「お。はよーっす」
「あ、おはようございます」
その週の木曜日。
4時間目が終わってから職員室へ行くと、葉山が自分の机について書類を広げていた。
振り返った彼女の胸元にあるネックレスにもつい目が行き、言いかけた言葉が一瞬消えた。
「……あー。この前はサンキュ」
「いえ、そんな。私も、楽しかったですし」
「そりゃよかった」
葉山ならそう言ってくれるかな、とは思った。
だが、実際そう言ってもらえると嬉しい。素直に。
たとえコレがお世辞であっても。
「これからメシだろ? 葉山――……センセも」
「はい」
危うく『葉山』と呼び捨てしてしまいそうになり、一瞬止まってから付け足す。
葉山に限って言うならば、彼女はいつも弁当を持参しているので給食じゃない。
だから、校長先生や事務さんの机の上のように、給食が乗ってないのは別に何も違和感ない……んだが、しかし。
どーしても気になるモンが、乗ってる。
ちっこいクセにやたら存在感を放っている、ソレ。
「……もしかして、それが昼メシとか言わないよな?」
半分は、冗談のつもりだった。
だが、頭のどこかで『まさか』もあって。
一応それっぽく聞いてはみたものの、途端に表情を変えた彼女の反応によって、思いきり眉が寄った。
「実は、ちょっと……お弁当自体を、置いて来ちゃいまして……」
「マジで? だったら、ほら。給食あまってんから、食えよ。な?」
「え!? だ、だめですよそんな!」
「そんな、じゃねーって。むしろ、昼メシがプリン1個ってトコがダメだろ」
そう。
彼女の机に乗っかっていたのは、コンビニで売られているちっこいプリン。
こだわってるだか、とろけてるだかなんだか知らんが、少なくとも昼メシの代替になるようなカロリーと栄養価があるとは思えない。
「な?」
「でも……」
「でも、じゃねーって。……ったく。だいたい、こないだも言ったばっかだろ? 現状維持、って」
「……それは、そうなんですけれど……」
机に両手をついて説得するものの、彼女は困ったような顔を見せているだけで、一向に『うん』と言いそうになかった。
……こんなに頑固だったっか?
先日ほぼ丸1日一緒に過ごしたのだが、その中で頑なに何かを拒否するようなことはなかった。
だとしたら、なんだ。何があった。
なんてことまで、ふと浮かぶ。
「わーった。ちょっと待ってろ」
「え? ……っあ、鷹塚先生……!?」
両手を腰に当てて姿勢を直してから、教室に向かってダッシュ1本。
3階という、自称不健康な俺にはキツい場所ながらも、3段飛ばしで階段を駆け上がるとすぐに着いた。
給食当番が脱いだ白衣を畳みながら、息を切らせて入った俺のそばに来るなり『あ』と口を開ける。
「せんせー。デザートの冷凍みかんが1個足りないんですけどー」
「おー。今貰ってくる」
「はーい」
机に置かれていた自分の給食を手にし、給食当番の子に返事をしてから再度今来た道を戻り始める。
だが、今度はあくまでも丁寧かつ慎重に。
たっぷり注がれているクリームシチューが波打って、あぶねあぶね、と内心焦った。
「コレをやる」
「……え?」
ガラ、とドアを開けて葉山の元へ行くなり机に置いた本日のメニュー。
すると、瞳を丸くして俺とそれとを見比べた。
「な? ちゃんと食えよ?」
「っえ、先生っ!? あの、私別に……!」
「別に、じゃねーんだよ。昼メシは大事。わかったか?」
「で、でも!」
「だーいじょぶだって。俺は、ここの給食貰ってくから」
確かに、若干量が多い気がしなくもない。
児童らが気遣ってくれてるのかなんだか知らないが、やたら多いんだよな。俺の給食。
パンとか、あまると1個余計にくれるし。
気持ちは嬉しいんだが、飲み過ぎた翌日なんかは、結構キツい戦いでもある。
「あ、鷹塚先生。今日は米粉パンとデザートのみかんしか残ってないわよ」
「な!?」
窓際に置かれていた配膳一式の所へ行くと、ちょうどそこに小枝ちゃんが保健室から戻って来た。
しかも、へーぜんとした顔で……いや。
むしろ、どこか『どーするのぉ? カッコつけ鷹塚君』なんて顔すらしていて、ちょっと腹立たしい。
「嘘だろ? さっきまで、全部ちゃんとあったじゃんか」
「残念ねー。シチューは、3年生が足りなくなったって持ってかれちゃったのよーだ」
「……うっわ。マジかよ」
ふふふーんと笑いながら、小枝ちゃんは自分の席について見せ付けるかのようにシチューを食べ始めた。
……くそ。
なんでそんなウマそうに食うんだよ。
相変わらず、性格の悪さを伺える行動だ。
「……あの、鷹塚先生。やっぱり私……」
「いーや、いい。つーか、葉山は食べなきゃダメだ。……いいな?」
「でも……!」
「いーんだよ!ふん。別に俺パン好きだし。ぜんっずぇん、さもしくなんかねーし」
心配そうな葉山をビシっと制し、袋に入っている米粉パンと冷凍みかんを貰って出口に向かう。
そのとき、当然ながら小枝ちゃん個人向けに、強がりとも取られがちな皮肉を上から目線でたっぷり言っておくのを忘れない。
が、彼女はその後俺を一度も見ることなく、見せ付けるようにシチューをぱくついているだけだった。
……クソ。
3年っつーと……アレか。
もしかして、花山が取りに来たのか?
だとしたら、ぜってー許さねーから。
……あとでシバく。
階段をさっきとは違う意味で身軽に上っていきながら、ふとそんなことが浮かんだ。
――……そんな、俺が去ったあとの職員室。
「ちょっと、見たー? 今の鷹塚先生の顔! 痩せ我慢しちゃってさー。もー、おっかしーんだー」
あっはっは、と今まで我慢に我慢を重ねてきたらしく、小枝ちゃんが思い切り吹き出していたなどとは、夢にも思わなかった。
……いや、ちょっと言い過ぎ。
彼女なら、やると思ってた。
「……鷹塚先生に悪いことしちゃって……」
「いーのいーの。あーゆー人に限って、ヘタに同情なんかしてやるとプライドめちゃめちゃ傷ついちゃうタイプなんだから」
「でも……っ」
「いいから、葉山先生も食べなさいな。温かいうちに」
だが、そんな会話がされていたなんて、当然俺は知るよしもなく。
教室に戻ってから、冷凍みかんを足りなかった子に渡したあと、席について食べ始める……なけなしのもちもち米粉パン。
それを見た子どもたちが、『先生の給食は?』などとものすごく不思議そうな顔で口にしたのは言うまでもない。
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