「…………」
 朝。
 起きると同時にテレビのニュースをつけ、音を大きくしてから洗面所に向かう。
 それが、毎日の習慣。
 顔を洗ってタオルを持ったまま台所へ向かい、冷蔵庫から牛乳を取り出してグラスと一緒にリビングへ。
 昔から、朝メシはがっつり食うタイプ。
 だから、食わないでいられるってヤツの気がしれない。
 ウチのクラスにも男女問わず朝メシを食わないのがいるが、極力食ってこいと日々説得は試みている。
 女子なんかは特に、朝を抜いたほうがダイエットになるとかなんとか間違った知識ばかり鵜呑みにしてるから、タチが悪い。
 ……ああ、そうか。
 あーゆー子らには、それこそ葉山とかに言ってもらえばいいんだな。
 ンなことしたって、ダイエットになるどころかむしろ逆効果だ、って。
 俺みてーな男教師が言っても聞く耳持たないが、若くてキレイな先生が言えば説得力があるってモノ。
 ……よし。
 今日行ったら、まずそれ頼むか。
 ソファに座ってからグラスに注いだ牛乳を一気に飲み干し、タンっ、と音を立ててテーブルに置く。
 本日の朝メシは、納豆と卵と……キムチ?
 牛乳を取り出すとき目に入った冷蔵庫の中身から、はじき出されたメニュー。
 あー、買い物ってモンを最近はまったくしてないな。
 昨日は久しぶりに肉を食ったからいいんだが、そろそろ給食だけじゃ栄養がまかないきれない感じがしだす。
 今夜あたりは、ちゃんと買い物にでも行ったほうがよさそうだ。
 昨日貰った焼肉のたれがあるので、それで適当に肉を焼けばまぁ食えるだろう。
 ……つーか、アレは貰ったって言わないよな。
 確実に、押しつけられた。
 それが正しい。
「…………」
 どんぶりに近い茶碗へ飯をよそい、納豆と卵を器にあけて混ぜてからかけてしまう。
 それと一緒に箸とキムチを持ってリビングへ戻り、腰を下ろす。
 相変わらず、朝だというのに外からは容赦なくアブラゼミの鳴き声が聞こえてくる。
 鬱陶しいというか、暑苦しいというか……うるせぇ。
 セミ取りなんぞをしたのは、それこそ何十年も前の話。
 今では鳴き声を聞いても夏休みを思えるはずがなく、俺にとっては選挙カーと同じくらい鬱陶しい存在でしかない。
「…………」
 本来ならば、メシを食う前に『いただきます』を言ったほうがいいんだろう。
 それが恐らくは健全。
 だが、ひとりのときはまず言わないセリフ第1位。
 給食では率先してデカい声で言うが、そういや誰かとメシを食うとき以外で発した覚えがないと今になってわかった。
 ……ダメ教師だな。
 誰もいないところでは、当たり前のことすらできないんだから。
 流し込むように納豆を食いながら、今日1日の流れを頭の中で再確認。
 それに伴って、曖昧にしか考えていなかった時間配分をもう少し細かく現実的なモノにすり合わせる。
 だから、ニュースは結局、音でしか拾っていない。
 ……ま、それでも別に支障はないしな。
 どうせ新聞も読むし、さらっと流す程度で十分。
「……っし」
 ご馳走さま、を言葉にはせず立ち上がり、茶碗に水を張って再度洗面所へ。
 早速歯を磨き、うがいまで済ませてから今度は下ろしたままの前髪を上げる――……前に。
 つい、鏡に映った自分と暫く目が合った。
 長い前髪。
 このままだとうざったくて、邪魔。
 だが、普段上げてしまっているので気づかなかったが、全体的にまた髪が伸びていたんだなということに今気づいた。
「…………」
 昔、それこそ初任者のころはコレで『先生』やってたんだよな。
 前髪を下ろしたまま、それこそ学生と見た目まったく変わらないような格好で。
 ……それでも、あのころはまだジャージじゃなかった。
 毎日毎日、リクルートスーツと大差なかったものの、ちゃんとした黒のスーツで通勤していた。
 俺の中の『先生』がそうだったから、それを真似ただけ。
 なのに――……いったいいつから、俺はジャージをメインにし始めたのか。
「…………」
 慣れ、なのか。
 それとも、怠り、なのか。
 ……むしろ、成れの果てかもな。
 楽なほうへ楽なほうへと流されて、『これでいいだろ』と妥協した結果の。
「…………」
 鏡から視線を逸らし、いつものようにジェルワックスを両手になじませてから、前髪をかき上げる。
 これで、いつもと同じ何も変わらない『鷹塚壮士』のできあがり。
 ……そう。
 ここまでは、いつもと一緒。
 先週の金曜の勤務までと、何も変わらない。
 だが、今日はここからもうひと工夫。
 俺という人間が、初心ともいうべき当時のような周りに流されない自己の強さを取り戻すための、儀式めいたモノを加える。
 ……ただ、あのころ掲げていた克己心とは真逆のモノのためなんだけどな。
 欲望丸出し。
 理性なんぞカケラもない。
 それでも――……いい、と思ってる。
 すべては、自分のため。
 今後、一切後悔しないために選んだ道筋だから。


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