「ホントにもー、いつも困ってるんですよ! ウチの子ったら、相変わらず学校から帰って来ちゃうと、すぐに宿題放り出して遊びに行っちゃうんですから!」
「いやー。でも、彼は毎回ちゃんと宿題やって来てますから。安心してください」
「あらっ。そうなんですか? ……あらー、知らなかったわ。てっきり、毎回サボってやってないんだとばかり……」
「大丈夫ですよ。授業態度もきちんとしていますしね。……それに、まぁ……遊びたいじゃないですか。1日の半分以上、学校で勉強してるんですから」
子どもたちがいつも使っている、椅子と机。
そのうちふたつを並べて向かい合わせに座りながらの面談は、もう数えられないくらいこなしてきた。
……だが。
「先生?」
「え? あ、はい。すみません」
「あらー。お疲れですか? ……大変なんですってねぇ、最近の先生方って。ほら、ええと……なんでしたっけ? モンスターがどうとかって」
「あぁ、アレは大丈夫ですよ。ウチの学校は関係ありませんから」
「そうなんですか?」
ぽろりとでも漏らしたら、翌日には半分以上の親が知ってる。
だから、うかつなことは言わない。
一瞬ぼーっと違うことを考えていたものの、慌ててそちらに向き直り、笑顔で首を振る。
……そう。
これまで何度だって面接をやって来たのに、今日に限ってはまるで頭に入って来ない。
心、ここにあらず。
理由なんてアレしかない。
この面接が始まるずっと前に見た、光景。
「………………」
ふと腕時計に目が行って、アレから2時間以上経っているのに気づいた。
今日の面接は、コレが最後。
正直、やっと……という気分だ。
……そりゃそうだろう。
どれほど早く、葉山のところへ行ってやりたかったか。
今の教え子はもちろん大切だが、昔の……何より、1番最初に受け持った教え子も、大切で。
佐原のお母さんがどんな人かってのは誰よりもよく知ってるからこそ、不安で、心配で、申しなくてたまらなかった。
「……えー……それじゃ、そろそろ……よろしいですか?」
「あ、はい。ありがとうございます、先生。……ホントにもう、いつもいつも……」
「いえ、とんでもないです」
話が途切れたところで、机に置いたままだったファイルを手に彼女を見ると、深々とおじぎをしてくれながら席を立った。
「精の付くもの食べてくださいね。じゃないと、バテちゃいますから」
「はは。ありがとうございます」
俺よりもずっと年上のお母さんだからか、なんとなくウチのお袋のようにも感じられて、つい顔が緩んだ。
……そういや、最近電話してねぇな。
近々あっちへ帰るってのに、我ながらホント親不孝だと思う。
「あ、そうそ。鷹塚先生、今お嫁さん探してるんですって?」
「は!? え。そんな話になってるんですか?」
「あらやだ、うちの子言ってましたよ? 今年の先生の目標は、婚活だって言ってたって」
「……あー……」
どうやら、先日の朝の会での出来事をご丁寧に自宅までお持ち帰りしてくれたらしい。
恐らく、彼だけじゃない。
……あー。
このぶんじゃ、まだまだほかの親御さんにも言われそうだ。
「それじゃ、お気をつけて」
「ええ。先生もがんばってくださいね」
「……ありがとうございます」
どういう意味の『がんばれ』かわからないが、まぁ、よしとする。
ともに教室を出てから階段まで一緒に向かい、そこでお別れ。
深々とお辞儀をしてくれた親御さんに頭を下げ、自分は渡り廊下を通って職員室を目指す。
……ずっと。
ずっと、そうだった。
話してる最中も、ホントは面談に集中しなきゃなんねーのに、それができなくて。
「っ……」
頭から離れなかった、葉山のこと。
……ガンガン言う人なんだよ。佐原のお母さんは。
だから、泣いてるんじゃないか、とか。
きっついこと言われて、すげー困ってんじゃないか、とか。
怯えてんじゃないのか、とか。
とにかく、不安で心配でたまらなかった。
「……っ……!」
いつしか小走りで廊下を通り、階段を駆けるように降りる。
早く代わってやりたかった。
本当なら、あの人を対応するのは担任である俺の責任なんだから。
あの子には、何も責任なんてないんだから。
「っ……!」
――……だが、しかし。
ちょうど職員室前の階段を降り切って廊下に立ったところで、佐原のお母さんが相談室から出て来るのが見えた。
しかも――……ご丁寧に、葉山へ深々と頭を下げて。
「……あ……。鷹塚先生……」
「申し訳ありませんでした、お話を伺うことができず……」
「いえ、あの……こちらは、大丈夫ですから」
「……え?」
葉山とともにこちらへ歩いて来た彼女へ、頭を下げる。
だが、彼女はこれまで俺が知ってるどの人格とも違う口調で、やんわりと首を振った。
「……すみませんでした」
「っ……え……」
しかも、口にされた謝罪の言葉。
これまで、一度だって聞いたことがないもの。
そのせいか瞳が丸くなる。
「それじゃ、失礼します」
「……あ。……はい、どうも……」
職員玄関まで来た所で、彼女が俺と葉山とを振り返りながら頭を下げた。
それにならうように、葉山が深々とお辞儀する。
「…………」
「…………」
どうにもこうにも、これまでのあの人の姿と今見た姿とが、イコールにならなくて。
ぽかんと半ば情けなく口を開けたまま、その後ろ姿を見送るしかできなかった。
「……葉山。アレって……」
「お母さんも、かなり悩んでたみたいですよ」
「…………え?」
真正面を向いたまま口にしたら、静かな口調で彼女が呟いた。
「旦那さんのご実家との関係、いろいろぎくしゃくしてたみたいなんです」
「……あの人が?」
「ええ。それもあって、つい佐原さんにきつく当たってしまったと仰ってました」
「……はー……」
柔らかな微笑とともに聞かされる、まったくの新事実。
……というか、予想だにしなかったこと。
去年1年間対応した俺でもどうにもなんなかった人なのに、まさかこのたった数時間の間でそれだけの情報を引き出してしまうとは。
「また、いらしてくださるそうです」
「……あの人が?」
「はい。……安心しました」
にっこり笑ってほっとしたようにうなずいたのを見たら、なおさら『?』が増えた気がした。
いや、だってさ。
あの人が、あんな顔したんだぜ?
いつだって納得なんかしたことなかったあの人が、納得どころか、むしろ癒された……そう。
まさに、カウンセリング受けてほっとしました、みたいな。
そんな顔して、文句ひとつ言わずに帰ったんだぜ?
……奇跡。
俺に言わせてもらえば、これこそ奇跡と呼ぶしかない。
「…………」
「……? なんですか?」
まじまじと見つめていたせいか、葉山が不思議そうな顔をして首を軽く傾げた。
…………なんか、もしかして葉山って本当はものすごくスゴいヤツなのかもしれない。
いや。
かもしれない、じゃなくてものすごいヤツなんだろう。
「……葉山って……すごいな」
「え?」
「いや、だってさ。あの人があんなふうに俺に言うなんて……想像もできなかった」
首を捻ったり横に振ったりしていたら、彼女が小さく笑った。
それはそれは本当に、穏やかな顔で。
「みんな、疲れてるだけなんですよ」
「……疲れ……?」
「はい。だから、自分より弱いものを見つけて、攻撃することで自分を守ろうとしてるんだと思います」
「…………」
「悲しいですよね。……でも、自分が誰かに怒鳴られたり……いじめられたりしていたら、どうですか?」
「え?」
「連鎖、しません?」
そう言って俺を見た葉山は、なんだか悲しそうな顔をしていた。
だが、そのときはどうしてそんな顔をするのかわからず、俺はそれ以上何も言ってやることができなかった。
あとでほかの先生から聞いたことだが、佐原のお母さんは普段から旦那に庇ってもらえず、むしろ逆にかなりキツく言われていたらしい。
その結果、どんどん弱いほうへ弱いほうへと圧力をかけるようになったんだそうだ。
娘であり、その周りの子たちであり……そして、学校。
文句を言ってこない立場の人間へ、どんどんエスカレートしていった。
……むしろ、彼女が1番最初に救われなければいけない人だったのかもしれない。
「…………」
そこを気づいて行動したのが、葉山その人で。
彼女は、佐原のお母さんにとって何よりもの理解者であり、救いを求められる唯一の人だったのかもしれない。
――……ちなみに。
以降、佐原自身も周りの子に対する態度が徐々に変わってきたのは言うまでもないことだ。
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