 現像に出した写真や貰った写真すべて、アルバムにきっちり整理するクセが付いてなかった。
 それは今もそうで、ぶっちゃけ、写真は大抵こんなふうにひとつの封筒へまとめて入れてあるままになっていることが多い。
「……子どもたちの、ですか?」
「ああ。そうだ」
 少し色の褪せた茶封筒を手に取って中身を見ると、そこには懐かしい写真が交ざって入っていた。
 年代の違う、数々の子どもたちの写真。
 だが、そこに共通しているのは確かにすべて自分の受け持ったクラスだということ。
「ほら」
「ッ……!!」
 興味ありげに手元を覗き込んでいた葉山に、ぴらりと見せてやる1枚の写真。
 すると、途端に瞳を丸くしてからその写真を取ろうと手を伸ばして来た。
「だ、だめですよ!」
「なんで? かわいいじゃん」
「かっ……かわいくないです!」
 俺は本心。
 だが、葉山はそれがお気に召さなかったらしく、ぶんぶん首を横に振って否定した。
 ……あーあ。顔赤くして。
 かーわいいヤツ。
「ホント、無邪気そのものって感じだよな」
「……もぉ……やめてください」
「いや、だってホントのことだし」
「……うー」
 両手を頬に当てたままの葉山に笑いながら、写真を1枚1枚めくっていく。
 そこに写っている、懐かしい顔ぶれ。
 それはまさしく、今目の前にいる彼女を含めた、12年前に受け持った最初の子どもたちだった。


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