「おはよーございまーす」
いつもと変わらぬ、月曜の朝。
相も変わらぬジャージ姿で職員室に入ると、どこからともなくギラりとした視線がぶっ飛んできた。
「……お前は少しがっつきすぎるぞ」
「そんな! 先輩に言われたくありません! 第一、なんですか! あんな……っ……あんな抜け駆けして親しくなっちゃっただけじゃなく、肩までぐいぐい触ったりして!! お触りゲンキンですよ!! ハレンチな!」
「おまっ……お触りって……。あのなぁ」
びしぃっと指差したかと思いきや、飛び出たのはなんだか無駄にスゴい言葉。
そりゃまぁ、否定はしない。
というか、できない。
……けどな。
だからって何も、俺がすげー遊んでるヤツみたいに言うのはやめてくれ。
少なくともこの、朝会を控えた妙に張り詰めた空気の職員室の中で。
…………ってまぁ、誰しもが自分の仕事で手一杯的な感じはするけど。
「おはようございます」
「あぁ、おは――……おはよ」
ギシギシと椅子にもたれながら顎に手を当てて花山を見ていたら、不意に机向こうから声がかかった。
誰かと思えば、はやみーその人。
しかし今日は先日とはまた違い、きちんとしたパンツスーツを着込んでいた。
にっこり微笑みながら、再度俺に挨拶をくれる姿。
……うん。
大人になったんだなぁと、本気で思う。
しつこいだろうが、何度も。
「おはようございますー、葉山先生!」
「おはようございます」
そんな彼女の到着とあってか、今にも噛み付きそうな顔をしていたヤツの顔が緩み、まるで菩薩のような穏やかさに変貌した。
周りには、それこそ蓮の花でも開いてるんじゃないかと思えるような感じ。
……コイツ、もしかしなくても調子イイな。
一瞬どころか、しばらく呆気に取られる。
「今日はいよいよ子どもたちへのあいさつですね! がんばってください!」
「ありがとうございます。……でも、朝礼台に上がるなんて……考えただけで、今からどきどきしちゃいますけど」
苦笑を浮かべながら彼女が花山に首をかしげた途端、隣の温度が急上昇するのが分かる。
……つーか、わかり易すぎる。
もちっとセーブしろよ、セーブを。
「……あ? でもほら、昔あったろ? 確か……なんだったっけな。何かの表彰ンとき、下級生と一緒に朝礼台上がんなかったっけ?」
腕を組みなおしてから彼女を見ると、しばらく考えたような素振りをしたあと、小さく『あ』と口を開いた。
だが、その瞬間隣からはものすごく凶悪なオーラが飛んでくる。
……気にしない気にしない。
どーせコイツは、俺がはやみーと話すだけでも気に入らないんだから。
ま、元教え子だってことを知らないからなんだけど。
「先生、よく覚えてますね。……すごい」
「そーか? まぁ、ほら、なんだ。やっぱ、自分トコのが褒められると嬉しいだろ?」
「そう言ってもらえると、私も嬉しいです」
嬉しそうに、懐かしそうに。
少しだけ瞳を細めた彼女は、はにかんだように微笑んだ。
隣のヤツは、嫉妬度マックス。
……ふ。
単純なヤツを弄るのは、結構楽しい。
「……っと。そろそろ朝会の時間だな。今日はフツーに校庭だし、そろそろ行くか」
「あ、はい」
ごくごくフツーの会話。
だが、どーしてもそれすら気に食わないらしい花山は、俺を睨みつけながら立ち上がると、吠えんばかりの勢いで後ろを通って行った。
まるで、『それは僕が言おうとしていたのに』とでも言いたげな顔で。
「そういや、はやみーはさ」
「……あの……鷹塚先生」
「ん?」
廊下に出て、すぐそこにある職員玄関へ向かう途中。
ジャージのポケットに両手を突っ込んだまま彼女を見ると、少しだけ困ったように俺を見上げた。
「その……そろそろ、『はやみー』はやめてもらえませんか?」
「……あ」
苦笑を浮かべたのを見て、やっと気付いた。
……つーか、正直言われるまで気づかなかった事。
「そ……っか。そうだよな。……つーか、うわ。ごめん。俺、無意識だったかも」
慌てて口元に手をやり、続けて再度謝る。
すると、今度は彼女が慌てて『すみません』と首を振った。
「んじゃ、なんて呼んだらいい? さすがに、学校で瑞穂って呼び捨てにするのもナンだしな」
「っ……」
半分冗談。
いや、半分どころかもっと多かったと思う。
……だが、彼女は瞳を丸くしたかと思いきや、かぁっと頬を染めた。
その姿が印象強くて、つい足が止まる。
「……どうした?」
「や……あ、あの、えっと……あっ! 葉山、じゃだめですか?」
「葉山? ……って……苗字呼び捨て?」
今度は、両手。
それをふるふる振りながら、彼女が慌てたように付け足した。
「だめ……ですか?」
「いや、そーゆーワケじゃないんだが……。……まぁ、そうだな。んじゃ、ふたりのときはそう呼ばせてもらうか」
「……あ。はいっ」
確かに、それが1番無難ではあるはず。
……つーか、そんな超一般的選択肢が出てこなかったってのは、教師としてある意味ダメだと思う。
なんでだろーな。
やっぱ、昔馴染みのニックネームのほうが浸透してるせいか、ちょっとしっくり来ないんだよな。
つっても、さすがに名前を呼び捨てするワケにはいかないし。
恋人じゃねーんだから、そりゃ当然だが。
「んじゃ、葉山……センセ。今日から、改めてよろしく」
「……あ……。こちらこそ、よろしくお願いいたします」
こほん、とワザとらしく咳払いをし、隣を歩く彼女へ右手を差し出す。
すると、その手と俺とを見比べてから、にっこり笑って握り締めた。
小さいながらも、力あるその手。
……いや。
どっちかっつーと、活力溢れるっつったほうがいいかもな。
新任の先生特有の雰囲気を感じて、だからこそ比喩ではない眩しさを感じたような気がした。
「えー。今日から新しくみなさんの力になってくれる、心の教室相談員の葉山瑞穂先生です。先生は、みなさんの困ったなぁということの相談に乗ってくれます。……では、葉山先生」
「はい」
いつもと変わらない、朝会。
だが、やはり子どもたちは敏感で。
見慣れない、しかも若くてかわいい先生が居ることを発見した子らが、ひそひそ……と言うよりはもっと大きな声で、最初からずっと話をやめなかった。
ある者は指をさし、そしてある者は数メートル離れている俺にもわかるほど大きな声で、『若いねー』とか『かわいいー』なんてことを話している。
……しかも、途中から『○○先生のお嫁さんに、どお?』なんて話まで。
放っておくと、『○○先生、浮気しちゃだめだよ』なんて声まで挙がりそうだ。
「みなさん、初めまして。葉山瑞穂です。お家のこと、先生のこと、お友達のこと……どんなことでも構いません。困ったことや、どうしようと迷ったりしたときには、なんでも話しに来てくださいね。月曜日と木曜日の、中休みとお昼休みに、1階の相談室で待ってます」
ゆっくりと段を上がり、マイクの前に立つ。
優しく、ゆったりとした口調。
そしてその上、この笑顔。
子どもたちが一斉にザワつき始めたのは言うまでもない。
……いや、子どもだけじゃなかった。
ちらりと横を見てみると、『私たちも相談に乗ってもらえるかしら』なんてことを年配の先生方が話してまでいた。
「それでは、今日の朝会はこれで終わります。気をつけ、校長先生に……礼!」
今日の朝会では、特に連絡事項などもなく単なる葉山の紹介だけに終わった。
……ま、そんなモンだよな。
貧血でしゃがみ込む児童もいなかったし、よしってことにしておこう。
「…………」
ふと、彼女の姿が見えないなと思ってあたりを探した途端、何やら数人の先生方に取り囲まれているのが見えた。
……あー。
どうやら、『私たちも……』ってのを聞いているようだ。
本来、これまでの心の教室相談員さんは子どもの話を聞くだけに留まっており、大人の相手は一切しなかった。
それは、教師はもちろん、子供の保護者もそう。
だが、今回は話が違う。
なんせ彼女は、いわゆる『カウンセラー』と同じ扱いだから。
……さすがに、スクールカウンセラーにいろいろな私情を相談しにくいんだろう。
それに……あの先生、ちょっとこえーし。
誰とでも接する金谷先生ですら、『あの人よくわかんない』と言ったほどだから。
その点、葉山は違う。
独特の『癒し』的雰囲気を持ち合わせている上に、あの、いかにも人のよさそうな笑顔。
教師ってのは、いろいろ悩み抱えてる人多いからな。
もしかしなくても、彼女の元へ教師連中が足を運ぶであろうことは容易に想像ついた。
……つーか、その輪の中に校長先生までまざってるんだが。
「………………」
……まぁ、俺は相談するようなことないけど。
残念ながら……ってワケでもないか。
悩みはないに限るんだし、いちいちそんなことしなくても俺とあの子とはまた別の繋がりがあるんだし。
にこやかな笑みを浮かべながら職員玄関へと入っていく葉山の姿が見えて、少しだけ笑みが浮かんだ。
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