「…………」
ふたりきりになるのだけは、何よりも避けなければならなかった。
それがわかっていたのに――……敢えて、なった。
自分から望んで、飛び込んだ。
こうなってしまった以上、あと戻りするのは容易じゃない。
だから――……キス、したんだ。
無理矢理、力づくで。
「………………」
煙草をくわえながら、どうしても思い出すのは先日のあのこと。
無理矢理キスをして、唇の感触を味わうようにした、自分の行為。
……あのあと、結局彼女と目が合うことはなかった。
どんな顔で会えばいいんだ。
何を話せばいいんだ。
自分でしたとんでもないことなのに、ヤるだけヤって逃げた。
職員室に葉山が入ってきたのが目に入れば、教室へ。
さすがにあの日ばかりは、葉山も教室へ俺を探しには来なかった。
改めて認識してしまったこと。
それは、アイツは思ってた以上にイイ女だということだ。
顔も、性格も、そして身体も。
髪を触れば滑らかで、心地よくて。
唇も、柔らかかった。
だとすれば、胸も、そして……ナカも。
気持ちいいであろうことは、容易に想像つく。
……キスで止まれたのは、奇跡に近い。
あんだけ味わっておいて、よく離れられたモンだ。
それはあの放送のせいなのか、はたまた彼女が持っている教え子というブランドなのかはわからない……が、一度知ってしまったからこそ、次は確実に止まれない。
たとえ泣き喚いて拒否られても、なお。
強いるのは趣味じゃないと思っていたんだが、今は近くに居たら無理矢理どうにかしそうで怖い。
……ハマったな。
四六時中考えてたら、当然の結果。
完璧にアイツのこと……いや、アイツとヤることしか考えられなくなっていて、そんな自分が嫌でヘドが出そうな自分もいて。
……どうしろっつーんだよ。
「………………」
アイツは男を知ってるのか。
キスの感じだけではなんとも言えないが、こっちも頭に血が上りきっていた状態でのことなので、詳しく確かめるほど余裕がなかったから、わからずじまい。
……ヤりたい、とか。触りたい、とか。
考えてるだけで、シたくなる。
少し前までは、普通に髪に触っていたのに。
それだけじゃない、腕を絡めて引き寄せることだってできたのに。
……犯罪だよな。
悪意があって触ったら、セクハラ。
もしかしたら、今でもなおアイツは嫌がらずに笑ってくれるかもしれない。
どうしようもない元担任だと、苦笑で終えてくれるかもしれない。
……だが、実はこれまでもずっと無理していたとしたらどうだ?
ずっと嫌だったとしたら?
俺だから、と我慢してくれていたとしたら?
だとしたら…………最悪だ。
もしそうだとしたら、自分の今までの行為すべてをなかったことにはできないからこそ、アイツに何度謝罪しても放免されるわけがない。
「……はぁ」
くわえたままの煙草に火をつけることなく、腰かけた車のボンネットに体重をかけて両手を付く。
土曜日の、昼すぎ。
空を仰ぐと、鉛色のあまり好ましくない空が広がっていた。
遅く起きたせいで朝メシも食わず、ここへ来た。
学生時代は、何度か夜中に上ったこともある、ある意味では思い出の場所。
……そう。
先日葉山が小川先生と話していた、『ドライブ』に最適な場所だ。
滝脇口からの1本道。
山頂に行くまでの間に何箇所かキツいカーブがあって、そこが割と楽しかった。
……悪い学生だったな。
友人らと、タイヤ減らして遊んでたころが懐かしい。
もっとも、真っ当な職に就けた今じゃ当然やりたいとも思わない。
数年前にスピード規制を目的にハンプという凹凸が道に施されてしまい、遊べなくなったというのもあったが。
「………………」
目の前には、水鳥が遊んでいる静かな湖と、囲むようにぐるりと取り付けられた木製の柵が広がっている。
そこまで広いとは言えないが、それでも十分な大きさ。
ボート遊びなどはないので、観光目的に訪れる人は少ない。
広いせいでタイヤ痕の残る駐車場に、公衆トイレ。
一応形だけながらも東屋があって、雨でもここで暇つぶしができるっちゃできるかもしれない。
……ま、そんな物好きはいねーだろーが。
それでも、ちょうど隣の少し広い場所に、葉山が言っていた通りあじさいの小道ができ上がっていた。
いつの間に植えられたのか。
ここ数年来ることもなかったので、恐らくその間に整えられたんだろう。
……葉山は、ここを知ってたのか。
それが誰による情報なのかわからないが……年月を感じる。
歩いては来れない場所。
それでも、車でなら難なく来れるだけに、アイツはもうそんな年なんだな……なんてらしくもないことが浮かんだ。
「…………」
だが、確かにアイツはもう子どもじゃない。
肌に触れ、キスしたときに耳に届いた声は、女そのもので。
…………あー。シてーな。
6年も味わってない身としては、ある意味危険ブツ。
……キスなんてするんじゃなかった。
あんなことしたら、次が欲しくなるに決まってんのに。
「はー……」
年じゃねーんだな、まだまだ。
思い出すと同時に身体の奥が疼いて、正直すぎる自身にため息しか出てこなかった。
「………………」
俺以外、もう1台しか停まってない駐車場。
街中では聞くことのない鳥の鳴き声が聞こえて、いかにも自然たっぷりという感じが漂っている。
お陰で、今日は俺の車が目立った目立った。
対向車も後続車もなかったので、シフトチェンジのたびにテンション上がったほど。
……馬鹿だな。馬鹿。
小枝ちゃんに言ったら、子どもねー、なんて簡単にあしらわれるに違いない。
「…………」
カチ、と音を立てて煙草に火をつけ、思いきり吸い込む。
ゆっくり空に向かって吐き出すと、空よりも濃い色の煙が溶けて消えた。
……煙草、やめるかな。
喫煙仲間の校長先生が『電子煙草を孫に勧められた』と持ち込んできたのを見て、だったら……と揺さぶられたのも正直なところ。
身体によくないってのはわかっているが、それでもキッカケがなければまぁ無理だろうなとも思っている。
とはいえ、そろそろ階段ダッシュで咳き込むんだよな。俺。
まぁ、それは運動不足のせいってのもあるかもしれないが。
「……ん?」
しばらくぼーっと景色を眺めていたら、遠くからエンジン音が聞こえた。
独特の、フカし。
俺よりもデカくて重い車の音だ。
「ッ……」
ふ、と目線だけでそちらを見て、危うく煙草を落としかけた。
黒のエボ。
確かに、黒エボなんて街中をいくらでも走ってる。
だが、違う。
ぱっと見てわかった。
あのエボは――……葉山のだと。
……なんでココに。
思わず腰を浮かせてそちらを見つめてしまい、灰がボンネットに落ちる。
「っ……」
慌ててそれを払い、それでも……やっぱりそこから視線が動くことはなかった。
なんで、ここにアイツが。
まぁ確かに、この間話していたんだから、なくはない。
……それでも。
なんでこのタイミングなんだ、と内心驚いてもいた。
「…………な……っ」
ここから離れた場所に停められた、エボ。
だが、運転席から降りてきたのは、葉山じゃなかった。
俺の知らない、眼鏡をかけている男。
その代わり、助手席から降りてきたのが、葉山だった。
遠くからでもわかる、表情。
さすがに何を話してるかまではわからないが、顔は笑顔だった。
……それだけじゃない。
親しげに男へ近づき、隣に並んで湖を眺める。
男はこちらに背を向けているのでどんな表情をしているかわからないが、葉山と親しい関係にあるのは間違いない。
細身の、すらりとした身体。
「…………」
……彼氏居るんじゃねーか。
ち、と自分でも毒づくような舌打ちが出て、ついでにため息が大げさに漏れた。
ヤなモン見た。
そう思っている自分は、なんだ。
散々、アイツが俺のモノじゃないってわかってたのに。
言ってたのに。
なのに実際目にした途端、それを否定するなんて。
「…………」
それでも、どうしても目が行く。
……奪う? とんでもない。
そんなことはしない。
するなら、その逆。
アイツが、自ら離れて俺を選ぶ方向に仕向ける。
俺じゃなきゃダメだ、と。
俺が欲しい、と。
アイツがそう選択するように、いくらでも方法を考える。
「……何考えてんだ」
呆れてモノも言えない。
つーか、どんだけ自分が傷つくのが嫌なんだよ。
馬鹿じゃねーの。マジで。
大人も大人、この年になった人間のセリフじゃない。
「……ッ……」
ふ、と顔を上げて葉山を見たら、隣にいた男が葉山の頭をぽんぽんと撫でたのが見えた。
……瞬間。
彼女が表情を強張らせ、両手で口元を押さえて背を丸くした。
気分が悪い、とかじゃない。
涙。
さすがに隣の男も慌てたようで葉山の顔を覗き込んでいたが、彼女は相変わらず平気だとでも言わんばかりに、手を振って笑みを作ろうとしていた。
鞄から取り出したハンカチで、目元を押さえながら。
「………………」
なんで泣くんだよ。ここで。
言ったろ。
泣くならせめて、俺の前で泣けって。
そうすれば……そうすれば、俺が慰めてやれるからって――……。
「ッ……!」
思わず立ち上がってそちらを見てしまっていたら、ハンカチから顔を離した葉山がゆっくりこちらを向いた。
……いや、向いたとは言わない。
気付いた、んだ。
俺と、この車とに。
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