「……あー。腹減った」
さすがに、アレだけで足りるはずもなく。
結局、子どもたちが見るに見かねて米粉パンを恵んではくれたものの、炭水化物だけでやっていけるはずもなく。
……と言っても、動かないワケにはいかない。
フラつく身体を必死に動かして職員室へ再度戻ると、コロコロ腹が鳴ったような気がした。
「鷹塚先生……っ」
「あ? ……おー。ちゃんと食ったか?」
立ったまま机の上を片付けていたら、正面から声がかかった。
見れば、ものすごく心配そうな顔をしている葉山。
……そんな顔しないでくれ。
痩せ我慢、なんて言葉が我ながら頭に浮かぶ。
「すみませんでした。……私のせいで……」
「いーんだよ。気にすんな。だいたい、葉山が悪いワケじゃねーし」
苦笑を浮かべてひらひら手を振り、精一杯のアピール。
ここで俺が暗い顔見せたりしたら、絶対に困るのは彼女。
それがわかるから、普段通りの自分を思い出して、精一杯演じる。
「あ、そーだ。次の時間さ、ウチのクラスで護身術やるんだけど……葉山も来ないか?」
「護身術……ですか?」
「そそ。総合学習の一環、ってヤツでな。空手をやるんだ」
今年の総合学習のテーマは、『日本の文化』について。
ひらがなやカタカナなど文字の文化から始まって、茶道、日本舞踊などの方面だけでなく、今日のような空手という武道まで。
1年を通じていろいろやりながら、改めて日本はどんな国かというのを学ぶのが目的だ。
それで、今週は近くに住む空手家の先生を招いて、子どもたちに生の武道というものを体験してもらうことになっていた。
といっても、少ない授業数の中では、ほんの触り程度しかできないんだけどな。
……それが、悲しい所。
「ほら、最近物騒な世の中になってきただろ? だから、ってのもあるんだが……まぁ、迫力だけでも感じてもらおう、ってワケでさ」
「……へぇ」
食いついてくれたのがわかったので、いろいろと後から説明を付け加える。
だが、正直もつかどうか心配なのは、自分の体力。
……あー。
せめて、何か腹持ちのいい栄養補助食品とかを口にできたら、また違うだろうに。
なんて、自販機のない小学校じゃ無理な話だが。
「次の時間、もし時間があったら来いよ。ちょこっとだけでもいいし」
「あ、はい。それじゃあ……お邪魔します」
「体育館でやってるからさ、いつでもいいぞ」
「ありがとうございます」
にっこり笑ってうなずいた彼女に笑みを返してから、体育館へと職員室を後にする。
――……前に。
「あ、鷹塚先生っ」
「ん?」
背中に声がかかった。
誰か、なんてもちろん簡単にわかる。
今の今まで話していた、葉山その人。
「どうした?」
「あの。少しですけれど……」
「……あ?」
何かを握った片手を差し出され、受け取るように手のひらを上に向ける。
ゆっくりと置かれたのは、カラーホイルで包まれた星型3つ。
「……チョコ?」
「です」
なんとなくそんなことが浮かんで彼女を見ると、小さくうなずいた。
……チョコ、か。
確かに、今の俺にとっては少しとはいえ栄養源になる。多分。
「サンキュ。貰っとく」
葉山に気を遣わせたのは確か。
なので、敢えてそのまま手を握りポケットへ入れる。
それから廊下に出てから、小走りで体育館へ。
……空手。
てことは、当然俺が悪漢役で……今日来てくれる師範に投げ飛ばされる役になるよな。
あー……。
やっぱ、今日はヘンな見栄とかプライドとか捨てて、ちゃんと食っとけばよかったかもしんない。
ぐう、と大きめに鳴った腹の虫が、この年のせいか妙に切なかった。
「よーし。それじゃ、みんな集まってー」
空手とは何か。
身を守るとは何か。
それらをまず口頭で教えてもらってから、敷いたマット付近へ子どもたちを集合させる。
――……と。
「お。……来たな」
ちょうどそのとき、葉山の姿が体育館の入り口に現れた。
向こうも俺に気づいたらしく、軽く一礼してからこちらへ歩いて来る。
……ちょうどイイ。
どうせだったら、彼女にも参加してもらおう。
いや、元々そのつもりだったんだけど。
「それじゃ、悪者に襲われる可憐な女性役は、葉山先生にお願いしようかなー」
「えー!」
「マジでー!?」
「おーー」
さすがは、子どもたち。
手で彼女を示しながら大声で言うと、即座にそちらを振り向いて、嬉しそうに各々が声をあげた。
「葉山先生、いい?」
「あ、はい。私は大丈夫です」
最初に何も言っていなかったんだが、俺の横へ来た彼女は、にっこり笑って快く承諾してくれた。
コレで盛り上がる、ってモンだ。
……いや、別に彼女がいなくても盛り上がっちゃいたんだが。
「それじゃ、まずは葉山先生に自分の力だけで逃げてもらいます」
子どもたちに向き直り、声をあげる。
すると、葉山じゃなく子どもたちから『手加減してあげなよ』なんて声が聞こえてきた。
「先生とて、男だからな。さすがに葉山先生は逃げらんないと思う」
「えー。なんかひどーい」
「先生、嬉しそー」
「顔がやらしー」
「うるさい!」
何もそこまで言うことねーだろ!
ひゅーひゅー、と男女問わず冷やかされ、思わず眉が寄った。
……ごほん。
「それじゃ、葉山センセはそこに立って」
「あ、はい」
「んで、俺が後ろから肩掴むから、思いっきり振りほどいてくれて構わないから」
「……わかりました」
普通のかわいくてか弱い女性が襲われた場合、を想定する。
いや、少なくとも俺がヤられるよりは、ずっと臨場感出るだろ?
もしこのとき葉山が間に合わなかったら、俺が悪漢役で指導の先生が襲われる役でって考えてたんだが、やっぱ、せっかく『実践護身術』を謳って来てもらった授業なワケで。
どうせなら、何も知らない彼女にコツを教えて、子どもたちの目の前でそれを実践してもらうってのが一番効果的だと思ったから、正直助かった。
「…………」
……さて。
俺に背中を向けている彼女へ音を立てないよう気をつけて近寄り、両手を高く上げる。
タイミングは、内緒。
それを最初に言っておいたお陰か、さっきまでああだこうだと喋くっていた子どもたちも、この瞬間だけはごくりと息を呑んで見つめていた。
そんな彼らを一瞥して、口元だけで笑い――……いざ、向き直る。
悪いな、葉山。
これも子どもたちのため。
「…………っ!」
「どーだー? これじゃ逃げらんねーだろー」
何も言わず、後ろから彼女を羽交い締めるように両肩を抱きしめる。
――……途端。
「え」
身体が浮いて、世界が反転した。
「っ……ぁだだだ!?」
「あっ……!?」
気づいたときには、くるりと目の前の彼女が反転したかと思いきや、右腕に物凄い激痛。
ってか、そっち曲がんねー方向だし!!
みしみしと嫌な音が身体に伝わって来た気がして、思わず彼女の背中を叩く。
「……はー……はー……え。何、今の。すっげぇいてぇ」
じんじんと痺れる腕をさすりながら葉山を見ると、両手を合わせて俺と同じ目線まで身体を屈めなら何度も頭を下げた。
「すみません、鷹塚先生っ……本当に、すみません……!!」
「……あー。平気」
ホントは全然平気じゃないんだが、ものすごく不安そうな顔で覗き込んできた葉山を見たら、それしか出て来なかった。
…………てか、なんだ?
今、自分は何をされたのか。
手首を掴まれたまではわかったんだが、それ以上は何をされたかわからなかった。
見えなかった、と言ってもいい。
だからこそ、何かありえないことが起きたってのはわかる。
「……今、何した?」
「ええと……」
立ち上がって彼女を見ると、困ったように視線を泳がせながら、両手を合わせた。
どうやら、子どもたちも相当びっくりしたらしく、『うわ』とか『すげー』とか『何? 今の』とか口々に言っている。
「いやー。お見事」
「え?」
「うん。なかなかの身体さばき」
腕を組んでこちらを見ていた師範が、葉山を見ながらため息を漏らした。
それを聞いて、ものすごく謙遜する彼女。
わずかに、頬が赤いようにも見えた。
「……実は、中学まで習ってたんです」
苦笑を浮かべて素直に告白した彼女は、この時間、俺よりも師範よりも何よりもヒーローになった。
……あ、いや。ヒロイン、だ。
|