「……はやみー……か?」
顎に手を当ててから彼女を見ると、一瞬瞳を丸くしてからはにかんだ笑みと一緒に深くうなずいた。
「そのあだ名、懐かしい……何年振りかに聞きました」
どうやら、相当聞いていなかったらしい。
当時を紐解くにはまずコレ! とばかりに思いついた俺とは、また違う反応。
だが、どこか嬉しそうに見えて、少しだけほっとする。
……それにしても、だ。
「……? 先生?」
「いやー、なんつーか、こー……アレだなぁ。すげー変わったよなぁ、と思って」
「そうですか?」
「そりゃそーだろ! だって、こんなきれいになってるなんて思わなかったからさー。……そりゃ見てもわかんないはずだよな」
「っ……そ、そんなことないですよ!」
「いやいやいや。あるって、大アリ」
ほぉーと顎に手を当てたまま彼女を眺め、うんうんとひとりうなずく。
……でも、なんか納得。
やっぱ、女の子ってしばらく会わないと全然違うって言うもんなぁ。
「っ……!」
「でも、そっか。はやみーが先生かー。……すげーな。おっきくなったなー」
「せ、先生!」
ついつい当時の感覚が蘇ってきて、にんまり笑いながら彼女の頭をぐりぐりと撫でる。
俺にとっては、大事な教え子。
しかも、初めて受け持った大事な大事な自分の教え子。
その成長っぷりを目の当たりにしたせいか、まるで我が子のように思えて、なんだか無性に嬉しかった。
「昔はあんな元気娘だったのに、今じゃもー、めちゃくちゃかわいいお姉さん先生になってんだもんなー。……うわ。俺も年取るワケだ」
「そんなことっ……!」
「いやいや。あるって」
自分より背が低いせいかどうしてもそこから手が離れず、ぽんぽんと頭を軽く撫でるように叩く。
……なんつーか、ちょうどイイんだよな。
この位置、結構ハマる。
「ッ……!」
「……で? 今、彼氏とか居んの?」
「なっ……ななっ……! せ、先生!」
「いや、ほらー。やっぱ気になるだろ? 先生としちゃ。みんなの成長だけが楽しみみたいなトコあるからさー」
ニヤっと笑ってから首に腕をかけて引き寄せ、ごにょごにょと近づいてみる。
すると、慌てたように両手で俺の腕に触れた彼女は、当然ながら顔を真っ赤に染めた。
「……い……居ない、です……」
「うっそ。マジで? ……うわ。もったいねーなー。こんなかわいいのに」
「そ、そんなことないですよ!」
「そんなことあるだろ! ふつー、ほっとかねーぞ!」
「っ……そんなことは……」
……うーん。
ある意味不思議なモンなんだよな。やっぱ。
さっきまでは、とてもじゃないがこんなことできる相手じゃなかったのに。
それが、どーだ。
元教え子だったと聞くと、なぜかいろいろな枠がすべて取っ払われたかのようで。
……なんかなー。
さっきまでのあの緊張が、今じゃ嘘のよう。
タメ口もちろん、そして態度もどっちかっつーと……横柄かも。
でも、そこまでできるってのは、やっぱりこの今の俺たちの関係あってこそだと思う。
……そして、地味に納得。
やっぱ俺は『先生』なんだなー、なんてトコを。
「……先生は……」
「ん?」
「先生は、ご結婚とか……されてないんですか?」
そのままの姿勢でいたら、おずおずと視線を俺に合わせた彼女が小さく口を開いた。
もしかしたら、酔った勢いってのもあったのかもしれない。
だけど、それはこんな行動に出た理由の4分の1以下。
大半はやっぱり、彼女が自分の教え子だというところに尽きる。
「いやー……結婚はなー……。いろいろあって、今は寂しく独り身」
「……今は……?」
「そ。昔な、6年前に10日……いや、1週間弱くらいは結婚してたかなー」
今では、鮮明に浮かぶシーンも限られてきた。
1番印象深いのは、アレ。
一面ガラス張りのロビーでひとり、遥か遠くを歩いているアイツを眺めているところ。
……そう。
いわゆる、むかーし昔にドラマなんかでも取りあげられた、成田離婚ってヤツ。
んー……やっぱ、男ってのは幻想持ちすぎなのかもしれないな。
……って、もちろんそれが世の中の男性陣の離婚の理由なんかにはなり得ないだろうけど。
「新婚旅行つって行ったはいーけどさ、結局向こうであまりにも考え方とかお互いのルールとかで差がありすぎて。全っ然甘い雰囲気なんてなかったもんなー……」
しみじみ語るまでもなく、ホントにさばさばしていたあのとき。
……もったいなかったな。ホント。
式だの旅行だのにかかった費用、すべて藻屑だもんな。
結局、若かったってのだけが理由じゃないんだろうけど。
でもま、無理して一緒に居たところで、絶対埋まる溝なんかじゃなかったワケだから、当然後悔なんてしていない。
……貧乏根性で、後悔するのはやっぱり金の話だけだ。
「とゆーワケだから、はやみー」
「っ……はい」
「結婚するときは、俺に1度相手紹介しろよ? な? ちゃーんと、俺が見定めてやるから」
「え、あ…………はい」
うんうん、と深くうなずきながら、彼女の肩を叩く。
我ながら、人生の先輩的なおせっかい部分があるらしく、ちょっと笑えるが。
「…………」
「……先生……?」
まじまじ彼女を見ると、昔の面影が確かに見えはする。
見えはするが……。
「っ……!」
「ホント、きれいになったな」
つい、また手が伸びた。
わしわしと頭を撫で、漏れた笑みをそのままにうなずく。
彼女に初めて会ったとき抱いた感情とは、まったく別の感情を抱いて。
「……私……」
「ん?」
「……変わりましたか?」
一度唇を結んだ彼女が、ゆっくりと俺を見上げた。
だが、その顔はこれまでと別人。
儚げで、寂しげで、そのせいかつい瞳が丸くなる。
「……そりゃ……すげー変わったって。きれいンなったし」
「…………先生にそう言ってもらえて、よかった」
「え……?」
瞳を見つめたまま、ぽつぽつと言葉を切って紡ぐ。
すると彼女は、1度瞳を伏せてからほっとしたように口元で笑った。
「……鷹塚先生は、大人だったから」
「大人……?」
「そうです。……私が変わったのは、ずっと子どもだったから。……だから、変わらなきゃいけなかったんです」
心なしか、ものすごく深い意味のある言葉に感じられたのは気のせいじゃないだろう。
だが、それを問うまでもなく、彼女は笑みを残して首を横に振った。
私は、子どもだったから。
……だから、変わらなければならなかった、と。
「………………」
今、このとき俺に見せた笑みは、どこか悲しげに映った。
気のせいかもしれない。
思いすごしかもしれない。
だが、それでもやっぱり、その顔は頭からしばらく離れることはなかった。
「あーーーっ! たっ、たかっ……か、たか! 鷹塚先輩!!」
「ん?」
ぎゃー、という悲鳴にも似た声があがって、眉が寄った。
ちょうど、俺の背後。
そこにあるレジのそばに立っていたのは、わなわなと手を震わせながらこちらを指差している花山だった。
黒縁の眼鏡が少しズレていて、その表情はなんだかもう『情けない』のひとことでしかないようなモノ。
……なんだかなー。
お前、ものすごく人に見せちゃいけないような顔してるぞ。
「鷹塚先輩!! 何をそんな、急にっ……葉山先生と密着して! ダメですよ! セクハラですよ!!」
「……うるせーなー。いーだろ別に」
「全然よくないです!!」
ダンダンと床を踏み抜くんじゃないかという勢いでこっちに来た花山から、はやみーを庇うべく立ち上がって仁王立ち。
ひょいひょいと俺の後ろの彼女を覗きこもうとしてくるが、そのたびにすかさず防御を発動。
……見事なまでに、悔しそうな顔して。
コイツはホント正直なヤツだと思う。
「あ、そーだ。はやみー、携帯のアドレス教えてくんねーか?」
「え? あっ……はい。それじゃあ……」
「えぇえええー!! ズルいじゃないですか!! 僕も教えてほしいです!」
「ぶぁーか! ダメに決まってんだろーが!」
「えぇぇぇえ!! どうしてですかぁ!!」
「ダメなモンはダメだ! そこで指でもくわえてろ!」
「うわーん!!」
花山に背中を向け、座ったまま俺を見上げている彼女に笑みを見せながら携帯を取り出す。
すると、一瞬瞳を丸くしたものの、すぐにあのにこやかなかわいい笑みを見せてくれた。
……ふ。
コレもまた、恩師の特権ってヤツなのかもしれないが、まぁ……なんだ。
いいよな、別に。
そもそも、俺は花山なんかと違って、何もヤマシイ理由から聞いてるワケじゃないんだから。
「どうしてダメなんですか!」
「ったりめーだろ!! ……あのなー……」
ふー、と大きくため息をついてから、彼女の肩に手を伸ばす。
――……と、同時に。
「っせ、んせっ……!」
「この子はもう、俺がとっくにツバつけた子なんだから」
膝を曲げて彼女と同じ目線の高さに合わせてから、ぐいっと肩を引き寄せる。
一瞬、ふわっと香った甘い匂い。
だが、そんなことよりも目の前で唖然とした顔をしている花山のほうへ最初に意識は行っていた。
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